44 スモア
「少々お待ちください」
引きっつった笑みを浮かべて、シアタールームの受付担当者は俯いた。
盗みの記録ダイジェストをリクエストした時に、時間がかかるのにまた馬鹿がきたかと、少し硬質な声で少々お待ちくださいと言い、恐らく盗みの記録が無かったのだろう、そんな馬鹿なと、二度目の、少々お待ちください、を頂戴したところで、馬鹿という言葉にも色々な意味があるよなぁ、などとぼんやり考えていると、受付担当者は正気を取り戻したのか顔を上げる。
ちなみに娯楽部と呼ばれるこの部署の人たちは全員佐藤さんだが、私の中で佐藤さんは佐藤さんだけなので名前を呼ぶことは無い。
「大変お待たせいたしました。盗みの記録はございませんでした。別の映像をご覧になりますか?」
無表情にマニュアル対応されたので、私は本日の第二候補である、言われた事だけ、と告げようとして、口をつぐむ。
アケル君は止めはしない、と言っていたけれど、見ない方が良い、という意味合いを含んでいた様な気がするのだ。三歳以下、か。
「一年分って、どれくらいで見られる?」
「そのままという意味でしたら一年かかります。年齢にもよりますが、睡眠時スキップモードのご利用で、八時間睡眠の場合百二十二日、倍速再生も可能です。特に印象深かった思い出だけをダイジェスト再生の場合、一時間程度でご覧頂けると思われます」
急に短くなるな。編集優秀すぎ。
「自分で再生速度変えたりとか、出来るのよね?」
「一度こちらで設定した物を再生完了すれば可能です」
「あ、一度見ないとダメなのね」
そう言われてみれば、この前もその前もそうだった。担当者は頷いた。
「三歳、ええっと、幼稚園入園前全部で、睡眠、食事、入浴、はスキップ、……だとどれくらいかかる?」
「二百五十日程度かと思います」
「ダイジェストだと?」
「一時間程度です」
どういう目安なんだろう。一時間過ぎると課金でもされるんだろうか。編集凄い。
「じゃ、それで。ああ、だんだん若返る順番で見たいんだけど」
「かしこまりました。それでは鳩羽色の扉……」
***
映像、というか、もはや追体験は、入園前の夜から始まった。
幼稚園で使用する物やどんな所かを言いつのる母を見ながら黙しているだけの物だ。
先生の言うことを聞かないと捨てられて家にも二度と帰って来られないとか言われている。確かに印象深い。
場面は切り替わり、家族旅行だろうか。スキー場で派手に転んでかなり下まで落ちている。これ怪我もなにもなかったんだけど、父と兄が追いかけてきて大爆笑されたんだよね。顔を指さしてるから鼻水でも垂れてたのかもしれない。もっとちゃんと心配しろよ。
次の場面は何が印象深くてピックアップされているのかさっぱりわからない。
焼き栗をひたすら剥く祖母と、ひたすら食べる私だ。特に会話も無い。と、思ったら、むせて、水を大量に飲んで、吐いた。忙しいな、私。食べすぎか?
左手にオイルパステルを持つ私にキレ散らかす母だったり、予防接種で注射器を掴もうとしたり、まぁ、子供らしい感じのエピソードが続いて、件の歩く、と言う事を教えている映像もあった。
どうしてこの子は歩かないのかしらと、取り乱した母の横から、父が脇の下に手を入れて私を立たせるような体制に持ち上げる。
兄がスライディング状態で私の足首を掴み、足の裏を床につけると、父が力を緩めたので、私の膝がかくっとなった。兄が膝に抱き着く。
『和香、これが直立だ』
否、父よ、通じないだろそれじゃ。
と思ったが、兄がそっと膝から離れると、私は立っていた。ぐらついてはいるが、父の手も緩んだままだ。
父が兄に目くばせを送り、兄はひとつ頷いて、私の右足を持ち上げて前に出す。
父は脇の下に入れた手で、私に前傾姿勢を取らせるようにほんの少しだけ右前方に傾け、兄に頷いて見せる。
兄が今度は左足を持ち上げて前に出し、父もそれに合わせて私の体を少しだけ動かす。
仕上げに完全に持ち上げた私の足を兄が交互に動かした。
『和香、これが直立二足歩行だ』
我が父ながら無茶苦茶だ。そんな感想を思い浮かべる間にも私はふらつきながらも割と軽快に歩き、泣き崩れる母にぶつかって尻もちをついた。
『見てない所で歩いてたんじゃないか? 普通に歩いたぞ?』
母は何なのよー、と悲鳴を上げた。そらそうだ。
なるほど、これが後々まで語り継がれる笑い話になるのだから人間は凄い。
ちなみに、寝返りや哺乳瓶を咥える行為でも似たような事が行われていて、どうして歩くという事に対してこの手法を使っていなかったのだろうとは思ったが、映像を見るのが忙しかったので直ぐに忘れた。
場面は生まれたばかりまで遡る。
トレッシングペーパーでも被せられているようなぼんやりとした視界は、暗所から明所へ、助産師さんの手で引きづり出された。
鳴き声を上げなかったため、バンバンと背中を叩かれたように体が揺れる。
助産師さんの指が口内に入り、そのまま人工呼吸を受けている様だ。
『息をして』
落ち着いた声で言われ、数度酸素を送り込まれ、咽る様に発した声の後、私は呼吸を開始して、周囲は安堵に包まれる。
『ああ、良かった』
母の声だろうか。記憶よりも少し高い声が安堵を告げた。
これは聞いたこと無かったな。あっという間に生まれたとか、そんな話は聞いたけれど、どうやら呼吸すら、言われなければ出来なかった様だ。
そんな馬鹿な。
とは言え、これで映像は終わりかな。
言う事を聞けってのはあったけど、言われた事だけやれってのは無かった。
そんな事を考えていたが、映像は暗いまま流れ続けている。
これ、お腹の中って事?
遠く、くぐもった声が、小さく聞こえている。
音量上がらないかしら? と声に集中していると、女の人の声が聞こえた。
『反射も記憶扱いなんですか? すぐ死にませんか?』
誰かと話をしているようではあるが、相手の声は聞こえない。
『皆が生かそうとしてくれると思います。言う事を聞いて、言われた事をして、出来るだけ長生きしてくれると嬉しいです。……あ、別に辛い人生ならサクッと死んじゃっても構わないかもしれませんねー』
声で分かった。
この人はとんでもない事をさらっと言う。
『いってらっしゃい。また会いましょう。楽しみにしていますー』
ねぇ、これは一体いつの記憶なの?
そこで再生は終わった。
***
分裂体を地球に送り込んだら窒息して死ぬ、なら、なにが違ったんだろう。
反射も記憶扱いって、なんの記憶だって話で。
びっくりすると語尾は伸びないんだよね。
びっくりしてたのかな。
会った事あるって言ってたもんね。
あの時、聞かなかったのは私だ。
そう言えばこっちの人って、言いたくない事は言わないし、隠したりもするけど、嘘は付かないんだよね。
そういう仕様なのかな。
生まれ変わる時、誰かが側にいて見送ってくれるなら、確かに彼女に頼みたいかもしれないけれど、見送る側はどんな気持ちなんだろう。
なんてことないなら頼みやすいけれど。
時系列もぐちゃぐちゃに益体もなく取り留めも無く、ただただぼんやりと、シアタールームの扉を出て歩いていたら、自宅近くの短い商店街に居た。
コスの店は相変わらずやっている。
用事もないけれど、と覗いてみれば、これからおやつを食べますよと、手招きしてくれたので、先日通された奥の部屋にお邪魔した。
市販のグラハムクラッカーにマシュマロとチョコを挟んでトースターで焼いたスモアは、エスプレッソコーヒーとよく合った。
コスは、好きだからこれだけ食べてます。生前にはとてもじゃないけどこんな事出来なかったので、とても満足です。と笑って言う。こういう過ごし方もあるんだな、と妙に感心した。
「そういえばどこ帰りですか?」
「シアタールーム帰り」
「前回行ってからずっと見てたんですか? 盗みの記憶って多いですもんね」
普通にそう言うコスに、私は苦笑いで答える。
「この間はその日の内に家に帰ったよ。盗みの記憶はね、無かったから見れなかったんだ」
コスは瞬きを繰り返してから頷いて、何事も無いような顔でコーヒーを継ぎ足した。
ちょっと動揺しているのかもしれない。初江王管轄の彼女の事だ、何かしら思う事もあるだろう。
私は黙ってコスの言葉を待った。
「無い事もないですけど、珍しいですよ。神様仏様枠の人はそんな感じですけど、高坂さんはちょっと雰囲気違うんですよね。口で説明するのは難しいんですけれど、神々しさが無いと言うか、信仰する様なカリスマ性が無いと言うか、後光がさしてないと言うか……」
「うん? 喧嘩なら買わないけど」
「口で説明するのは難しいんですって。近寄りがたいっていうのともまた違うんですけど、うーん、裁判中はとっつきやすくしてくれてるし、閻魔様まで行けばまた考え方も、ああ、でも、サイズ的な問題もあるから、ええっと」
「頑張れ」
「頑張りますけど。あ! 神様が出てくる映画およびアニメを見たことは?」
「ちょいちょい出てくるよね?」
「失礼、神様が題材の作品で」
「……ある。なんか海が割れるやつとか、磔にされるやつとか、いくつか見てると思う」
「物凄い混雑してるのにすいすい歩けちゃうあの感じですよ。竹下通りを時速六キロ位で突っ切っても誰もぶつからないどころか他の人が避けて行くみたいに歩けちゃうんですよ、神様仏様枠の人って」
「それは、凄く大きかったり、凄く臭くても出来るんじゃないの」
「どうでしょう。大きい方はむしろ立ち止まって見てしまいそうだし、面積が広い分ぶつかりそうですし、臭い方は鼻が詰まってると気が付かない可能性もありますよ。そういうの超越した感じなんですよ」
「ごめんごめん。なんとなくは伝わってるから大丈夫。閻魔大王ってやっぱり大きいの?」
「絵巻で大きくデフォルメされてるから、多少寄せてるそうですけど、あんまり大きいと動きにくいとかで、三メートルもないんじゃないでしょうか。と言っても身長だけが高いというわけではなくて、等倍した感じなので結構威圧感があるんですよ。見た目は人によって異なるそうですが、私は心の底から閻魔様を思い浮かべて裁判に行ったので、超閻魔様でした。これ以上ないってくらいに閻魔様」
「そうなんだ」
コスがやや興奮していたので、軽く手で制す。
「私からしたら神様仏様枠の方達ってなんていうか水っぽいんですよ。飲めて触れて、冷やせば固まるし、温めればその内消えるけど、空気中に霧散しているだけで存在自体がなくなるわけではなくて、その上、こんな感じの神様とお話ししたいな! って裁判に行けばその通りの姿で迎えてくれる優しさまで兼ね備えていて、文句の付け所無しですよ。流石神様仏様。初江王には毎回超イケメン紳士で会って貰ってて、しかもちゃんとドSな……」
全然制せなかった。
コスはこのまま衣装作りに飽きなければ、三十三回忌の慈恩王まで会いたいと思っている、という。
異議あり上告って、ひょっとして十王に会いたかっただけかと問えば、
「推しのお渡し会に参加しない理由が分かりません」
と、キリっと言われた。推しの裁判官てなに。
「二七日裁判は盗みの記憶が無いんじゃ間違いなく、神様仏様枠判定でしょうから、勝ったも同然ですね」
と、笑顔で送り出された。
勝つって一体なにに?




