86 ブリトー
「さてと」
今朝のトルティーヤの残りを眼前に、袖まくりをする。
山田さんが折りたたんだのを見て、タコス風が行けるならブリトー風もいけるのでは? と思ったのよね。
たっぷりチーズとウインナー、畳んでも開いてしまうので糊変わりにケチャップを少々。
たっぷりチーズとベーコン、こっちは糊変わりにマスタードを少々。
茉里奈ならハチミツとかなのかな。
趣味は男前だけど味覚は少女。
焦げないようにアルミホイルをかけてトースト機能でレンチン。
レンジでチンだけど、レンジ機能じゃない場合は正しくはトーチンとかオーチンとかになるんだろうか。
いや、どうあってもレンチンって言うよな。
おばさん的発言かもしれないけど。あ、母は確かチンとしか言わない。
よく考えてみればおかしな発言だよね。今時チンってなるレンジも少ないし。
ピッピッ、っていうからレンピ? なんか違う何かな感じがする。
紅茶葉と、カルダモンにシナモン、ジンジャーパウダーとクローブも、適当にお茶パック入れお湯に入れてしばらく煮る。砂糖も先に入れとくか。
待ちながら何となくブリトーを検索してみたら、フラワートルティーヤに具材を入れて巻いたもの、とあるので、あれ、朝からブリトーだった?
ブリートって呼ばれることもあるみたいだけれど、どうやらトルティーヤはパン、トルティーヤを使った料理にブリトーがあるみたいだ。
ご飯とおにぎりみたいな感覚なのかな。食パンとサンドイッチとか。
コンビニのイメージで、ブリトーはレンチン物、トルティーヤはラップサンドと言われるような生野菜が入っている物って感じがしてたんだけど。なるほど。
カップにお湯を注いで温めておき、レンジからブリトーになったものをクッキングシートでくるんで皿に移し、カップのお湯を捨てて、鍋から煮た紅茶をカップに半分まで注いで、牛乳を入れる。
カウンターではなく、折りたたみテーブル側に運んで、手を合わせていただきます。
まずは飲み物、ちゃんとチャイっぽくなったかな?
こくりと一口。温度も丁度良く、スパイスでほっと温まるような気がする。
香りだけならカルダモンとシナモンだけでも十分チャイっぽいけれど、やっぱりジンジャーパウダーやクローブの辛みがあるとより本格的な感じがする。
ごくごく飲みたい派なのと、膜を恐れて牛乳は温めずに後入れなんだけど、それでもそれなり。
っていうのも気のせいなのかなぁ。
「……」
何となく無音に耐えられなくなり、BGMにラジオを流す。
なんだか久しぶりに一人きりの食事って感覚で、孤独感が凄い。
ついでに加工食肉とチーズの油分に背徳感もある。
でも美味しい。
しっとりと飲めそうな勢いの油感。マスタードの酸味が良い感じだけど、ケチャップの方は背徳感増すな。
温まって肉汁が回ったウインナーを噛む瞬間がたまらないんだけど。
もぐもぐと食べながら午前中にあった事を自分なりに整理する。
ある日、分裂体が分身体になってしまって私が生まれる。
私は多分、佐藤さんの分裂体であると、魂化している事に気が付かずに、暫くあの世で生きていたのだろう。死ぬ機会がなければ認定されないという話だったし、指示待ち体質を刷り込みと言っていたので、佐藤さんは割ときちんと分裂体にして欲しい事を指示する方なのかもしれない。
私に対しては曖昧な指示だし、どこか暴走しているような少々エキセントリックな印象があるけれど、すぐに地球へ向かうスケジューリングの速さ、業務的に問題もないのだろう、そこそこ地位もありそうだ。
魂化していると判明して、循環利用で人間界に、あ、そっか、生まれ変わり条件が達成出来なきゃこっちに居続けなくちゃいけないから、そういう環境に身を置かせるためにわざわざ一度人間にするのか。普通は生まれることも困難な状態みたいだし、神様もえげつない事をする。
それでもそういう、ルールとか、理とか、流れみたいなものがあって、その中を生きていて、理不尽に思ったり、諦めたりという負の感情とか、精一杯生きたとか、楽しかったみたいな正の感情もあって。
正の感情って、なんかそっちの方が正しいみたいで嫌だな。
くしゃり、と、クッキングシートを握りつぶして、思考を中断させる。
こういうの考え出すとマイナス方向に進みがちなので、一度ごちそうさまと声に出して立ち上がり、手を洗ってから飲み物を追加して、今度はウッドデッキ側に回って足をぶらぶらさせながらチャイを飲む。
ええっと、佐藤さん側で考えてみるか。
正直なんで生まれ変わらないのかも分からないんだよなぁ。
もう二度と死にたくないとか?
でもこっちでもっと悲惨な死にざまを見ているだろうし。
生まれ変わり先が気に食わないとか?
そもそもの理由を忘れちゃってるとか? 私じゃあるまいしそれはないか。
私が生まれ変わった時も抵抗してる感じじゃなかったし、嫌ではないのかも。
どっちの理由もなくて何となく?
そうこうしている内に私に興味をもって、今、と。
生まれ変わり条件を達成させてもう一度人間にしたいのだろうな、とは思う。
出生はどうあれ存在している以上普通の幸せを願ってくれる人なのだ。
トロッコ問題の話じゃないけど、どちらかを犠牲に、と言うのはごめんだし、それは佐藤さんも分かってると思う、けれど、最終手段として犬飼さん本体みたいな事は頭の片隅に置きそうではある。
このままたまに顔を合わせながら楽しくあの世ライフ。それで良いじゃない。これは私の意見だけど。
佐藤さんにとってはすでに長くいるから、虚しさとか、停滞とか、なんかそういうのあるのかもしれないけど、私には分からない。
条件達成をするためには条件を知らないといけないけど、これは多分、心残り、みたいなものなんじゃないかと思うんだけど、特に心残りもない。
笑っちゃうくらい何もなかった。何かを得る事とか?
住みたい家に住み、三食昼寝付きみたいな生活が出来て、誰からも何かを強要されたりもしない、ある意味天国のような暮らし。
反対はなんだろう。暑さ寒さも、知らない食材なら味も香りも分からず、死んでも死なずに地獄のような生活?
後者の方が生まれ変わりたくて努力しそうな気がするけれど、今の所そんな風に思うのは少しだけ。
うん、たまにそんな風には思いはする。
カップの中身を飲み干して、ウッドデッキを撫でれば、触っていると認識はするけれど、それがザラザラなのかつるつるなのか、よくわからない。
無意識に撫でる場合は経験で穴埋めされて、木の感触らしきものの感触を感じて流される。
忘れっぽい私には悪くない世界だ。
ずっと死んだことを意識して生活する方が難しい。
生まれ変わらせたい佐藤さんは私がこちらに定住する事を良しと頷くのは難しいのだろう。
何年も、何十年も、記憶を消さずに私と会い続ければ、もう私は大丈夫だから忘れようとか、生まれ変わってやり直そうとか、思うかもしれない。
どっちが先に折れるかってそういう事かな。
佐藤さん頑固そうだし、私はどうしょもないし、このままだとそうなりそうではある。
お互いだんだん自棄になりそう。
考えても分からなくなってきたので、気分転換に出かけようと、カップを食洗機に入れて行先を思い浮かべたんだけど思い浮かばず。
うーん、明日裁判なのに私こんなで大丈夫かな?
我ながら心配になってきた。
***
結局特に行先もなかったので総合受付に来てみた。
ぼんやりと見える人影を、ぼんやり眺めつつ、見知った顔でも居ないかと、ぼんやり思う。
ぼんやりし過ぎである。
今日も誰かが裁判を受けていたり、死んだり、引っ越したりするために、総合受付にはたくさんの人が居るはずなんだけど、言うほど同じ波長の人っていないのか、広さの割に人が少ないので、はっきりと見える人とかは露骨に見てみる。
物凄い勢いで顔をそらされたり、なんか会釈されたりするんだけど、今まさに見つめあっている人が居る。
どうしたものか、と内心困っていたら、向こうも困っているのか、顔の辺りで手をひらひらさせたので、一つ頷いてみたら近寄ってきた。
「見えていないのかと思った」
開口一番。
「人がいるなぁって見てました。高坂と言います」
取りあえず自己紹介。
「北里です。見た事がある人だなぁと見てました。どこかでお会いしました?」
男の人っぽい風体の女の人、だと思う。
こっちでは若い方だと思うけれど、六十歳前後だろうか、つられてこちらも笑顔になってしまうような目じりのしわが魅力的だ。
「初対面だと思います。事故で死んだんですけど、ニュースに顔が出てたとか、かも」
「今はどこかしらから写真が出回ってしまいますからそうかもしれませんね」
特定できなかったのか、北里さんは困った様にそう言って小首を傾げた。
「電車の横転事故です。ええと、四週間前位の」
「ああ」
思い出したのか北里さんは頷いた。
「事故の事って聞いても良いのかしら?」
「? なんですか?」
「苦しまなかった?」
「ええ。多分寝てたんだと思います。起きたら死んでました」
そう答えると北里さんはほっとしたように笑った。
「それなら良かった。運ばれてから死亡するまでの報道に間があったし、報道も鉄道会社を糾弾するものが多かった。大怪我で苦しんで亡くなったのかと」
「え? 鉄道会社が糾弾されていたんですか?」
「そう。事故自体が原因不明のままで、それが余計になにかを隠ぺいしているのではないかって騒がれて」
「へぇ。運転士さんともお会いする機会があったんですけれど、原因は分からないようでしたね。私もあまりニュースを見たくなかったので知りませんでした」
運転士に会った事も、ニュースを追わなかった事も、両方、ちょっと驚かれた。
まぁ、運転士の方はついでだったっぽいけど私も驚いたし。
「そういえば今日はどうしてここに?」
「初江王裁判が終わったところです」
「ああ、想定より多い盗み裁判」
「本当に。事前に聞いていたのでパニックにはなりませんでしたけれど、半分くらい納得できませんでしたね」
「そういうものですか」
「わたしはそうでした。まぁ判決内容の方が正しいという事なんでしょう」
「仕方がないとか、そんな感じですよね」
「そうそう、仕様がない。あなたは何をしに?」
聞かれて返答する理由がなくて困る。
強いて言うなら、
「暇つぶし?」
「自分の事なのに疑問形なの?」
北里さんは声をだして笑った。
「シアタールームで見たいものも、展望台で見たいものも、ゲームセンターで悔やむ分岐点も、教育部で学びたい事も、特になかったので、強いて言うなら暇つぶしが一番しっくりくるかなと」
「アミューズメント施設のベンチに座りに行く人みたいね」
「なんですか? それ?」
「人間観察?」
「へぇ。色んな人が居ますもんね。見てたら面白いのかも」
「高坂さんはどう暇をつぶしていたの?」
「はっきり見える人と、ぼんやり見える人と、こう、居そうだなっていうのが分かる人らしき空気みたいのが見え……人間観察ですね……」
「説明しようとすると結論、そうなるという感じかもしれないわね。楽しめてる?」
「どうでしょう。時間は過ぎますけど。話したのはきただとさん……失礼、北里さんだけでしたね」
北里さん言い辛い!!
「自分でも急いでる時に噛むから気にしなくていい」
北里さんは笑って言った。
「少し落ち込んでいたんだけれど元気が出た。話しかけて正解だった」
「私も話しかけてもらって良かったです」
「一週間もしたら生まれ変わりか。次は天寿を全うできるといいね」
「……はい、そう思います」
「それじゃあ、残り、頑張って」
北里さんは笑って手を振り、扉の向こうへ帰っていく。
手をふり、見送りながら、そうかぁ、そうだよなぁ、と思う。
普通は移動中に条件達成してるっぽいし、普通は五回の裁判で生まれ変わるし、普通は天寿を全うするんだろう。
私がおかしいのだ。
それでもあくまで少数派というだけで、生きようはある。はず。
逆に私は少し落ち込んだよ、北里さん、と思いながら、仕方がないので家に帰った。




