第2話:新参ワンコVS先住魔獣。 ――炙り肉の前では、属性も覇気も関係なかった。
少し、説明しておく。
現代にダンジョンが出現して、もう数十年になる。地面が割れ、魔物が溢れ、同時に人類の中から魔術の適性を持つ「能力者」が生まれ始めた。国家は能力者をハンターとして登録し、ランクで管理するようになった。F、E、D、C、B、A、S、SS。最高峰がSS級とされており、神代雪菜はそのSS級だ。学生にして国家最高峰、氷の聖騎士と呼ばれる所以だ。
ちなみに蓮のランクは、国家登録上は「一般」になっている。
本題に戻る。
雪菜がソファに落ち着いてから、まだ一時間も経っていない。
リビングのソファを挟んで、二つの視線がぶつかり合っていた。
片方は、ブラウンのトイプードル。
もう片方は、白銀の髪の聖騎士。
「…………」
「…………」
ピリピリと、空気が震えている。
ソファの肘掛けに鎮座したココアは、王者の目でじっと雪菜を見下ろしていた。その小さな体から漏れ出る地属性の覇気が、テーブルのコップをかすかに揺らしている。
対する雪菜は、ダイニングチェアに背筋を伸ばして座ったまま、青い瞳でココアを真っ向から睨み返していた。口元はきゅっと引き結ばれ、足元のフローリングには薄っすらと霜が広がり始めている。
蓮はキッチンで朝食の準備をしながら、それをちらりと横目で確認した。
……まあ、こうなるよな。
ついさっき転がり込んできた雪菜と、ここはもう蓮の縄張りだと主張するワンコ。仲良くしろという方が無理ある。
「……ねえ蓮様」
雪菜が、ことさら涼しい声で呼びかけてきた。
「なんだ?」
「あの子、さっきからずっとそういう目で私のことを見ているのですが……」
「ああ……」
「何か言うことはありませんか!? ほら、雪菜は蓮様の特別な存在――」
「……ココアも慣れてないんだろ。ほっとけ」
フライパンに油を引きながら答えると、「ちょっと聞いていらっしゃいます!? あと、ほっとけ、じゃないですよ!」と声が跳ね上がった。
「あの子の覇気、ご存知ですか!? さっきから断続的に地属性の波動を放出していて、私の氷結魔術が微妙に干渉されているんですけど!? これ絶対わざとやってますよね!?」
わざとだろうな、とは思う。
ぐるる、とでも言うようにココアが低く鼻を鳴らした。雪菜が「な、鳴らした!? 今絶対、うるさい新参者め、と思いましたよね!?」と声を裏返らせる。
「わふん」
違う、とでも言いたそうな返事だった。どう見ても違わない。
「……二人とも、飯できるぞ」
蓮はまな板に牛カルビを並べながら言った。
それだけで、ぴたりと空気が変わった。
「…………」
「…………」
さっきまで剣呑に睨み合っていた二つの視線が、示し合わせたようにキッチンへと向く。
現金な連中だ。
冷蔵庫から取り出した国産牛のカルビ。毎週金曜は肉の特売日で、昨夜確保しておいた今週の戦利品だ。雪菜が「お肉、朝から食べるんですか!?」と目を丸くする。
「食べるだろ、普通に」
「朝からカルビは……普通じゃないと思うのですが……」
「わふっ!」
ココアが同意するように鳴いた。ただしこちらは完全に「早くしろ」という意味合いだ。
フライパンに並べた肉に向け、蓮は指先を軽く向ける。
――【極小火力:点熱】。
魔神すら一瞬で消し飛ばす炎を、針の先ほどに絞る。肉の繊維一本一本に、最適な熱を通していく。表面にだけ完璧な焼き色をつけ、内側はとろけるジューシーさで止める。火を使わない、完全なる無音の調理だ。
30秒。
「……できたぞ」
皿に盛りつけて、テーブルへ。
「わふっ! わふっ!」
ココアがソファから飛び降り、テーブルの前で前足をそろえて座った。背筋が伸びている。どこからどう見ても「お手」の予備動作だ。
「……ちょ、ちょっと待ってください!」
雪菜が立ち上がり、同じようにテーブルの前に立った。そして、びしっと右手を差し出す。
「お手です、蓮様」
「…………」
蓮はしばらく二人を見比べた。
聖騎士と魔獣が、朝から揃ってお手をしている。お前は、犬に対抗心燃やしてて何も思わないのか……。
「……はいはい」
ため息をひとつついて、ラップした小さな肉片をそれぞれの前に置いた。
雪菜がきゅっと指でつまんで口に入れる。
ふわっと、表情が溶けた。
「……っ!? な、なんですかこれ……!? お肉が、溶ける……!?」
「わふ……っ」
ココアも一口。小さな体が、ぶるっと震えた。尻尾が高速で回転し始める。
「外はちゃんと焦げてるのに、中がとろとろで……こんなお肉、食べたことないです……!」
「わふわふっ!」
雪菜とココアが、横並びで蓮を見上げてくる。
「もっと!」「わふっ!」
「……わかった、わかった」
蓮はもう一枚、カルビを手に取った。
気づけば二人は、さっきまでの剣呑な空気をどこかへ放り投げて、肩を並べてテーブルに向かっていた。雪菜が「ねえ、次は私が先ですよ」とうっかり小声でタメ口を使い、ココアが「わふん」とちんまり主張し、雪菜が「あ、ごめんなさい、どうぞ」と引く。
ずいぶんと早い和解だった。
「……肉の前では関係ないんだな」
蓮がぼそりと言うと、雪菜がはっとして背筋を伸ばした。
「ち、違いますよ!? 別に仲良くなったわけじゃなくて、ただ、お肉が美味しかっただけで……!」
「わふん」
「そう! そういうことです!」
ぷいっと顔を背ける雪菜の足元で、ほんの少しだけ霜が薄くなっていた。
蓮はそれを見て、静かにフライパンを火にかけた。
……まあ、これくらいなら悪くない。




