第10話:学園ダンジョン実技テスト。イキるエリートをデコピン一発。 ――世界最強は、人差し指一本で充分だった。
月曜の朝。
登校前、雪菜が玄関で蓮の袖をそっと引いた。
「蓮様、今日の実技テスト……大丈夫ですか……?」
「何が?」
「一条院くんが……他クラスの特待生なんですが、最近蓮様のことを『足手まとい』と言っているらしくて……」
「そうか」
雪菜が眉を寄せた。
「そうかじゃなくて……! 何かあれば私が――」
「学校では烏丸くんだろ?」
雪菜が「っ……そ、それはそうですが……!」と口をつぐんだ。
「普通にやるから」
それだけ言ってドアを開けた。雪菜が後ろでため息をついた気配がした。小夜が廊下の奥から「お嬢様、今日は平常心でお願いします」と静かに言った。
――――
「烏丸、聞いたか? 一条院が今日張り切ってるらしいぞ」
教室に入るなり、健吾が飛んできた。
「いいか烏丸、ちょっと聞け。この学校の仕組みを改めて整理しておく」
健吾が声をひそめ、身を乗り出してくる。
「この学校はハンター育成課程を持つ能力者向けの学校だ。普通の高校と違って、全生徒が魔術適性の検査を受けて入学してる。毎学期、実技テストで能力ランクが測定される。わかるか?」
「……わかる」
「ランクはF級から始まってSS級が最高峰だ。F、E、Dが一般人レベル。C、Bが使える。A、SがエリートでSSが人類最高峰。学生でSSなんて、国内で神代さんくらいしかいない」
だいたい合っている。
ただ、一箇所だけ違う。
SSの上が存在する。一般には知られていない、SSS級という規格外が。
「で、一条院はB級だ。特待生の中では頭一つ抜けてる。光の障壁と矢を組み合わせた戦闘スタイルで、C級の魔物なら余裕で捌ける。対してお前は……」
健吾が言いにくそうに続けた。
「ランク表に『一般』って書いてある。魔術適性なしの一般人枠だ。普通なら入学できないんだが、お前は一般入試の成績で入ってるから……まあその、今日は無理するなよ」
「……ありがとう」
「礼はいらんから大人しくしてろよ。頼むから」
健吾がそう言いながら、教室の窓際を見た。雪菜が席に座って静かに本を読んでいる。
「……神代さん、今日もきれいだな。ちょっと怖いけど」
「そうだな」
「あのさ、お前、本当に怖くないの? あの人に毎日睨まれて」
「……別に」
健吾が首をかしげた。それからまた雪菜を見て、また蓮を見た。
「……なあ、最近思うんだけど」
「なんだ?」
「神代さん、お前のこと睨んでるんじゃなくて……なんか、見てるだけなんじゃないか?」
「……どういう意味だ?」
「うまく言えないんだけど。睨んでる時って目が鋭いじゃん。でも神代さんがお前見てる時、たまにその……目が、ちょっと違う気がして」
健吾がもじもじした。
「俺の気のせいかな?」
「……さあ」
蓮は答えなかった。
――――
訓練用ダンジョンの入り口で、他クラスと合流した。
「やあ、烏丸くん」
声をかけてきたのは、背の高い男だった。整った顔に人当たりのよさそうな笑みを張り付けている。目は笑っていない。大企業の御曹司らしい、値踏みする目だ。
一条院だ。
「今日はよろしく。君は確か……一般ランクだったよね? 無理しなくていいよ。後ろで見ていれば安全だから」
にこやかな声だった。が、周囲への聞かせ方が計算されていた。
「一条院くん」
冷たい声が遮った。
雪菜だ。学校での顔、完璧な氷の聖騎士の目で一条院を見ていた。
「テスト前に余計な会話は不要です」
「あ、神代さん……これは僕なりの気遣いで」
「結構です」
一条院が「……はは」と乾いた笑いを返した。雪菜はすでに視線を前に戻していた。
その一瞬だけ、一条院が蓮を見る目が変わった。
後ろで健吾が「……神代さん、一条院には冷たいな」と小声で呟いた。後ろの女子生徒が「ね、神代さんって烏丸くんのそばだと少し表情が違くない……?」「そう……?」「なんか気になる」とひそひそ話していた。
布石は、着々と積まれていた。
――――
ダンジョン内部、第二層。
今日の演習は「指定モンスターの討伐」だ。C級の魔物を班ごとに処理していく。一条院が先頭に立ち、光の障壁を展開しながら手際よく魔物を処理していく。B級の実力は確かだ。
蓮は後方で、教師から見れば「ぼんやり歩いているだけ」の陰キャを演じていた。
健吾が「烏丸、怖くないか?」と聞いてきた。
「別に……」
「……肝が太いな」
二層の奥に差し掛かった時だった。
地響きがした。
「っ……! 想定外の個体です! 全員下がって……!!」
教師が叫んだ。
壁を突き破って現れたのは、B級相当の大型魔物だった。演習区域に迷い込んだらしい。黒い鱗に覆われた三メートル近い体躯で、通路が狭く退路が塞がれた形になっている。
一条院が前に出た。
「僕が処理する……! 光の大障壁……!!」
光の魔力が展開された。C級なら余裕で弾ける出力だ。
しかし魔物がB級の本気を出した瞬間、障壁に亀裂が走った。
「っ!? な、なんで……!?」
B級の上位個体だったらしい。一条院の想定を超えていた。
障壁が、砕けた。
一条院が吹き飛んだ。壁に背中をぶつけ、膝をつく。魔物が追い打ちをかけようと前脚を振り上げた。
その瞬間。
蓮が右手の人差し指を、そっと前に向けた。
――【極小火力:点滅消去】。
魔神を消滅させた最上位魔術を、一本の指先に絞る。出力は最小。発動音は無音。光もない。
ただ。
魔物が、消えた。
跡形もなく。分子レベルで。
一秒も経っていなかった。
「っ……神代さんが……!!」
教師が叫んだ。健吾が「す、すごい……!」と息を呑んだ。周囲の生徒が「一瞬で……!?」「さすがSS級……!」とざわめいた。
誰もが、雪菜が処理したと思っていた。SS級の聖騎士がいれば、B級上位など一瞬で片付く。そう判断するのが自然だ。
「……っ、僕の障壁が最後まで耐えたから、神代さんが仕留めやすかったんだ……!」
一条院が立ち上がり、膝の土を払いながら言った。誰も訂正しなかった。教師は「全員無事か確認しろ!」と動いていた。
誰も気づいていなかった。
ただ一人を除いて。
「……っ」
雪菜の呼吸が、止まった。
周囲は自分が倒したと思っている。雪菜はそれを訂正しなかった。訂正できる状態ではなかった。
無音の発動。残滓すら残さない消去。分子レベルの消滅。
見間違いようがなかった。
――今の……概念破滅の……あの人差し指一本で……B級上位を……っ。
頬が、じわりと赤くなっていた。指先がかすかに震えた。足元に薄く霜が走る。感情の制御が、完全に追いついていない。
「神代さん、大丈夫……? 顔赤くない……? 魔力使いすぎた?」
隣の女子生徒が心配そうに声をかけた。
「っ……! だ、大丈夫です……! 少し、その、集中していたので……!」
「そっかー、さすがだね神代さん。一瞬だったもん」
雪菜は「……はい」とだけ答えた。
違う、と言えなかった。言えるわけがなかった。
蓮の方は見なかった。見たら、また顔が赤くなる自信があった。
帰り道。健吾が蓮の隣に来て、小声で言った。
「……なあ烏丸」
「なんだ?」
「さっき、何かしたよな?」
「……何のことだ?」
蓮はとぼけた。
「魔物が消えた瞬間、お前の指が動いた」
「気のせいだろ」
「そうかなあ……」
健吾が首をかしげた。それから雪菜の方を見た。
「……あと、神代さん。魔物が消えた瞬間からずっとお前から目をそらしてる」
「……そうか?」
「顔も赤かったし……烏丸、やっぱり神代さん、お前のこと――」
「遺言の話はもういいよ」
「ちょ、まだ何も言ってないけど!?」
雪菜がちょうど振り返った。
蓮と目が合った。
一瞬だけ。
雪菜がすっと前を向いた。その耳が、うっすら赤かった。
後ろの女子生徒が「……ねえ、今の神代さん、絶対烏丸くんのこと意識してるよ」「え、でも監視してるんじゃ……」「監視であの顔になる?」とひそひそ言っていた。
氷の女王のイメージが、ひびわれ始めていた。




