56 ポテサラチーズトースト
「いらっしゃい?」
そもそも本人なのか分裂体なのかも分からない。
さっきまで居た分裂体で考えると、こちらから声を掛ければ答えてくれたので、声を掛けても返事がないなら、やっぱり本人だろうか。
喋らないと言うか、口を閉じたアケル君の顔は見慣れていないなぁ、とぼんやり思う。
ゆっくり左手が持ち上がって、ちょいちょい、と見ようによってはこっちに来いというジェスチャーをしている。ちょっと待ってね、という意味だろうな。
飲み物を用意して、恐らくつまみたがるであろうお菓子用に取り皿を持ってカウンターに置くと、くりんと、予備動作なしにアケル君がこちらを見て、情けない感じで笑った。
「わりぃ」
「え? なにごと?」
どうしていいかも良く分からないので聞けば、いやー、と口ごもる。
「タイミング、ハズした」
苦笑いを浮かべながら、今朝は突然ごめんとか、ちょうど対応が必要な人が出ちゃってとか、ポツポツと話はしてくれるけれど、寝起きのような、なんだかぼやけたアケル君のままだった。
「こっちの調子まで狂いそう」
なんだかなぁ、と思って笑って言うと、そっすよねー、と言いながら、アケル君も笑う。
「他にきられないようにと思って、分裂体の仕事が終わり次第消してたんすけどね。最後の二体がちょーっと、厄介なのに……あ、ダイジョブそう……っすね」
考え事をしている人のような感じでそういうアケル君が、なにかの接続を切ったのが分かった。
例えば大切な話をする前についていたテレビを消すとか、作業途中の物から手を放すとか、そういう感じで、こちらを向いた視線が、やっぱり初めて見るような顔で、ついつい見てしまったら、物凄く嫌な顔をされた。
すみません。
でも嫌な顔はしょっちゅうされるので、こっちの方が見慣れてるな、と、自分の分の飲み物を引き寄せて、一口飲んだ。今日は炭酸にグレープフルーツを入れてみた。果肉のみで見た目は綺麗だけど、味は普通に炭酸だ。シロップや果汁を入れないと別に美味しくはないと思う。言わなければ勝手に味が付くんだから、アケル君には旨かろう。
「厄介なのってどんな?」
カラカラとコップをかき混ぜながら聞けば、分裂体からは荷物は受け取れないという配達先と、配達物を全部その場にぶちまけて塩素ガスを発生させた上にがっちりと羽交い絞めにされ助けをもとめてくる配達先だと教えてくれた。
お仕事ってタイヘンですね。
ちょっとだけ繁忙期の殺伐とした気分を思い出しつつ、最後の二体って事はアケル君は今、本体だけという事なんだろうか。
「じゃあ、今、目の前のアケル君だけ?」
「そっすよー。ちょっと落ち着いて色々話しとこうと思って」
「そうなんだ。わぁ、殺したら二十四時まで復活出来ないんだよね?」
「こっわ。なに手をワキワキさせてんすか。ダメっすよ、一人の時はマジで」
「というか、休憩取れるんだね。茉里奈から分裂体の放し飼い話を聞いて社畜製造マシンって思ったから、休憩とか休暇がないイメージを持ったんだよ、今朝」
「あー、白雄さんと一緒のトコ見られてたっけ」
苦笑いを浮かべて、カウンターのキャニスターを開け、パンの耳ラスクを取り皿に取ると、ボリボリ食べ始めた。
マイペースだなぁ。
「どっから話すかなー。てか和香嬢は、自分が毎日くんのとか、気になんないっすか?」
そう言われてみればおかしな事だとは思うけれど、と考えながら答える。
「配達で毎日来るのは普通でしょ? その他は、うーん、色々あるんだろうけど、最終的に食い意地に持ってかれて、まぁいっか、行くか、みたいな感じで毎日来てるんじゃないの?」
「身も蓋もねぇなぁ」
多分、私の様子を見に来るだけならば、毎日は来なかったと思うのだ。
他の人を連れてくる、口先だけではあるけれど一応恋人同士、私自身の死ぬ前の産まれる前の事情とか、来る理由も、来させている理由も、まぁ、色々あるんだろうけれど、
「面倒だけど飯も食えるしまぁいいか、でしょ」
という事だと思うのだ。
そうなんだけどさー、と言いながらも相変わらずボリボリとラスクを齧っているのでそうなんだろう。
「そもそも異常事態っちゃ異常事態なんすよ、和香嬢周り」
「なにその取扱い注意みたいなの。塩素ガスとか出ないけど」
「気付いてるっしょ? 鈴木花子、和香嬢にとっての佐藤さんは神様のお気に入りなんすよ」
「どういう事?」
「茉里奈嬢が言ってたじゃないっすか。自分ら食べ物だって。旨いんじゃないっすかね。佐藤さんが構築する記憶」
ぞわっとした。
「普通に考えたら和香嬢と連絡を取り続けるのだってキツくない? 俺ならごめんなんだけど。
つっても元から、死んで早々の気持ちに踏み込んで踏み込んで、そういう事実がありましたって記憶だけ残して、他は全部喰わせて、次のお迎え行っちゃう人ではあんだけどね。
残された方は、こっちきて梯子外されたみたいになるだろ? 毎日戻ってくるの待ったりとか普通にするし、バッタリ総合受付で出くわしたって本人が気付けねぇから、初回裁判で他の死者とバッティングするのは避けてっけど、それで殺されたところで、なるほどこのパターンですかって、あくまでパターン蓄積だぜ?」
ああ、そう言えば第一裁判の時は確かにあっさり別れた。頭を抱えたくなった。
「さっきの分裂体の放し飼い話じゃねぇけど、経験則で勝手に対応出来始めると、本人が気にしなけりゃ事故るまではそのまま一番最初の命令を実行し続けるし、あの人は全く気にしないし、下手したら分裂体を出した記憶ごと喰われてる。いつ魂化しても不思議じゃない位の分裂体があと何体居るのかしらねぇが、和香嬢には気が付いた」
話の内容があまり頭に入って来ないんだけど、アケル君は随分とまぁたくさん喋ってるのに素のまま戻らないなぁ。
「困ったのは白雄さん。もともと佐藤さんが担当した死者で、一人になってパニクッてんの面倒見てんだけど、和香嬢が産まれてからそれまで以上に、」
「踏み込んで忘れちゃったのね」
私ならそうするだろうな、と、アケル君の言葉を遮ってしまった。
他の事に集中して、仕事に支障が出ないギリギリまで忘れてしまえるのだ。都合がいい。
「俺には分からねぇけど」
「人それぞれでしょう」
「白雄さんは気持ちは分からないでもないけど、やらねぇって」
「いい人だよね」
「最悪」
基本的に良い人でいよう等と思っていない。最悪結構。
きっと佐藤さんは私に早く死んでほしかったんだろうな。
ずずっと、アケル君はコップの中身を飲み干す。
「んで、和香嬢どうするよって、話になんだよなぁ」
「はい?」
「佐藤さんもどうしたいとか特にねぇだろ、意見ブレブレだし」
「ブレブレなんだ」
「こういう感じで助けてあげてね、って指示が白雄さんのとこに来てんだよねぇ。たぁだ、白雄さん的には和香嬢はこっちに置いといた方が平和派で、佐藤さんの本人に決めさせる派のブレブレ指示は困るわけだ」
「なんだかアケル君は巻き込まれ体質なのかな」
「これ死ぬ前からなんだぜ?」
「ご愁傷様」
「もう死んでんだけど」
「ちょっと考えさせて。質問するかもしれないけど、いいかな?」
「……いいよ」
アケル君がそう言って、頬杖をついてこっちを見ているので、私は考えをまとめる。
佐藤さんの分裂体が魂化して人間になって死んだのが私、これは大丈夫。
今までもそういう事があったのかどうかは分からないけれど、私に気が付いて、まぁ、執着を持ったのだろう。佐藤さんの死んだ時の事を思えば、自分の子供の生まれ変わり位の感覚があったのかもしれない。これはあくまで想像。
こっちで産んだ子は女の子だったのかな? そういえば聞いてない、けど。
「ねぇ、こっちで出産した場合って、産まれてくる子はなんなの?」
「あー、虚像? 前に消えろって思えば消えるって話のやつ。そのケースだと産んだ本人にしか見えねぇから、結構こっち側、苦労する」
佐藤さんいつ気が付いたんだろう。
あらすじを読むような思い出話はそれしか覚えていないという事で、けれど、本人が幸せならそれで良いという考え方は、根底にあるものなんだろうか。
「記憶って言うか、感情を、食べられてる?」
「さぁ? 感情も結局のとこ記憶だろ? 辻褄が合うようにちょっとずつ削るってんならあるかもな」
これは後で考えよう。
次は、なんだっけ。そう、気になっちゃうからますますお仕事に集中して、白雄さんが忙しくなったと、これもただ起きた事象。
で、私の今後? で揉めてるって話? いやいや、私の勝手でいいじゃない。
「これ私も巻き込まれてない?」
「心情的にはそうなるかもな」
「それだけじゃない?」
「二つ、和香嬢の生まれ変わり条件が達成しない可能性がある」
「はい?」
「一つは分裂体だしもともとなかったんだからこっちで便利に使おうって事と、もう一つは、佐藤さんの分裂体なら旨いんじゃないかって、神様が期待してるって事」
こちらの困惑を無視してアケル君は言い切った。
ついでに皿にとったラスクも食べきって、今度はポテトチップスを皿に取っている。
「可能性なんだよね?」
「そういう神々の思惑的なやつ? あるんじゃねぇのって話」
パリッとポテトチップスを噛み砕く様子が、話しながら出来たストレスを解消しているようだった。
物欲しそうにでも見えたのか、アケル君は私の口にもポテトチップスを押し込んで続ける。
「分裂体出身で条件未達の人ら、記憶が不味ければその内条件達成出来て消えずに済むかもしれないってやつもいるし、じゃあこれで終わりで良いですってやつもいるんだけど、少なくとも俺はどっちも見た事がない」
「どっちも?」
「条件達成したやつも、消えたやつも」
「消えると思ってるだけで消えないって事?」
「そそ。終わりますって思うまでの記憶を喰われ続けてるってさ。まぁ、ちゃーんと生まれ変わったって人もいるっちゃ居るらしいけど、俺はしらねぇってだけ」
「……他の、普通の人たちも?」
「条件達成してねぇの見た事も聞いた事もねぇな」
もう笑うしかないので笑っておいた。
「私、詰んでない?」
「だから和香嬢どうしましょって」
「……なにしても条件達成できないんじゃ、このままここに居るしかないんじゃないの?」
「それ、佐藤さん大人しくのむか?」
「のむでしょ?」
「のまねぇだろ」
「更に厄介ごとを増やしそうではあるけど」
「のまねぇじゃねぇか」
「八つ当たりぐらいはこっちがのもうよ」
「……地域部入る?」
「あー、そういう事になっちゃうのか」
「なんかこっちで決めて言うとやっちゃうんだろ? それはだーめって、佐藤さんからも白雄さんからも言われてっけど?」
「それ、なんでか分からないんだけど」
「分裂体の名残みたいなのがあんのかね。確かに名残ってるとますます生まれ変われなさそうな気はすっけど、そこら辺はみんな可能性で言ってんじゃねーかな。俺もまだこっちじゃ新人だから分からんけど」
アケル君は立ち上がって厨房に移動する。
既に勝手知ったる他人のお家である。
食パンを取り出してポテトサラダとチーズをのせオーブンに入れて、炭酸を追加した。
考える時間を取ってくれているのは分かるんだけど、考えたくもないし、どうしても決めたくない。
保留ボタンを押したままにしておきたい。
いつか、電池が切れたり、停電が起きたりして、リセットされてしまった時に、後悔するのかと言われれば、後悔しないと思うのだ。
決める前に終わって良かったとさえ思うかもしれない。
「しかもさぁ、全部の情報は神様に筒抜けっつーね。コスさんとか、池橋さんとか? なんか指示受けてる可能性が高いっつーか。俺も踏み込みすぎではあんだけどね」
焼きあがったパンを四つに切り分けて、一つだけ私にくれながら、アケル君は続ける。
「分裂体がどーのとか、茉里奈嬢みたいに積極的に情報収集にあたらないと詳しく知らねぇ内に生まれ変わるし、死者は裁判と生前の事だけでいっぱいいっぱい、これこっちの常識、お前の非常識」
「教えたのアケル君たちだよねぇ?」
「最初は面白がってたんだけどな。なんか思ったよか面倒くさい女で」
「すみませんねぇ」
いただきますも言わずに、アケル君は厨房から自分の皿を運びながら食べている。
小さくいただきますと呟いて、私も差し出されたパンをかじる。
「あ、美味しい」
「そら良かった」
アケル君は嫌そうな顔を少しだけ緩めた。




