66 なったま素麺/懐石弁当
「指示なしの分裂体って消えるけど、和香嬢にはかんけーなくね?」
先に口を開いたのはアケル君だった。
佐藤さんは頷いてから、頬に手を当てて姿勢を崩す。
「分裂体はそうなんですけどー、高坂さんの場合は多分、刷り込みかもー」
とほほ、という表現が一番しっくりくるような情けない顔で、佐藤さんはワインを飲んだ。
「って親鳥についていくやつだよね? 性格は関係ないんじゃない?」
「だと良いんですけどー」
「希望的観測?」
「ですねー」
佐藤さんはなにかを考えているけれど、話す気はなさそうに見える。
私の事なんですけどねぇ。とはいえ、どちらでもいいと言うのが本音だ。
「問題あったりする?」
「うーん。私には無いですねー」
「じゃあいいんじゃない?」
「高坂さんは困ると思いますよー?」
「ピンと来ないけど」
「なんだか色々と曖昧じゃないですかー」
「結構明確だと思うんだけどなー。現状維持。佐藤さんとはずっとお友達」
「百年も千年もという訳にはいかないでしょうー」
「そういう佐藤さんは百年は経ってるじゃん」
「それなりに紆余曲折があるんですよー。忘れちゃいましたけどー」
「あ、明確に忘れたくないと思ってる」
「今の所、ですよねー。裁判終わりに同日到着の殆ど全員生まれ変わりで消えますしー。職員だって生まれ変わったりー、部署変更があったりー、普通にこっちの世界も変化しますよー。私だって生まれ変わる気になるかもしれないですしー?」
「そしたら生まれ変わるか死ぬかするってば」
「わぁー。一周回って私が困りますねー」
「なんで?」
「私のせいで生きるの死ぬのとー、嫌じゃないですかー」
「本人がそれでいいんだから気にしなくていいよ」
「じゃ、気にしたくないんで忘れていいですかー?」
「何度でもお友達になって同じことを言い続けてやる」
そんな不毛な会話を続けている横で、アケル君と茉里奈はお片付けをしてくれていた。
感謝しかないな。
そう思ってから、居なくなられたら寂しくて記憶位消しちゃうのも普通な気がしてくる。
大先輩は記憶を残してるみたいだし、私も何となく色々分かり始めたところだし、確認しておきたいこともあるし、今回はこの辺りが限界か。
雰囲気酔いだけのふわふわした気持ちで、裁判への関心とか心構えの時間とかを、諦める。
もうこの先は佐藤さんの事とか、佐藤さんの事とか、佐藤さんの事とか考えて過ごそう。
ストーカーか私は。
「佐藤さーん」
「なんですかー?」
「明日にはお迎えに出てよ」
「……どういう?」
「それだと最終裁判前に間に合うでしょ? 取りあえず忘れないで行って帰って来てよ」
どうせ二~三日楽しんで、じゃあ仕事に戻りますとか言って裁判終わりに間に合わないようにするつもりだったんでしょうと、見れば笑顔を深めている。
当たったかな。
「結局保留にしてずるずるじゃないですかー。夏休みの最終日に泣くやつですよー」
「怒っていいから最後は一緒に泣いてよ」
「どんな脅迫なんですかー。そんなところばかり決めてー」
「見送らないから。出発してからイヤーな気分になるといいよ」
「ちょっと山田さんー、彼女の教育ー」
「あぇ? 巻き込まれたくねっすけど」
まぁ、そんな感じだ。
調整して明日の朝には発てるだろうという佐藤さんは、お菓子詰め合わせを大事そうに抱えて、今夜の食事も本当に嬉しかったし美味しかったと言ってくれた。
「高坂さん、また連絡しますー。そちらからもなにかあればー」
「うん。多分毎日連絡するよ。気を付けてね。行ってらっしゃい」
「次回は懐石料理でお願いしますー。行ってきますねー」
あっさりと締まる入り口に手を振りながら、懐石料理かぁとげんなりする。
おせち料理でお茶を濁せないかなぁ。
「いいんですか?」
心配そうに茉里奈が聞いた。
「だって無理だったんだもん」
なるようにしかならないのに、あれこれ言いあうのも嫌だし、忘れたくも忘れられたくもないし、楽しく食事が出来ればそれで良かったんだよね、色々考えはしてみても。
「んな子供みたいないい方されてもなー。泣かないで下さいよ」
アケル君は呆れていそうだ。
「もう泣きそうだよ。二週間後に懐石料理だよ? コツコツ食材集めないと」
「そっちっすか?」
「懐石弁当を頼んで増やしてお皿に盛ればいいと思いますよ」
「天才!」
それから教育部の掲示板で成り行きを見守ってくれた方々にお礼をし、励まされ、皆さんが先生と呼んでいる人物と、大先輩に面会の約束を取り付けた。
珍しく日付変更ギリギリの解散で、明日の欲しい物忘れてた! と思わず懐石弁当を入れてしまったのは仕方がない事だと思う。
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死亡 十八日目(五日目)
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入手品:蓋付ステンレスバット/納豆/大葉/素麺/小豆
朝食:焼き魚・焼き茄子朝定食
昼食:納豆ご飯
夕食:自宅フレンチ
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翌朝はなんだか料理をしたくないような気分で、取りあえず鍋二つでお湯を沸かし、小さい方は沸いたら火を止めて卵を入れ十五分タイマー。
長ネギと大葉を細かく切って、納豆と合わせて良く混ぜたら、醤油にお酢、鰹節粉を入れたタレを作って、素麺を茹でる。
素麺はすぐ茹でられるから良いよな。パスタより短いから鍋で悩まなくていいし。
茹でた素麺はすぐに水で洗う。
食べやすいように何となくくるくる一口ずつ巻いて皿に盛り、真ん中に納豆をのせてくぼみを作る。
タイマーがまだ鳴っていないけれど、十三分か。
ダメなら自分用で一つ割ってみるか。
取り出して軽く冷やし、コンコンと割るとやっぱりまだ早そう。卵が冷蔵庫保存か常温保存でも差が出来るし、鍋の保温性によっても差は出来る。
あと冷やしが甘いと殻に白身を持って行かれてほぼ黄身のみ。
殻に穴開ければ良かったな。
じぃっと親の仇の様に卵をにらんでいたようで、降りてきた茉里奈が軽く引いていた。
「おはようございます?」
「あ、はい、おはようございます」
それから茉里奈は厨房を覗いて皿を見て、あ、美味しそう、と嬉しそうに言う。
のだが。
なんだか嬉しくもなく。
おかしいのは私か。
コース料理なんて作ったから力つきているのかな。
納豆のくぼみに温泉卵を乗せて、タレが濃いからほぐし水は文字通り水でいいだろう。
「お! 昨日との落差がぱねっすけど、自分こっちの方が好きかも」
とアケル君は喜んでくれた。
うん。美味しく出来たよ。出来たんだけど。
「和香さん、和香さん」
食後洗い物を終えて、さぁ荷物を、という段になって茉里奈が眉尻を下げて言った。
「不安ですか? 平気ですよ、私も忘れていません」
ああ、そういやそんな話もしたけど、あの話の流れなら記憶を消すような場面もなかったと思うし。
「つか寂しいんじゃねっすか? 見送り行けば良かったのに」
良かったのに、というのだから佐藤さんはもう出発したのだろう。
行動が早い。
「そうねぇ。よくわからないんだけど、まぁ、不安とか、寂しいとか、そんな感じかなぁ」
ぽっかりと白い豆腐のような部屋に閉じ込められているような気分だ。
感想なんて白いくらいしか思いつかない。
それからどうするんだ?
なんでこんなところにとか?
出口を探すとか?
行き先がないならそこに居れば良いし、お腹が減らないならご飯もテーブルもいらないし、眠くならないならベッドもいらないし、熱くも寒くもないなら服もいらない。
これ何するのが正解なんだろ。
「和香嬢、懐石弁当なんで十個?」
「お昼にどうかと思って。アケル君二~三個食べるでしょう? 残りは茉里奈が教育部に持って行けばいいかなって」
「わぁ、ありがとうございます。喜びそうな人が何人かいますよ」
「あざーっす。じゃ、遠慮して二個貰ってくっす。あと餅と、蕎麦。で、茉里奈嬢の分はでけぇから部屋直でいっすかね?」
「お願いします。あ、スケッチブックだけ和香さんに」
スケッチブック?
「ドアに付箋がたくさん貼ってあったのが見えたので、いっそフリップチャートと思ったんです。F10サイズなので思う存分使ってください」
「AとかBじゃなくて?」
「F規格のやつですね。私も実物初めて見ます」
アケル君は入り口から出て、すぐ戻ってきた。
「ちょい重いかも。ポスターサイズっすよね」
思ったよりデカかった。
「……どうもありがとう」
「いえいえ、こちらこそです」
それから皆で二階に上がり、私は部屋へスケッチブックを置いて、茉里奈はアケル君から何やら受け取って、一階でもう一度集まってから弁当を持った茉里奈を見送る。
「諸々、今日の内に先生とも話しておきますね」
「うん、よろしくお願いします。朝イチで裁判行って、そのままお昼頃にお邪魔出来ると思うから」
それで、アケル君を見送るところなのだけれど、一度部屋に戻った事で、頼み事を思い出したのだ。
「アケル君、頼みがあったんだけど、時間ある?」
「自分に? だいじょぶっすけど」
「じゃ、ちょっと家の前から家を見て欲しいんだけど」
表に出ると、アケル君はキョロキョロと周囲を見まわしている。
「なんか変?」
「あー、なんか店の雰囲気的に商店街の終わりとかにありそうな感じしてたんで、めっちゃ住宅街だなって」
「ワンブロックに一軒位、ひっそりと何かしらの店があったりするんだけどね。商店街もあるけど、通りの向こうって感じで、ここから見えないんだよ」
「へぇ。今度散歩してみたいかも」
「そういうもの?」
「和香嬢の死んだ路線の辺りは行った事ないから楽しそうだなって。あっても結構変わってたりするから、面白いっすよ」
「ふーん。アケル君そう言えばどこに住んでたの?」
「あー、もうちょい西側っすよ」
空中に地図を書いてこの辺、と教えてくれる。
「都会だ」
「結構寺町だと思うけど」
「隣の芝生?」
「いや、ここらはガチでなんも無い印象だけど」
「激怒」
肘でついてから改めて家を見上げた。
「んで頼みって? 増築とか?」
「そうじゃなくて、あの雨どいをつたって二階の窓から入ろうと思ったんだけど失敗しちゃって。お手本見せて欲しいなって」
「はあ?」
「だからさぁ」
前回の外壁から侵入チャレンジの内容を指を指しながら伝えると、アケル君は腕を組んでうーんと、考えている。
「前に壁とか登ってバンバン死んだ話したっすよね?」
「聞いた聞いた。でもこの程度じゃ落ちても死なないでしょ? ケガするイメージも湧かなかったから手のひらも綺麗なもんだったし」
「じゃなくて、結構シャレにならない位やってたんで、なんていうか……」
そう言ってアケル君は雨どいに手をやると、くるっと雨どいに両手両足を付けて、地面に平行してカエルの様にしゃがんでいる。
「空飛ぶのとかは無理なんすけど、ポールダンスとか、パルクールとか、あとマジックで壁を歩くみたいのとか結構あるんで、この程度なら出来るようになったんすよね」
「筋肉的な?」
「あー、最初は池橋さん系でそんな感じでしたけど、ほら、どんだけ筋トレしてもマッチョになるわけじゃないし、気のせいなんだから出来んだろって話で」
言うが早いか、そのまま片手を雨どいから壁に移して、反動を付けたかと思うと、雨どいを蹴り、壁を蹴り、そのまま二階の窓枠に手をやって、ついでに壁をもう一度蹴って、飛び降りて、くるりと転がって立ち上がる。
「カギ閉まってんすけど」
「おおー」
取りあえず拍手。
カギなんて締めた覚えも開けた覚えもないので気にしない。
うーん、気のせいか。
今の動きをそのままトレースするのはちょっと恥ずかしいし、もう少しこう、スマートに壁を歩けたりしないだろうか。
足の裏が地面についているイメージで、一応少しだけ助走をつけて、とんとんとん、と壁を走ればいけるんじゃないの、これ。
「高坂、行きます」
宣言して、ダダっと壁を駆け上がってみる。
あ、出来た。
で、どうやって窓に手を? しゃがむ?
悩んだら落ちた。
「ひゃあ!」
当然の様にアケル君がお姫様抱っこ体勢で受け止めてくれて、ぼそりと言われた一言がこちらです。
「全然恋が芽生えない……」
悪かったな。
それから何度かチャレンジして、改めて人間界じゃないんだなぁ、などと納得して、二人で懐石弁当も食べた。
なんか法事みたいな気分になって、取りあえず泣いたら、アケル君はため息をついて佐藤さんに電話をかけてくれた。
「出発してからイヤーな気分になってる人がいて困ってるんすけど」
スピーカーからは全然イヤーな気分になっていなさそうな佐藤さんが普通に言う。
『あ、すみませんー、寝てましたー』
涙は秒で引っ込んだ。




