75 カツ丼
「コッコッ……」
普段足音なんて気にならないのに、こんな時ばかりはやけに響いて聞こえる。
瞬きも忘れて凝視していたディスプレイには映像が流れ続けていて、所有権は無事アケル君に譲渡できていたようだ。
見慣れない廊下を歩いている。
『ジョーダンジョーダン。俺がカメラ持ってんだし、そっち見てるだけなんだから、別にどうのってこともないっつの。焦った?』
ケラケラと笑う声が聞こえはするけれど、姿は映らない。
向こうからこっちは見えていない訳だし、そもそもどうやってパソコンとビデオがつながっているのかも分からないのだけれど、電波? とか思うと、ザザッと映像が乱れるので、もうそういうモノとして、思考を止め、音声に集中する。
『ヒントそのイチ。和香嬢が見る予定じゃなかった場所』
白いカラオケボックスのような重たそうなドアを押し開けて、アケル君は白いだけの部屋を歩いて、立ち止まってからくるりと元来た方向に回転したのだろう、白い扉が見えた。
『ヒントそのニィ。峰岸さんが来る予定の場所』
少しだけビデオの角度が下を向き、アケル君が幅五十センチほどの板の上に立っているのが分かる。
壁が白いせいか、映像からは分かりにくいが、床が無く、ぽっかりと空洞が広がっているようだった。
「地獄?」
届くわけが無いと思いつつ、ポツリと声に出して零せば、聞こえたかのようなタイミングでアケル君は言う。
『正解は刑罰場でした』
くるりと、今度は足元を移しながら回転する。
飛び込み台のように板は途中までで、筒状の穴は視認できないほど深く続いていた。
『さてと』
アケル君が扉の前まで歩いて戻り、私の目の高さ位にカメラを設置して、カメラを覗き込んで、最高に楽しそうな笑顔で、言うのだ。
『分裂するなり、瞬間移動するなりしてもらわねぇと多分消滅するけど、俺に聞きたい事出来てるでしょ? がーんばって、な?』
くるりとまた背を向けて、板の先端へ向かい歩いていく。
はい? アホなの?
私は殆ど何も考えずに立ち上がり、入り口の扉を開けて、さっきの重たそうなドアの先へ走る。
良かった、行けた、と思うと同時に、絶妙に嫌な位置にカメラをセットしていたらしく、ガシャンとついでに嫌な音も立ててカメラは倒れ、扉が少ししか開けられなかった。
隙間からアケル君を見れば板の先端でアケル君がこちらを見て指をさして笑っていて、腹が立つことこの上ない。
取りあえずぶん殴ろうと、一度ドアを閉めて開け直してみるも状況に変化はなく、いよいよ頭にきているとアケル君の楽し気な声が聞こえる。
「さーん、にーい、いーち、」
こちらも転がるように扉の先に出て走る。
頭からスライディングみたいな感じで滑り込んで、足でも掴めればと手を伸ばすも空を切る。
アケル君は後少しの所でそのまま後ろ向きに倒れる様に落ちた。
間に合わなかった!? と、板の先に飛び出した手で匍匐前進するように下を覗き込むと、落下して遠ざかっていくアケル君が陽炎の様にぼやけて消え、トン、と軽く頭を叩かれる。
「……」
振り返る気力もなく、突っ伏すと、ケラケラとアケル君は言った。
「ドッキリ、だーいせーいこー」
「……灰になれ」
あ、もう死んでんだっけ?
***
さしもの私でも復活するのにちょっと時間を要した。
訳が分からない。
二人で刑罰場の壁に寄りかかり、ぽつりぽつりと話をする。
結局、分裂と瞬間移動は両方とも成功した、らしい。
奇しくも佐藤さんの言っていた前に飛んだつもりで飛ばないと出てくる、の逆で、飛び出したけど物理的に飛び出せない状況だったので、分裂体がドア前に残り、本体がドアの先に出た、らしい。
良く分からない。
とにかく成功してるよ、と言われて振り返ったら自分らしき人がドアの隙間からこちらを伺っていたので、ひらひらと手を振ると、向こうも手を振り返して消えた。私がやりそうな事ではあるね。
分裂する意味があったのかどうかは甚だ疑問ではあるが、出来るか出来ないかで言ったら出来る人、という事が確定したと言えるので、まぁ、追々納得出来ればいいのだろう。
アケル君はと言えば、途中から分裂体と入れ替わってドア前に待機、私の華麗なるスライディングも見ていたそうで、ひとしきり笑った後、ちょっと懐かしそうにしながら、初めての分裂体験がほぼ同じだったと教えてくれた。
ちなみにアケル君の時は分裂体がスライディングして落ちたらしい。
「分裂体だったから途中で消えてたけど、本体でも落ちたところで、刑罰対象じゃないと普通に死んでリセットだし、まぁ大丈夫なんだけど、」
穏やかに笑って、続ける。
「”あ、落ちちゃいましたねー” って、なんつーの? 謎に笑いやがんだよな、あの人。出会ってからずっとトラウマメーカーっつか、なんていうか……」
佐藤さんか。
「……あんパンの話はついうっかり?」
「いや、知ってんだと思ってたんだよ。言ってなかったんだな」
「好きな食べ物の国籍は聞いたんだけど、好きな食べ物は聞きそびれて、聞きそびれた事にも途中で気が付いたんだけど、そのまま忘れてた」
「国籍のがまず聞かねぇよ。
……俺ん時はね、死んですぐん時で、納得出来ねーって、部屋中ひっくり返して暴れてたら、”これでも食べて落ち着いてくださいー” って、何故かあんパンと牛乳。しかも牛乳なんて瓶のやつなのに、冗談かって位どんどん出してきて、”好物なんですよー” って、毎日一緒に食ったんだけど」
「うん」
「こっち来て裁判終わったら綺麗さっぱり忘れられてたな。総合受付に居たんで声かけたんだよ。裁判終わりましたって。そしたら、”ごめんなさいー。私は地域部ではないんですよー。今呼びますねー” って。いつもみたいにふざけてるのかなって思って、後であんパン食おうぜって言ったら、凄く困った顔して、そんで、”時間がないのでご一緒できませんが良かったら” って、あんパンと牛乳渡してきて、受け取ったらもう居なかった」
「うわぁ」
「行って帰って来るのに単純に二週間てのと、記憶を消す人が居るってのは割とすぐ分かったんで、暴れたりとかねぇけど、そんでもさ、そこそこ若ぇじゃん? 二十六とか。色んな意味でムカついてたし、殆ど殴り込みの感覚で戻ってくる日に照準合わせて情報集めて、いざって、待ち伏せしたらさ」
わぁ……なんか想像できるな。佐藤的対応。
「”平気ですかー? イライラされてますー? 良かったらどうぞー” ってあんパンと牛乳押し付けて、”お腹が減ってもー、カルシウム不足でもー、イライラするって言いますよねー” とかなんとか、生きてる人間みたいな事言って笑って、こっちが一瞬、覚えててわざとやってんのかな? って思ったらもう居なかった」
「ですよねー」
アケル君はくしゃくしゃと頭をかき混ぜてため息を付く。
「後から白雄さんに聞いたら、こん時はやっぱ覚えててわざとだったらしいけどね」
「え? 覚えてたの?」
「出かける前にあんパン渡した奴はどうやら知り合いだったらしい。帰ってきたらまた居たからなにか言わせる前に畳みかけて逃げといた、って事らしい。俺は一瞬あんパンを嫌いになったね」
「一瞬なんだ」
「食いモンに罪はないからな」
「それには同意するけど」
「その話聞いた時にはっきりわかったんだよ。どうでもいい事については忘れる事にしてるんだって。つまり俺はどうでも良かったんだけど、二回目にあった時にヤバいなって思って覚えてた。全部消してますってツラしてちゃんと選んでる」
「……恨んでたり?」
「トラウマメーカーっつたろ? 会いに行く俺も悪いんだけど、まぁ、程々に」
「分裂体の出し方習ったのは?」
「向こうが記憶の消し方? みたいなの確立したっぽくて、白雄さんに、アレと会うなら毎回忘れられてると思った方が良いって助言されて、」
「あ、担当白雄さんだったんだ」
「いや、白雄さんはすでにもう今のポジションだったんじゃね? 最初の頃とかマジで頭がグッチャグチャで、しょっちゅう待ち伏せしちゃってたんだよ。ただのストーカー。何度殺してやろうと思ったか」
「ヤバイね」
「ヤバかった。だから目立つじゃん? しかも死んでからの事だから、同じ波長のグループ内でちょっと浮くしね。裁判終わってまだこっちにいるならグループ移動するかとか、なんかそんなんで白雄さんには世話になって」
「ああ、白雄さんちょっとアケル君可愛がるみたいな物言いするもんね」
「あ? そ? あんまわからんけど。んで、どうやら完全に記憶から削除されてるみたいだし、それならいいかって、片っ端から分裂の仕方教えてくださいって声かけてる風を装って声かけてみた」
「装ったんだ。女々しい!」
「なんとでも言え。中身はともかく見た目一歳差だぜ? 他は爺婆ばっかだし、そもそも死んでパニクッてた時に掴んだ藁なんか、怖くてそうそう離せねぇっつの」
「はいはい。それで?」
「ある程度顔見知りじゃないと助けに動けないだろ? 二週間毎日電話させられて、再会して、三日間お茶をして、アレだな」
飛び込み台のようにせり出した足場を指さしてアケル君はいうけれども。
なにその、ちょっとしたイチャイチャ遠距離恋愛カップルみたいなの。
「私は今、何を聞かされているの?」
「そこも含めてあの人はトラウマメーカーだっつってんの」
「ええっと、分裂は成功したのよね? その後は?」
「普通に記憶を消すので忘れちゃうと思いますけどお元気でって」
「佐藤さん!?」
「あれはなんつーか、衝撃の分裂体験も含めてしばらく立ち直れなかったな。俺、百回は初めましてって挨拶してんじゃねーかな」
「そんなに?」
「いや、盛った。流石に百はねーわ」
アケル君は立ち上がってケラケラと笑った。
「自分も特に言うつもりもないんで」
いつもの口調で、ついでに手も差し出してきたので、この話はもう終わりにしたいのかな、と思いながらその手を取って立ち上がる。
「なんか疲れた。時間も時間だし何か食べようか」
「あんパン以外なら何でもいいっすよ」
「食べ物に罪はないんじゃないの?」
「どっちにしろさっき散々パンとあんこは食ったんで」
「それもそうか。作るの面倒だな。総合受付のトコは使えるのかな?」
「ギリで入れると思うっす」
「じゃ、カツ丼にしましょう」
「は?」
「張り込みにはあんパンと牛乳でしょ? 取り調べにはカツ丼じゃない」
「はは」
それから二人で普通に美味しいカツ丼を食べて、最後に今現在佐藤さんをどう思っているか自白を迫ったらふんすと椅子に盛大に寄りかかりながらアケル君は言った。
「大嫌い」
ですよねー。そんな気がしてた。




