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侵入者を追跡せよ

 レクスはひとり、物資を運ぶ兵たちのすき間を縫うように、駅構内を走る。


 担がれる箱の下を滑りぬけ、パルクールの要領で柵をとびこえる。

 奇異の視線を向けられようが、構わず階段を駆け上がった。


 一番高いおどり場にたどり着いたレクスは、梁をつかもうと手を伸ばした。


「ッ! くそっ」


 彼の身長ではジャンプしても届きそうもない。


 ならば手すりを足場にしてはどうか。

 強度を確かめてみると頑丈でびくともしない。これなら問題なさそうだ。

 ただ、もしジャンプしたとして、梁につかまることが出来なければかなりの高さから落下することになる。死にはしないだろうが大けがは免れない。


「こんなことで、ビビッていられるか」


 レクスは意を決し、ゆっくりと助走を取った。

 心臓が痛いほど高鳴る。どれだけ決意を固めても緊張は拭えない。

 だからといって「逃げる」という選択肢など、はじめから存在しないのだ。

 ふーっと息を吐きつくす。冷や汗がすっと引っこんだ。


 今だ。

 一気にスタートを切ると、利き足で手すりを踏みしめ、思い切り体を投げ出した。


 レクスは放物線を描いて宙を舞う。一瞬の解放感は飛翔する鳥になったようだ。

 だが、すぐに重力の枷が彼を引きずり落とす。


 頼む、届け。


 祈るように伸ばした手は天井の梁を見事につかんだ。


「はあっはあっ」


 アドレナリンが沸き上がり、脳が焼ききれそうな興奮が押し寄せてくる。

 よじ登ったレクスは、綱渡りのように慎重に歩を進めた。


「これで先回りできたはずだが」


 周囲に人影は見当たらない。

 天井を飛び移るような侵入者だ、まさか足を滑らせて落下してはいまい。


「いるのは分かっている。姿を見せなよ」


 応答はない。依然として静寂が張り詰めている。


「言い方を変えよう。僕は軍人だが君の敵じゃない。君を逃がすためにきた」


 すると、背後で気配がした。

 レクスはおもむろに振り返る。


「僕を信用してくれた、ということでいいね」


「違うよ。話を聞きたいだけ」


 声音は思いのほか幼い。

 それもそのはず、侵入者は少女だった。


 少女は細い足場だというのに悠然と直立していた。

 粗暴にのびた髪は黒と薄茶が混じり、三角形の獣耳が警戒を主張している。


「猫の獣人。どおりで」


「なんだと、もういっぺん言ってみろ」

 レクスのつぶやきに少女は毛を逆立てた。


「すまない。こちらに挑発の意図はない」


「わたしは獣人じゃない。合血(ごうけつ)だ」


「合血?」


 聞いたことがある。「獣人」の呼称は獣の字が表しているとおり、野蛮な非人類という意味の蔑称なのだという。だから彼らは自分たちを「合血」と呼ぶらしい。


「よし。じゃあ合血の君は、どうして駅に侵入したのかな」


「軍がぞろぞろと何やっているのか知りたい。スクープってやつだ」

「新聞記者か」

「その卵ってところ。この特ダネを土産にすれば、合血の女でも雇ってくれるんだとさ」


 そもそも、まともな大人は、幼気な少女を雇ったりしないだろう。

 レクスは心の内でつっこんだ。

 もしや、彼女は騙されているのではないか。


 眼下のホームには銃を携えた兵士たちが監視の目を光らせていた。彼らは戦場で使用するような武器を装備している。そこまでして、なにを運ぼうというのだろう。


 少女はキャットウォークをスタスタと進んでいく。


「待て、軍は子どもだからって容赦しない。下手をすれば命を落とすぞ」


「いまさら。わたしだって、軍に捕まったらどうなるかくらい知っている」


「選択の権利は君にある。僕の手を取れば、ここから安全に逃がすと約束しよう」


「ふうん、わかった」

 少女はレクスの差し出した手をつかむ。


 そしてぐいと引いて彼の姿勢を崩しにかかった。


「――なにを」


 レクスはつんのめってバランスを失った。鉄骨から両足が離れる。


「ぐうっ」


 ブーツの紐がねじの突起に引っかかり、レクスは逆さ吊りの恰好になった。


「へへっ、悪く思うなよ。わたしの人生が懸かってんだ」

 彼女は口元を隠して忍び笑いする。


 靴ひもはチリチリと悲鳴を上げる。解けるのも時間の問題だ。

 もし落ちたら首の骨がポキリと逝ってしまうだろう。


 焦れる心を押さえつつ、レクスは地面を見上げた。


 ホームに巨大な鉄の箱が、十数人がかりで牛歩のように運ばれてくる。細長い形状はまるで棺だが、サイズは一回り以上大きい。各面にはサイコロのように王室の紋章が刻まれている。


「見ての通り警備は厳重だ」


「なめんな。わたしには秘策があるんだよ」


 そう言うと彼女は懐から宝石を取り出した。親指の関節くらいの大きさ、表面はゴツゴツしていて紫色に透いている。ガラス天井から光を浴びて禍々しく輝いていた。


「こいつは新生石(しんせいせき)。魔法を記憶した地球の恵みの結晶だ」


「どうやってそれを」


 レクスは目を見張った。新生石について話には聞いていたが、実物を見るのは初めてだ。多くは地層深くに眠っており、大規模な鉱山採掘でやっと手に入る貴重品である。表社会で流通するような代物ではないはずだが。


「依頼人から『侵入できたらこれを使え』って預かっていたんだ。どんな魔法が出てくるか楽しみだぜ」


 レクスはぐっと食いしばった。軍の警備網へ少女を仕向け、あげく新生石まで使わせるなんて普通ではない。彼女は間違いなく騙されている。


「よせ、何が起きるかわからないぞ」

「チッ。あんたいい加減うるさいな」


 少女は右手を掲げると、レクスを繋ぎとめる靴紐に爪を立てた。


「――ィ」


 驚いて声を上げる暇もなかった。紐はピンと断たれ、レクスは真っ逆さまに落下した。反転した視界は、まるでタイルに覆われた空が支柱を失って押しつぶしにかかるように見えた。


「ルイン」


 とっさに彼女の名を叫ぶ。どんなに雑音が邪魔をしても聞き逃さないというルインなら、今このときに必ず応えてくれる。絶対に揺るがない厚い信頼があった。


 レクスの声が反響するを待たず、落下点に木箱が滑りこんだ。


「ぐはっ」


 レクスは木箱に頭からつっこんだ。

 蓋を粉々に粉砕し、落下の衝撃が吸収される。グシャグシャという音とともに、顔の穴という穴に生暖かいドロドロの液体が入りこんだ。

 レクスは慌てて箱から這い出た。全身に不快なぬめりが纏わりつく。手で払ってもなかなか取れず、余計に気分が悪い。片足で立って耳の水気を抜きながら、レクスは飲みこみかけたものを戻した。


「なんだ、今の音は」

「だれかが天井から落ちてきたぞ」

 警備にあたっていた兵たちが驚愕して銃口を向けた。鉄棺の担ぎ手も、歩みを止めて「なにごとか」と首を伸ばしている。


「無事でなによりです」


 ルインはつかつかとレクスに歩み寄る。命を落としかけた直後だというのに心配している様子はない。彼なら大丈夫だと信頼しているのか、あるいは怪我をしていようと関心がないのか、(はた)からは判断がつかない。

 彼女はハンカチを取り出して顔を拭ってくれた。純白の布が黄色く染まる。粘性が強くてなかなか取れないのだろうか、ハンカチにかける力が強くて、少し痛かった。


「これは?」

「『なにかクッションになるもの』というご指示だったので、積み荷から卵を拝借してきました」


 レクスは感謝すると同時に苦笑する。積み荷をダメにしてしまったから、これは責任を問われるに違いない。


 レクスがルインに与えた指示はただひとつ、落下の衝撃を吸収できるものを用意することだった。

 彼は目撃した影から侵入者がまだ幼いことを想定し、秘密裏に救助しようとしたのだ。

 ところが、侵入者が彼の提案を拒んだ場合、騎士軍人としては実力に訴えるほかに術がなかった。もしかすると、相手を天井から落としてしまう可能性もある。レクスは最悪の事態を避けるため、救命策としてルインに動いてもらっていた。


 それにしても、まさか卵をクッション替わりに使うとは予想外だった。尋常な思考であれば、クッションと言われれば、例えばテントのような布を用意しようとするだろう。よもや「食品で代用しよう」などという罰当たりな発想には至るまい。ルインの感性には時々驚かされる。


「しかしレクス、落ちてくるのは少女だと聞いていましたが」


「嫌味で耳が痛い」


 今や兵たちの注意は、合血の少女に向いていた。無数の銃口が彼女につきつけられる。ひとたび「撃て」と指示が下ればハチの巣にしてしまう、容赦のない殺気に満ちていた。


「獣人は危険だ。制圧しろ」


 現場を指揮する上官から、無情にも発砲の許可が下った。兵たちは一斉に引き金に指をかける。

 レクスの心配はやはり正鵠を得ていた。


「待て、相手は子どもだぞ。正気か」


 レクスは大声で必死に射撃を制する。

 兵たちは顔を見合わせる。にわかに動揺が広がった。


「君も大概だ。もう危険な真似はよせ」


「さあ起動しやがれ、新生石よ」

 少女は、もはや彼の言葉には耳を傾けず、新生石を天にかざした。


 瞬間、宝石の内部で爆発が起きるがごとく、深紫の光彩が弾ける。

 駅全体が暁の闇に包まれたような、異様な緊張が走った。


 しかし、新生石の輝きはたちどころに収束し、ろうそく一本にも満たない、にぶい明かりを灯した。


「おい、どうしたよ。これで終わりか」


 少女は苛立ちを露わにした。宝石を再度かざしたり叩いたりしてみるけれど反応はない。

 新生石は完全に肩透かしに終わった、かに思われた。


 ひとりの兵が耳元に手をやる。やがて神妙な面持ちで言った。

「おい、なにか聞こえないか」

 他の者たちも首肯する。


 それはレクスの耳にも届いていた。

 極めて低い地鳴りのような音だった。どこかで聞いたことがあるような、かといって記憶をたどっても思い当たらない。のっぴきならない不安が膨れ上がり、鳥肌が立つのを覚えた。


「レクス、逃げましょう」

 ルインは彼の耳を打った。


「この音、だんだん近づいて来ています」


 馬鹿な。なにが来るというのだ。


 その時、屋根のガラスが凄まじい勢いで砕け散った。


 いきなり天井が破られて、構内は阿鼻叫喚に包まれる。

 レクスはルインに腕を引かれることにも気づかず、茫然と地鳴りの正体を目撃した。


 真紅の巨体が鉄骨をひん曲げ、空から侵入してきた。


 流線形のするどい鱗に覆われ、どの動物にも似つかない不気味に湾曲した二本の角が天を穿(うが)つ。丸く強靭な(あご)がひとたび緩むと、白煙とともに身の毛もよだつ低音がレクスの全身を貫いた。


「ギャシャアアアアアア」


 耳をつんざく咆哮が周囲を震撼させる。長大な尾と(わし)のような両翼が(ひるがえ)った。


「ドラゴン。本物か」


 息をつくのも忘れ、レクスはつぶやいた。


TIPS:新生石

封じこめられたさまざまな魔法を、自由に発動できる石の総称。地層深くで発見される事例が多く、「地球誕生の瞬間に生まれた」という仮説から「新生石」と名付けられた。石によって発動する効果は異なる。

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