84 色々手打ちうどん
「この後、山田には業務がありまして、力仕事があるようでしたら池橋を置いていきますが?」
犬飼少年はアケル君の手をしっかりと握りながらそんな事を言う。
近所のお兄さんと散歩に行くようにしか見えないんだけど。
「綺麗に設置してくれたみたいだし大丈夫です、けど、ええっと、」
これ、アケル君怒られるやつでしょう? 普通に会社だったら担当替え案件だよね? え? これ本当に大丈夫なやつ?
アケル君はウッドデッキを完璧に設置してくれていて、茉里奈にも心配をかけず、普通に二回おかわりをして、今もどこ吹く風と、可愛いっすよね、とか言って空いている方の手で犬飼少年の頭を撫でたりしているので、この程度は通常運転なのかしら。
茉里奈はにこにこと食後のお茶を飲みつつ犬飼少年を眺めているし、池橋さんはもはや従者というか、保護者っぽい感じで見てるだけだし、私の中にだけ台風でもきてるのかな。
「……アケル君、設置どうもありがとう」
さっき言ってなかったよね。ようやく絞り出した言葉に、アケル君はニヤリと笑って言うのだ。
「どーいたしまして。うどん頑張れよー。そんじゃ、ね」
後半は茉里奈に、かな。犬飼少年を先導するように歩き出す。
犬飼少年は軽く会釈をして、パタパタとアケル君の倍の歩数で後ろをついていく。
池橋さんは普通に挨拶をして出て行った。
結果って言うか、報告貰えるのかな、これ。
コン、と茉里奈がコップを置いた音で振り返る。
「犬飼さん可愛らしいですねぇ!」
うん、私もそう思うよ。見た目はね。
それから茉里奈と二人、折りたたみテーブルの定位置を決め、設置したばかりのウッドデッキに並んで座って休憩。
お茶とグレープフルーツピールコンフィを小皿に、足をぶらぶらさせてなんか変な感じだね、と二人で笑いあう。
「そういえば峰岸さん何時に来るって?」
「いつもの十九時にって言ってました」
うどん打ちは遠慮するけど、食べますってことかな。
「あ、そうでした! 天ぷらうどんとか鍋焼きうどんではなくて、薬味で食べるうどんが良いって言ってたんですよ」
「釜揚げうどんか、かけうどんかしら。茉里奈は?」
「お蕎麦の時に天ぷらもいただいたし、特には……」
ちょっと思い出すようにうどん、うどん、と言いながら首を傾げて、ややあって、パッと笑顔で言う。
「生卵で食べるおうどんてありますか?」
「釜玉うどん? お醤油とか、濃縮の麺つゆで食べる……卵かけご飯のうどん版みたいなやつの事?」
「ですです」
「いいけど、なんだか簡単なお夕飯になりそうね」
そういう私は納豆とオクラを刻んだやつを食べたいんだよなぁ。
「薬味っぽいの色々準備してこっちで食べようか。せっかくテーブル貰ったし」
「いいですね。いっそキャンプみたいに茹でながら食べましょうよ」
「少しずつ? カセットコンロがあるからそれも楽しいかもね」
逆算して作業時間を決めていったん解散。
茉里奈は一度教育部へ、私は、どうしようかな。
特に予定もないんだけれど、と考えていたら、急にごっそりとやる気が抜け落ちた。
電池が切れるとか、根を詰めてやっていた仕事が無くなったとか、そんな感じのやつで。
潰さなければならない時間もそれ程長い訳じゃないし、自室で映画でも流し見ようかな。
なんだかぼんやりした気分でそんな事を思った。
***
「知識としてはありましたけれど、目の当たりにすると拍子抜けしますね」
薄力粉と強力粉を同量ずつ混ぜたボウルと、水に塩を入れた片手鍋を前に、茉里奈がそんな感想を述べる。
中力粉がなかったので粉が二種類になった分、一手間はあったんだけれど、確かに拍子抜けする様な見た目かも知れない。
「粉の真ん中にくぼみを作って、三分の一塩水入れて箸でざっと混ぜたら、もう三分の一塩水入れて、」
茉里奈の横で塩水を注ぎつつ説明をすると、粉をこぼしつつ動いてくれる。
大雑把って感じじゃないんだけどなぁ。プラダンで物作りなんかの時は丁寧に……そういやあれも歪んでたな。案外不器用なのかもしれない。
粉をこぼすたびにこの世の終わりみたいな顔をするので平静を装ってすぐに拭く。
「ここからは手でやろうか。大きい塊は潰して、ポロポロにする感じで、こう、手を擦り合わせて」
手のひらを合わせて上下に動かす動作を見せると、はーい、と嬉しそうに返事をして一度手を洗ってから丹念に水けを拭き取ってやり始める。
「ある程度ポロポロがそろって来たら残りの塩水を入れて、ここからは圧縮しながらまとめる感じで、ボウルに体重かけて押し付けて、混ぜて、押し付けて、って繰り返して」
真剣だし楽しそうにやってくれているから良いのだけれど、全然まとまらない。
「ちょっとだけお水追加しようか。ちょっと変わってくれる?」
代わってもらって捏ね混ぜる。
ああ、うん、力加減かも。結構思い切りいかないとまとまらないのだ。
三回、四回とひっくり返すように混ぜたら割とすぐにまとまった。
「すごい!」
ボウルから目を離さずにそんな事を言うのでもう一度交代。
「底から返して、思いきって親指の付け根から手首に向かってグリっと押し付けてみて」
「こうですか?」
「そうそう」
一生懸命に作業する茉里奈の痩せた細い腕は、それでも状態の良い時の姿って話だったけど、なんとなく切ない気持ちにさせる。
今が楽しそうだし、こっちにずっと居れば? などと不用意に思ってしまうけれど、彼女が断る事は分かっているし、なによりそれは彼女の為ではなく、何となくこっちに滞留しそうな私の為なので言わないようにしている。
滞留? そういう言葉選びをしてしまうって事は、一応、いつか生まれ変わるような気もそこはかとなくしてるってことかな。よく分からない。
茉里奈は良い条件で生まれ変われそうだし、そういう方がなんだか健全な感じがする。
「耳たぶくらいの硬さって言うから、こんなもんかね」
「難しいですね。触り心地は柔らかいですけれど思ったより柔らかくはないんですよね、耳たぶ。硬度計で測ったら分かるでしょうか?」
「硬度計……」
「スプリング式だと割と手軽な値段で買えるんですけれど、使い道が思い浮かばなかったので購入しなかったんですよね。買っておけばよかった」
「私も使い道は思い浮かばないけど……そうねぇ。粉が付かず、ペタペタしない位でいいんじゃないかしら……うどんの場合はね。ボウルに濡れ布巾をかけてちょっと置いておきましょうか」
まさか硬度を測ろうとするとは。恐るべし。
生地を寝かせている間に汁作り。
関西風と関東風二種類、と思ったけど、ちゃんとした材料がないので顆粒出汁を駆使してなんちゃって。
「関西風は昆布だしと薄口醤油が基本なんだけど、ないから色付けに醤油、塩味は塩で調整して、関東風はカツオだしに普通の醤油。どっちにもみりんと酒で甘みを出すけど、お酒だけだったり、みりんだけだったり、砂糖を入れたり水あめを入れたり、まぁ家庭の味なんだけど、茉里奈のお家は?」
「合わせだしに普通のお醤油と、みりんだったと思います。給食や病院食より黒かったです」
「じゃあ釜玉うどん用に少しだけ原液っぽい濃いヤツも作ろうか。顆粒出汁だから手間でもないし」
「和香さんのお家はどちらだったんですか?」
「所謂関東風だけど、実家は普通に濃縮の麺つゆ使ってたから特に家庭の味とかはないかな。祖母の家は関東風で、甘みはお酒だけだったけど、そのかわりちょっといいお酒で作ってたよ」
それぞれの鍋に水と顆粒出汁を適当に放り込んで、酒とみりんもなんとなく入れる。感覚的にはお酒の方が多めかな。みりんは入れすぎるとぽってりする様なきがする。麺物はさらさら食べたい。
「沸いてアルコールが飛んでからお醤油入れるから、薬味切っちゃおう」
オクラは塩を振ってまな板の上でごろごろと転がしてひげみたいなやつを除去。
ヘタをなるべくギリギリで落としてぐるっと面取りみたいな感じで削って、爪楊枝でニ、三ヶ所穴を開けて蒸してから輪切りに。
納豆は細かく刻んでひきわりにして、長ネギはちょっと大きめみじん切り。
茗荷は半分に切ってから斜めにスライスして水にさらして、大根をおろしたヤツと、生姜はチューブのがあるからそれでいいかな。
豆苗もちょっと短めで切って、大葉はくるっと丸めて千切り、ついでにきゅうりも千切りにしておこう。
薬味と言えど種類があるとそれなりに手間ではあるが、加熱したり、待ってる間に他の事が出来るので、茉里奈に説明しつつでも二人で作業をすればあっと言う間だ。
ラップをして冷蔵庫にしまい、麺つゆはプレス部分を外したサーバーに入れて避難。
「パスタマシンもですけれど、うどんを踏むのもちょっとわくわくしますね!」
床にビニールシートを敷き、寝かせていたうどん生地を一番大きな保存袋に分けて入れ、二人で踏む。
「和香さん、思ったよりトキメキません」
「食べ物踏んでる罪悪感あるんだよねぇ」
コシのあるうどんにはなるんだけどね。うどん打ち体験的には外せないイベントと思ったんだけど、茉里奈にはちょっと向いてなかったかもしれない。
うどんの上でふらふらしてるし。
伸ばして畳んでを繰り返し、再び生地を寝かしている間にパスタマシンの準備。
アタッチメントの変更とかは予想道りというかなんというか、茉里奈が嬉々としてやってくれた。
金属が噛み合う感じがたまらないらしい。ごめん、ちょっと共感できない。
何度か伸ばして形を整えてからアタッチメントをカッターに切り替えてカットまで。
一応包丁でも切ってみようか? と提案したんだけど、見たいけど切りたくないと言うので何故か私が切る事になったけど、うん、なんか、微妙に太さそろわないんだよね。素人ってそういうもの。
ちょっとだけお試し量にして正解だったな。
うどんになった生地はバッドに並べて粉をふり馴染ませてくるっと半人前くらいの量にまとめる。
茹でながら食べるならちょっとづつでいいのでこんなもんだろうか。
いや、明らかに作り過ぎか。
「作り過ぎちゃいましたね! 教育部の人に声かけましょうか?」
「んー、それならコスにでも声かける? 女子会」
「峰岸さんも面識ありますし、いいですね。声かけてきます」
という事で女子会になった。
***
「カウンターもお店の様でいい気分転換になったけれど、こうやってテーブルで顔を合わせるのもいいわねぇ」
改装したスペースは好評で、女四人で好き勝手にうどんを茹でたりすすったりしている。
取りあえず一口ずつ関東風と関西風のだしを確認して、今は茉里奈と釜玉うどんを食べている。
ちなみに峰岸さんは釜玉うどんには白身は入れない派だった。
コスに至っては粉チーズとコショウで食べているので、もう手打ちうどんである必要性を感じない。
「お腹がいっぱいにならないって恐ろしいですね。この形式だといつまででも食べれそうで恐怖を感じます」
元々それ程食べる方で無かったであろう茉里奈が、隣のテーブルに設置したコンロで新しくうどんを茹でながら言う。
「そうねぇ。少な目にまとめてくれているし、美味しいから、気が付いたら食べ終わっちゃっているのよねぇ。二人とも上手に作ったわね」
完璧な笑顔で峰岸さんが褒めてくれるので茉里奈と二人で顔を見合わせて照れた。
「それにしてもたくさん作りましたよね。大食い気分だったんですか? 食べてる時だけ食べてるに集中するからなにも考えなくていいんですけど、限界超えて気が付くと立ち上がるのも困難に……」
「コス、コス、コース、ストップストップ、みなまで言うな」
言いたい事は大体分かったけど食べてる最中は勘弁だ。
「ストレスを食で発散するタイプ? 私は量よりも、凄く美味しいものをちょっとだけ。最高に贅沢に感じたわねぇ」
「そういうものですか? 私はあまり食べ物でストレス発散はなかったです。美味しいと嬉しいですけれど」
茉里奈の発言に微笑ましく目を細める峰岸さん。孫っぽいのかな。
ああ、そうだ。思い出して私は聞く。
「そういえば、最後の裁判前にまた皆で集まりたいなって思ってるんですよ。正直私もその頃どうなってるかは分かりませんから、お約束出来るわけではないんですけれど、もしできそうだったら、お誘いしてもいいですか?」
峰岸さんは笑って頷き、茉里奈も笑って手伝いますよ、と言ってくれた。
「誘って貰っても構わないんですけど、人が多いの苦手なんでお裾分け期待してますね。というか、落ち込むにしても最終裁判の前日までに落ち着けないなら強制執行される前に異議申し立て、上告したらいいんですよ。せっかく死んだんですから、二回目の死くらい納得と満足の上死ぬべきです。峰岸さん生きてた時に一番感動した場所とか行きました? 行き放題ですからね? 行った方が良いですよ」
一瞬コスー、って呆れそうになったけれど、真剣な顔で続けられた言葉に黙った。
それは茉里奈も同じで、うどん茹で用の鍋からふつふつと湯が沸く音だけが耳に届く。
暫くして峰岸さんが言った。
「馬鹿ねぇ。旦那と見る景色が感動的だったのよ。でも、最後に思い出の場所を一人で巡るのもいいわねぇ」
誰かと食べる食事が楽しいように、誰かと見る景色も楽しいのだろう。
それは残念ながら私には分からない感情だけれど、優しく言われた”馬鹿ねぇ”という言葉はなんだか響いた。
うっかり泣きそうな位、と思ったら隣で茉里奈がすでに号泣してて、気がそがれたけど。




