85 トルティーヤ
『そうですかー。おめでとうございますー』
電話の向こうでパチパチと手を叩く音がかすかに聞こえる。
深夜、と言うにはまだ早い時間、髪を拭きながら佐藤さんと夜のお喋りタイムだ。
なんだか知らないが分裂成功を祝われた。いや、貴女本当は嫌でしょう。もう声が嫌そうだもの。
「佐藤さんもハンズフリーで通話してる?」
『どういった意味でしょうー?』
「なんか両手で受話器持ってるイメージだったから」
『どんなイメージなんですかー。しかもそれ戦後のイメージじゃないですかー? 私の時代は片耳で聴くだけでー、マイクは電話機本体付属ですよー。両手で持つ方が困難ですー』
おお。ジェネレーションギャップ。っていうのかな、これも。
「映画で見たことある。万華鏡に紐つけたみたいなやつだよね」
『家の近くの電話はー、そうですねー、懐中電灯に似ていますかねー』
「言いたい事は分かるけど、今の懐中電灯ほぼ真っすぐの円柱が近いんだけどね」
『えっ? 明治の懐中電灯もそうですよー。筒形懐中電灯ー』
「そうなの? 時代は回ると言うし元に戻ったのかしら」
一昔前という言い方が正しいのかは分からないけれど、電球を銀の傘で覆ったような頭で、持ち手部分に単一や単二の大きな電池を入れる、ラッパみたいな形状の懐中電灯を思い浮かべたんだけれど、最近のLEDライトの懐中電灯は割とただの円柱だ。電池を入れる為に外せる部分が微妙に出っ張ってたりはするけど。大きいサイズの懐中電灯はもう箱みたいな形の物が多いし、そういえばラッパみたいな形状の物見なくなったな。
『……うどんですかー。私も切るのが苦手でしたねー。お姑さんにすいとんみたいねー、とか笑われた事がありますよー』
嫁姑問題!
「それ、佐藤さん言い返すの?」
『返しましたよー。お義母さんのお家のすいとんは長細かったんですねーとかー』
「それは言い返したって言うのかな」
『ぐぬぬぬってなってはいましたよー。ふふふ。結構楽しかったんですよー』
「楽しめるのが凄いと思う」
『そちらは楽しく作れたんですかー?』
「うん。和気あいあいとね。茉里奈も結構楽しそうにしてくれたから良かったよ。作りすぎたし食べ過ぎたけど」
『山田さんいらっしゃらなかったんですか?』
「うん。今日はコス呼んで女子会にした。羨ましいでしょう」
『……そう、ですね。はい、羨ましいですー。私がお伺いした時は山田さんがいらっしゃいましたし』
「ええー、そんな、溜めて言うほど羨ましがらないでよ。怖い怖い。帰ってきたら時間見つけてやりましょう、ね?」
『懐石と別にですかー? 材料集め、順調ですかー?』
「それなりにねー」
眠る前に恋人みたいに電話をして、どうでもいい話をして、ほっこりして眠りにつく。
友達と言うには親密で、家族と言うには少し遠慮があって、佐藤さんとの関係って、なんなんだろうな。やっぱりよく分からない。
--------------------
死亡 二十五日目(五日目)
--------------------
入手品:ウッドデッキ/テーブル/椅子/
朝食:トマトリゾット
夕食:色々手打ちうどん
***
薄力粉と強力粉半々に、オリーブオイルと塩とぬるま湯。
ボウルに全部入れて、よく混ぜ捏ねて、濡れ布巾をかけて寝かせておいて、その間に具材の準備。
今朝はフラワートルティーヤ。トウモロコシを攪拌するのが面倒だったとかは多分気のせい。
おかずは、カポナータにしようかな。国籍がぐちゃぐちゃだけど。メキシコとイタリア、気が合いそうだし。後は朝食の定番目玉焼き、と、サラダミックスでも添えておけばバランスがとれるかな。
玉ねぎ、ミニトマト、大根、セロリ、じゃがいも、茄子にパプリカ、にんじん、何となく全部同じ大きさの四角にするつもりで切って、朝だけどニンニク少々とオリーブオイルで炒めて、塩コショウとお酢で味を付けたら完成っと。
本格的に作ると具材によって加熱方法を変えたりして大変だけど、簡略化したこれは切るのが少々手間ってくらいで、お手軽に色々接種出来て良い。
寝かせておいたトルティーヤ生地はフライパンで余裕をもって焼けるサイズ位、二十センチ位かな、にしたいので、切り分けて麺棒で薄く丸く伸ばす。
一人二枚位かと思ったんだけど八枚出来ちゃうな。焼くだけ焼いて残ったら取っておけばいいか。
フライパンに一枚ずつ入れて、ぷくっと膨れてきたらひっくり返して三十秒ほどで皿に引き上げ、ラップをかける。結構硬くなってしまうのでこの見極めが大切だ。
同時進行で目玉焼きも焼いて、おおよその調理が終わったところで茉里奈が降りてきた。
「おはようございます。今朝はなんですか?」
ニコニコと朝から機嫌が良さそうだ。
「おはよう。カポナータトルティーヤ。サラダと目玉焼き付き。ご機嫌ね」
「美味しそう! そうですか? 昨日コスさんと会ったので、今日は大人数で記憶確認会なんですよ」
「ああ、迂闊な事を言うと記憶が消えちゃう問題。何となく昨日は大丈夫だったんじゃないかって思ってるのも調整済み故の可能性……丹羽先生が好きそう」
「そう! 止まらなくなるんですよ」
笑いながら準備と片付けを手伝ってくれる。今日も良い娘。
そうこうするうちに山田さんもやってくる。
「おはようございます。配達です」
「はーい。おはようございます」
「おはようございます」
「高坂さんが、さつまいもとかぼちゃとポータブル硬度計、葛城さんが、コールラビと骨伝導ヘッドホンと展望台チケット、お間違いないですか?」
「はい、OKです。けど、ポータブル硬度計は茉里奈に」
ちらっと茉里奈を見れば嬉しそうに笑って言う。
「コールラビは和香さんに」
山田さんもにっこり笑って荷物を分けなおしておいてくれる。
ポータブル硬度計は良く分からなかったので、絶対に生きてたら買わないであろう高額商品を選んだ。茉里奈は一目で商品が分かったようだから、きっと欲しいけどいらないなと、昨日の内に調べていたのだろう。
それで、この、コールラビって何味なんだろう。
ブロッコリーの茎を丸くしたみたいな、後で調べなくちゃ。
「朝食、食べていくでしょう? 今日はトルティーヤ。今準備する」
カウンター越しに野菜を受け取って山田さんに言うと、山田さんも嬉しそうに笑う。
今日は朝から嬉しそうに笑うのすごい見るな。
「「いただきます」」
「いただきます」
山田さんが珍しく後追いいただきます。
結構揃ってたと思うんだけど、忙しいのかしら、分裂体とかが。
トルティーヤにカポナータを乗せて、くるっと巻いてひとかじり。
うん、美味しい。
茉里奈はちぎっては巻き、ちぎっては巻き、少しづつ、山田さんは二つ折でタコス風。
今日も三者三葉。
食後はお茶を飲みつつ今日の話、と思ったら山田さんはすぐ帰った。
「忙しいのかしらねぇ」
「分裂体増やしたって言ってましたし、大変なのかもしれませんね」
「今日は夕飯食べにくるのかしら?」
「あの様子だとどうでしょう? また明日って言ってましたよね」
「じゃ、来ないか。茉里奈は? 展望台のチケット頼んでたでしょう? こっちは気にしなくていいわよ? 明日は裁判だし」
「はい。先にひと泣きしてしまおうかと思って。教育部の方が片付いたらそのまま行ってきますね」
苦笑、というには苦々しさはない。少しだけ寂しそうに笑顔でそういうので、ポンポンと頭を撫でる。
「せっかくだし教育部の人たちの耳たぶの硬度計って平均取ってきてよ」
「それ、楽しそうですね。和香さんは今日は?」
「犬飼さんの所かな。良く分からないけど時間が出来たら連絡する手はずになってるんだけど」
「よく分からないんですか?」
「そう。買い物に行って何買うか思い出せない感じ。でも買うものがあるみたいな」
「和香さんぽいですね」
くすくす笑いあって解散。
さて、犬飼少年になんだったのか聞いてみますかね。
***
連絡すると犬飼少年はすぐ迎えに来てくれて、犬飼少年のテリトリーである喫茶店に連れて行ってくれた。犬だけに。とか余計な事を思う。
「昨日の今日ですみません。私、なにか聞こうと思ってたんですよね?」
着席して飲み物が届いたのですぐに切り出した。
今日も給仕担当の犬飼少年が可愛いとか、エスコートのつもりで手を差し出してくるの庇護欲をそそるからやめて欲しいとか、明後日の方向に思考が飛んでいくので致し方ない。
子供好きじゃないのになんだろう、この破壊力。
落ち着かなくちゃ。
今日は紅茶、をひとすすり。
「ええ、答え合わせ、という言い方をさせて頂きましたが、裁判前に情報の整理、といったところでしょうか」
特に呆れた風でもなく、考え考え言葉を選ぶように返事が来たのでほっとする。
これだ、という説明のつく事柄ではなく、曖昧な話だったのだろう。
私の薄ぼんやりとした考えでもなんとかなりそうだ。
答え合わせ、か。
「例の分身と分裂の違い、辺りからですか」
「そうしましょうか。答え合わせですから事実のみを」
一拍置いて、犬飼少年は表情を消す。
子供の真顔と言うのは次の感情の予測が出来なくて怖い。
笑いだしても泣き出しても不思議ではなく、きょとんと開かれた目はこちらの奥底の汚い部分を見られそうで、落ち着かない気持ちになる。
「現世とあの世の人口バランスをとるために神が分身させたことが始まりで、我々の技術ではありませんでした。人としての記憶が無い、純粋なあの世の住人として、人界に行く事も無く、留まるだけの生命体です。そのうち分身させることが出来ると思う者が現れ、技術として定着し、人口バランスが崩れました。神は人界の人口を増やす方を良しとし、分身の中から希望者を募りました」
正しく昔話なんだろうけれど、おとぎ話を聞いているみたいだ。
「人の思考と言うものは千差万別といいますか、酷く曖昧で、当初から分身体と分裂体は入り乱れていたそうです。神としては急速な人口増加は良しとしていませんでしたから、ここである程度は間引かれたと伝聞しました」
大量虐殺とかかな。神様が悪いのか調子にのった人間が悪いのか知らないけれど、あるがままにって訳にもいかないもんだな。世知辛い。
「技術の規制はしなかったんですか?」
「願ってしまうそうですよ。例えば、物を持って扉を開ける時、もう一本手があったら、という経験はありませんか? 稀に正しく神の分身方法に行き当たる者がおりまして、古い人間はそれこそを分身と呼んでいますが、魂化してしまう、という副作用がある、これでどうでしょう? 足りますか?」
我々の元の人物がそれって事ですね。つまり佐藤さんがそれなんですね。
なるほど、確かに答え合わせ。
したいとも思わないと拒絶したのは自分自身の出生に辟易しているという事でもあるのだろうか。難儀な。
「せっかく人間界に行ってもすぐ死んだり、生まれ変わり条件が達成出来なかったりするのも」
「私たちは存在そのものが”人口調整用素材”ですから」
鰾膠も無し。
「犬飼さんの、元の人は?」
「かなり長い間寄り添って頂きましたが、人の理を譲渡したいと自死しました」
「……譲渡、されたんですか?」
「ええ」
「でもここに?」
「人間になる理由もありませんので」
「元の人の気持ちとかは?」
「逆の立場でも同じことになると思います」
確かに。
「高坂さんも逆の立場で考えれば、行く先が見えるかもしれませんよ。先方がSIMの確認をされたそうですし、間違いなかったという事でしょう。お互いの幸せをどこまで見続けるか、どちらが先に折れるか。先方にとって、私と言う前例が救いになる前に、高坂さんも、願わくはお二人が自死を選びませんように」
祈りの言葉みたいだった。
「結局、分裂成功は良い事だったのか、悪い事だったのか」
「こちらにいる時間は長いと思いますので、手段の一つとして手に入れて損はないと思います。先方もどちらとも言えずに委ねた部分はあるのではないでしょうか。
それから……」
犬飼少年はそこで言葉を切り、笑った。
「私も彼の事は輪廻に戻したかったです。生まれ変わって頂く事は歓迎すべき事案ですから協力は惜しみません」
うん。
佐藤さんが酷い事してきても頑張ろう。
「そうそう、出来なくなってしまった答え合わせがもう一つあるんですが、そちらも同じ理由で動いているようです。彼、生前は詐欺師だったそうで、もう私の方で情報を得る事も出来なくなりましたが、いつか高坂さんの前には現れるかも知れません」
「どういう?」
「皆さん自分が中心の世界で生きていて、それがたくさんあるという事ですよ。
さて、明日の裁判は問題なさそうですか?」
話を変えられてしまってその先は聞けなかった。
しかも割と裁判どうでもいいと思っていた事も怒られた。
実らない努力は然るべき時に別の事の努力に変わるから、だってさ。
実らないって言っちゃってるじゃん。




