43 海苔・梅・わさび茶漬
「ちっす! って、またこのパターンすか、和香嬢、起きて!」
アケル君が配達に来た時、厳密に言えばちゃんと起きていた。
カウンターに突っ伏したまま、そう言えば昔はこんな感じで、起きているのに寝てるみたいな体勢でぼんやりしていたんだよなぁ、とか、なにを考えていたんだろうとか、シアタールームじゃ思考が再生されないから、子供目線の天井やら壁やら瞼の裏側やらの映像を見る羽目になるんだろうなぁ、とか、そんな事を考えていたので、片腕を持ち上げて、アケル君がいる方にパタパタと手を振って起きているアピールをする。
「何?」
近づいてきて後頭部を指で軽くトントンとノックされたので、諦めて起き上がる。
「別に」
「でた! 女の“別に”じゃないやつ! 和香嬢どっち?」
「どっちって?」
「あー、それ以上聞かないで欲しいか、むしろ聞き出して欲しいか」
「どっちか判別付かない女に交際を申し込んじゃ駄目だと思うよ? 本気でどっちでもいい」
「じゃ、聞こうかな、彼氏だし。その前に荷物片付けるっすよ」
アケル君は軽く言って、私用の脚立とコーヒー・ティーサーバーを五個、ベーコンを厨房に運んで、ついでに仕舞ってくれた。
茉里奈からはグレープフルーツ。他の自分用らしき二点は聞いてもなんだかよく分からないカタカナの物で、アケル君が部屋の前に置いてきてくれる。
その間に、厨房側に置いていた椅子を客席側に移動して、元々持っていた脚立を椅子代わりに出して、新しく貰った脚立を片付けた。
グレープフルーツを一つ取って洗っていたらアケル君が降りてきて笑う。
「配達終わりっと」
「ありがとう」
「さて、和香嬢、口で話すのと覗かれるのどっちがいっすか?」
「わぁ、さらっと変な事言われた」
「どっちでもいいんなら覗くけど」
「どっちでもいいんだけれどもさ、言い方ってものがありますよねぇ?」
「グレープフルーツってそんなに親の仇みたいに洗うもん?」
「ねぇ、親の仇を洗うのって家の親が大型犬に噛み殺されたみたいな感じがして嫌なんだけど。犬が可哀そう」
「そういう意味じゃねぇ」
ケラケラと笑いながら、アケル君が頭頂部に手を置いた。
「引っこ抜かれたマンドラゴラ感」
洗う手を止めて目線だけ動かして呟けば、非常に微妙な顔をしてから手を放す。
今の少しの時間でなにか覗いたのだろうか?
アケル君からなにか言ってくるまでは、特に言う事も無かったので、グレープフルーツをキッチンペーパーで拭き、包丁を使ってぐるりと切り込みを入れて丁寧に皮を剥く。
「記憶喪失ってあるじゃないっすか」
「記憶障害ね」
「あれって目の前の人の事は思い出せないけど飯は普通に食えるんすよね」
「そうね。エピソード記憶よりは手続き記憶の方が残る率は高いと思う」
「詳しっすね」
「調べたことがあるからね」
「例え話をしようとして失敗する事ってあるんすね」
「失敗したのね?」
「そっすね」
なにやら考え込んでいるので、保存容器に剥いたグレープフルーツの皮を入れて、水を入れて蓋をする。
果肉の方の薄皮を取りながら、アケル君の次の言葉を待った。
「え? 記憶喪失って飯の食い方忘れるんすか?」
唐突にやや大きめの声で驚いたので、こっちが驚いた。
びっくりしたので剥いたばかりのグレープフルーツをつい口にねじ込んでしまった。
「箸とか使った食事を忘れる事はあるでしょうね。口に何かが入って、飲み込むまでの、食べるという動作自体は反射だから、記憶とはまた違うって事だと思うけど。赤ちゃんが手づかみでなんでも口に入れるの見た事ない?」
「取りあえず突っ込まれたら飲んじゃうっすもんね。旨いっす、このレモン」
「グレープフルーツだけど」
「グレープフルーツってピンクっすよね?」
「ピンクとかルビーが頭に付くグレープフルーツはね。配達内容把握してないの?」
「あ、そっか。思い込みってすげっすね」
「大きさも形状も違うと思うけど」
「柑橘系は黄色のレモン味かオレンジ色のミカン味で区別するじゃないっすか」
「しないけど。ちょっと待て、レタスとキャベツの区別はつく?」
「とんかつについて来るのがキャベツで、焼肉について来るのがレタス」
「そ……」
そんな馬鹿なと言いかけて言葉を飲み込む。
人の顔に関しては私も大差がないような気がするし、さっきから話の腰を折りまくっている気もした。
「そ?」
「なんでもない」
「また? ……はは、確かに」
アケル君が笑っている。
笑うなよ。このタイミングで思考を覗くなよ。
アケル君はそのままポットに手を伸ばして、インスタントコーヒーのラベルを見ながら、ちっきり分量を量ってコーヒーを入れた。
「少なっ」
「カップに合わせると倍にしないと」
そういえば一般家庭では容量二〇〇ミリリットル以下のカップを常時利用しているのだろうか。
お客様用の容量の小さいカップは確かにそんなものだけれど、マグカップって、三〇〇はあると思うんだけど。
剥いた果肉をタッパに仕舞い、そのままデザートか、サラダにもいいし、このまま増えるならジュースにしてもいいな、と使用用途を考える。
ゼラチンを入手すればゼリーって手もあるし、お菓子ならチーズケーキなんかと合わせてもいいかなぁ。
「分裂体って、配達に行く自分と、指示を出す自分が居て初めてなりたつんすけど、後はオートで、蓄積された自分が自分らしく動きはするけど、配達して来いってのがないと、分裂し損状態で、隣でぼーっとしてるんですよね」
ぼそっと、独り言に近いようなテンションでアケル君が言うので、想像してみたら可笑しかった。
「そう言えば疲れたりするの? 出せる人数にバラつきがあるでしょう? 制御とか内容把握の問題だと思ってたんだけど、それ以外に、って意味で」
「ないっすよ。隣でぼーっとさせとくだけなら何体でも行けんじゃないかな。体数を把握してないと無理だけど」
「シュール。皆で国家斉唱とかは?」
「あー、出来そうだな、特に制御しなくていいし、内容把握しなくていいから。でもぜってぇうるせぇ」
「アケル君、普段は下っ端口調だけど、基本的に口悪いよね」
「下っ端口調」
ははっと、笑って、コーヒーを飲む仕草も割と豪快だ。持ち手が付いているのに、持ち手を使うのはカップを取ったり置く時だけで、飲む時は反対の手に持ち替えてカップを直持ちしている。
「つるんでんのが一緒に死んだわけじゃないし、周り年上ばっかだったから、初手でこの口調にしたんすけど、考え事とかは元のまんまだし、特に世間がとか、年齢的とかってのもない上に、誰にも矯正されないっすからね」
「ちょいちょい素になるから、面白いよ。長いから癖にはなったのかな?」
「なってるっすね。すねって言うっすね」
「そうっすね」
「まぁ、いいや。この後は予定通りシアタールーム? あんま意味無いと思うけど」
「考えるの忘れてた。どうしようかな。私も意味が無いような気がしてきたんだよね。なにせ言われなきゃ何もやらない……」
ああ、アケル君、そこまで覗いてたのか。
ぼんやりと、思う。
お前なんて指示出ししてない分裂体と一緒って事?
どうせまだ覗き続けているのでしょう、と、見れば、口のへの字にしている。
「悪口は言ってない」
「じゃなんなの?」
「俺的には割と励ましてる」
「あれで?」
「分裂体はロボットみたいなもんだから、勝手に考え事とかしねぇし、やりたい事もねぇ。そのまま地球に送り込んだら窒息して死ぬ。三十四まで普通に生きてたんなら個性的だっただけで普通に人間してたんじゃねぇの?」
「で?」
どの辺が励ましているのか? ちょっと良く分からない。
首を傾げたら、はぁ、とため息を付いた。面倒な女ですまないとは思っている。
「気分転換しようと思っても、気分転換出来た記憶が無いと出来ないっすよね?」
「そうね、なにが気分転換になるのかわからないから手あたり次第試すしかないでしょうね」
「じゃ、好きにした記憶が無いなら好きにしろって言われても出来ないんじゃないっすか?」
その理論は理解出来はする、けれど。引っかかるのだ。
「その他大勢は好きに出来てたんだよ? 本を読んだり、体を動かしたり、喋ったり、ちゃんと好きな事を……あ!」
好きにした記憶の前に、好きにする為の行為に心当たりがなかった。
本は読んだことがある。夢中になった事もあるし、好きではあるけれど、持ち歩く程では無かったし、教科書を読むという行為で代用できる程は好きではない。時間つぶしの方がしっくりくる。
体を動かすのも別に嫌いではないけれど、目的が無いと動く気にはならない程度で、好きではない。
喋るのは面倒だった。話が通じない方だったし、通じるように頑張る気合もなかった。
今、あの教室に連れていかれて、好きにしてて、と言われたら何をするだろうか。
「……ちょっと想定してたのと違うんすけど……まぁ、融通がきかなかったんすね。時間を潰せって言われてたらなんとかなったんじゃないっすか?」
「かも」
「もっと前に、言われた事だけやれとでも言われたんじゃないっすか? それなら盗みの数が少ないのもあり得るっすよ」
「それは、あり得るかもしれないけど」
三~四歳で既にああだったと考えると、それより前、言われた意味を理解出来たかどうかも怪しくなってくる。
言うとしたら母だろうし、実際小学校以降で言われた覚えもあるけれど、その前となると、少し考えにくい。
兄にはそういうところも無かったし、甥姪に対する態度にしてもそうだ。
衝動的に怒る以外は無いと思う。
誰に言われたんだろう。それこそシアタールームで見れば分かるのかな。
「止めはしないっすけど」
「いつまで覗いてんの?」
「喋んないんでいいと楽っすよね?」
「楽だけれども」
そういう事を言われると、定番かもしれないけど悪口を思考したくなる。
アケル君のばーかばーか。
想定通りアケル君がケラケラと笑うので、留飲が下がった。
「気持ちの切り替えに早めの軽いお昼でもどう? お茶漬けとか」
「いっすね」
「お茶漬けってどんなの食べてた?」
冷蔵庫を覗きながら聞くと、ふぇっと気の抜けた声が返って来た。
「居酒屋のか、コンビニのおにぎりにお湯掛けたやつ」
そういう事を聞きたかったんじゃないんだけど。
鍋に湯を沸かし、沸いたら顆粒出汁を入れて火を止めて、届いたばかりのコーヒー・ティーサーバーの一つに、プレス部分を外して入れる。別のサーバーに緑茶、もう一つにほうじ茶も入れる。
長ネギは白髪ねぎに、切ったら冷水につけて、梅干は種を取って半分にして、海苔はキッチンバサミで細かくして、鰹節粉とわさびと醤油、これで準備はOK。
味噌汁用の椀を六個出して、自分の分には二~三口分、アケル君の分は四~五口分のご飯をよそう。
一つには白髪ねぎを入れわさびを、一つには少量の海苔と梅干を、一つには海苔と鰹節粉を、それぞれ入れて、カウンターに並べる。
「具材はともかく、インスタントとお湯以外のお茶漬けなら、この辺りだと思う」
「ああ、居酒屋だと鮭とか色々はいってっすもんね。色見るに実家はほうじ茶だったのかも」
「出汁に醤油を入れている場合があるからどうかな。ま、食べてみましょうか、どれから行く?」
「こういうのって味が薄いのから行くんすよね? 分かんねぇし、お任せで」
「うーん、ネギの味が結構口に残るから、海苔、梅、わさび、かなぁ」
海苔茶漬用の椀にほうじ茶を注いで、軽く醤油を入れて完成させる。
「「いただきます」」
さっと箸でご飯をほぐして、椀に直接口を付けて、さぷさぷとご飯をかき込んだ。
「旨いっすね! 瞬殺っす!」
「お行儀は悪いんだろうけど、かき込むの美味しいよね」
二杯目の梅茶漬は緑茶を注ぐ。
こちらも箸でご飯をほぐしてから、梅干を潰すか齧りながらかでちょっと迷ったけど、なにせ量が少な目なので、さっくり半分にしてからかき込んだ。
アケル君は迷いなくかき込んで、梅干だけ口に残ったらしく、酸っぱ! と追加で椀に緑茶を注いで、飲んでいる。
慌てるなかれ。
三杯目のわさび茶漬には出汁をかける。
勢いのままご飯をほぐして、かき込んで、ほうっと、久しぶりに食べるシンプルなお茶漬けも良いなぁ、と一息ついていたら、アケル君は名残惜しそうに、最後の一かき込み分にほんの少し醤油をたらしてから食べきった。
「「ごちそうさまでした」」
ふう、と、余ったお茶貰っちゃっていっすか? とアケル君が椀に入れようとするので、ちょっと待てと、カップを持ってきて渡すと、ほうじ茶を入れたので、私は緑茶の残りをカップに注いだ。
「実家のは最後のやつが近かったす。鮭とごまと海苔だったかな、量食べるからって、外食前とか、変な時間に食わされてたの思い出した」
わぁ、聞いたことがある。それが例え回転ずしであったとしても、家を出る前におにぎりを食べさせる、世の母の愚痴。
アケル君はヘラりと笑って、運動部だとなお、と言うので、こいつまだ覗いてたのか、と思って、早く仕事に戻れよ、と思考しておいた。




