41 ハートパイ(パルミエ)
「好きです! 付き合ってくださいっ!」
取りあえず掴まれていない方の手で殴った。
「絶対、俺に対して容赦がねぇ!」
パッと私から手を放して顔を抑えるアケル君。自業自得である。
茉里奈は目を丸くして驚いていて、大先輩の方は苦笑いを浮かべているので、会話は中断したようだ。
天使が通ったはフランスの諺だったか、一瞬にして気まずさを含んだ沈黙状態になってしまったので、聞いてみる。
「……外郎売はもういいんですか?」
アケル君の目くばせの後に、大先輩が口を開く。
「介入が遅れて不快にさせたなら申し訳なかった」
「普通は気が付かねぇから」
「私が無神経だったようです」
アケル君がぼそりと重ねるように呟いて、茉里奈がそれに続いた。
私に聞かせたくない話であった事はなんとなく分かるけれど、なんだろう、スッキリしない。
ムっとする、というやつかな。別に怒る事でもないのだけれど。
大先輩もなぁ。佐藤さんから愛は重いけど頼れる人と聞いていたけれど、ああ、人間の常識が通じない事もあるんだっけ。
あれ? 介入?
「そんなに厳密に介入するぞ、と思って介入するものなんですか? 自動的に切り替わるものだとばかり」
「ふむ。こちらは聞かせたくなく、茉里奈嬢は聞かせても構わなかった。主導権譲渡が機能せず、会話が消失したので、主導権を取ったが、主導権を取っている最中だったので、会話の挿げ替えが正常通り機能出来なかった、という事なんだが」
「なんだがと言われましても」
外出する時にどちらかが主導権を持っていないと景色が消失する現象が、会話でも起こるということ、らしい。
とは、理解が出来たけれど、会話が消失するというのが良く分からなかった。
どういうこと? と思いながら急須を覗いてみたら、お茶が丁度良さそうだったので、お茶を入れる。
一人、二~三口の一番煎じ。二番煎じ様に丼にもお湯を入れておく。
皆にもどうぞと声をかけて、こくりと、飲み干して、再び丼から急須に湯を移す。
「ああ、旨いな。もう一杯頂きたい」
大先輩が微笑んだ。
ええ。なにそれ、カッコいい。
茉里奈とアケル君はこいつら何なんだと言いたげな、微妙な顔をしてお茶を飲んだので、二番煎じを注いで、改めて一息ついてから、疑問を口にする。
「会話が消失しても、無言になるだけなら問題は無いように思うのですけれど」
「音声、という意味ではそうだが、思考という意味では繋がるではないか」
「はい?」
大先輩は、首を傾げる私に首を傾げ、アケル君を見た。
「繋がらないっすよ」
「そうだったか?」
「人枠理論ってやつ」
「ああ」
二人で何やら分かりあっているので、こっちは茉里奈と目を合わせて、肩をすくめあう。
多分、私たちの顔に、説明プリーズと書いてあるのだろう、大先輩が教えてくれた。
「人である、という認識が、出来ることを制限するというものがあってな。人枠理論と呼んでいる。
元来こちらの住人に言葉はなく、隠し事という概念も特にない。邂逅時にすべて繋がってしまうような生命だ。
そう言った理の中に我々の様に人の記憶を持っていると、意思疎通には対話を使うが、使っていると思っているだけで実は使っていない、という事が起こるわけだが、分かるかね?」
そんなもんすぐに咀嚼出来てたまるか。
「うーん。こっちの人って、会うとお互いのこれまでの出来事が全部分かる、テレパシーとか、魔法みたいな力を持ってるんすよ。だからわざわざ喋らない。
多分自分たちにも出来るんすけど、嫌じゃないっすか、全部知られるのって。出来れば知られる人は選びたいし。
だから生きてた頃と同じように、相手によって喋る内容も変えるし、言わなかったり、嘘ついたりするんすけど、それはあくまで人としての常識であって、太陽系第三惑星地球でしか通用しない常識なんすよね。こっちの人らから見たら、あいつらわざわざ音立てて何してんだ? って感じで」
「あ! 第一裁判の時! 喋ってないのに会話が成立してて、声にも出していないことにお返事をしないでいただきたいって思ったら、判別が難しいって! あの時! そういう事か!」
「それっすね」
アケル君はちょっと笑って頷いた。
「うわぁ、大先輩の人間辞め度結構な進捗具合ですね」
思わず口に出したら、大先輩は苦笑いを浮かべた。
「外国語が日本語変換されるのもそれですか?」
到着初日に訪ねて来た人や、電車で遭遇した人を思い返して重ねて聞けば、そうだと言う。
「ひょっとして、味覚と同じですか? 知っている事に変換される……私と和香さんで聞こえていると思っている音声が違ったりしますか?」
「自分はちゃんと喋ってるんで同じっすよ。先輩の方は喋ってないんで、違うと思うっすけど」
喋ってなかったの!?
アケル君の回答に、茉里奈と一緒になって大先輩を見てしまった。
「見た目と雰囲気で多少語彙や語尾の差異はあるとは思うが、内容に齟齬はないから安心しなさい」
「茉里奈、ちょっと武士よりの現代語よね?」
「すみません、箇条書きで聞こえてました。一人称は某です」
大分違った!
「……喋った方がいいのか? 武士では無く僧侶だったし、戦国時代じゃあるまいし、某は……」
大先輩はちょっとショックだったようで、遠い目をしている。
隣でアケル君はゲラゲラ笑っていた。通常運転だ。
はぁ、と息を吐いてから、茉里奈は言う。
「私、あまり和香さんの気持ちを考えていなくて、安易に和香さんがまだ知らない事を喋ろうとしてしまったんです。今でも、多分、和香さんは聞いても大丈夫とは思っているんですが、お二人は違うんですよね?」
答えたのはアケル君だった。
「大丈夫、大丈夫じゃないって話じゃなくてさ、順番かな? って思ったんだよ。一を知って、いきなり十を教えられても、知っているだけで扱えないだろ? 和香嬢の場合は自力で十まで辿り着きそうだし」
掛け算九九の暗唱と同じだな、と思って、それから裁判官の思考読みも思い出して、ああ、と腑に落ちる。
これから教わる事を先聞きしていたって、教わってからでないと分からない。
裁判官の前では喋らなくてもいいと言われていたら、どうなっていただろう。
なんで喋らなくていいんだろう? と考えてしまって裁判が進まなかったかもしれない。
確かに、経験した事に説明が付いた方が、私にはわかりやすいみたいだ。
「まぁ、聞こえちゃってもそこそこ流しちゃうところがあるから、大丈夫ってのも間違ってないと思うけど。考えるの苦手だし。
と、言うわけで、どうぞ、大先輩も茉里奈も、私に聞こえない様にお喋りして良いですよ。事情は分かったので。
私は朝食の仕込みでもするので、何か適当に、童話にでも挿げ替えてください。
あ、アケル君は帰っていいよ?」
「手伝うっすよ!」
ムッとしてから笑って立ち上がるアケル君と厨房側に移動する。
大先輩と茉里奈は顔を見合わせてから喋り始めた様だが、音声は無かった。
「て、ゆーか、アケル君、料理出来るの?」
「出来ないっすね! でもなんか場面的に帰る感じじゃないっすよね!」
「ああ、そうね。丁度いいや、粘土っぽい作業をさせてあげましょう」
私は冷蔵庫に入れて置いたパイ生地を四分割して一枚をアケル君に渡し、麺棒で伸ばして、オーブンに入れられるフライパンに敷く様にお願いしてみた。
「何になるんすか?」
「キッシュ。それは土台になるパイ生地」
「あ! 俺、あれ食べたい、ハート型の何とかパイ」
「ハートパイ?」
仕舞おうと思っていたパイシートを少し伸ばしてから砂糖を振り、真ん中に向かって両端から四つ折にして、切って、天板に置いてあげる。
「こんな感じで、焼けると膨らんでハート型になるから、間隔開けて並べて、終わったら、更に砂糖をかける。先にそこまでやってくれる?」
「うっす」
オーブンを予熱スタートして、後はアケル君任せだ。
こっちはキッシュ用に、サラダミックスからほうれん草らしきものをピックアップ、玉ねぎは半分に切ってから細切り、ウインナーは輪切り、塩コショウで炒めて、粗熱を取るために一度皿に移す。
「出来たっすよ」
アケル君は思ったより几帳面だった。均等に、綺麗に並んでいる。
「じゃ、次はさっき言ったフライパンのやつお願い」
天板をオーブンに入れてから、ボウルを準備。
卵と生クリーム、は無いから、牛乳とバターで代用、チーズを刻んで塩コショウ、これだけで準備は完了。
作業しながらちょくちょくアケル君を見たら、実に丁寧にパイを敷いていた。
フライパンを生地の上にのせて軽く当たりを取ってから包丁で切り込みを入れ、器用にフライパンに敷いて、壁になる部分は一方向に倒して成型している。
私そこまでは教えてないけど。
「器用だね」
「そっすか? 粘土より柔らかいし、セメントより硬いから扱いやすいっすよ」
「底にこうやってフォークで穴をあけて」
ちょんちょんと三ヶ所程穴をあけると、嬉しそうに作業を続けてくれた。
ハートパイが焼きあがっているので、オーブンから出して、温度を上げて再予熱。
相変わらず網が無いので、作業台に天板ごと置いておく。すぐ冷めるでしょう。
「終わったっすよ。 お! 焼きあがったんすか! すげぇ。ホントにハート型になった!」
フォークを片手に嬉しそうに笑う。
今にも食べそうなので、熱いからもう少し待ちなさい、と、皿にペーパーナプキンを敷いて、菜箸を渡して皿に移すようにお願いして、パイ生地を敷いてもらったフライパンをオーブンへ。
二人で作業してるとサクサク進んでしまって、目が回りそうだ。
片付けられるものは片付けて、ハートパイ用に改めて飲み物を、と。何飲むかな。
「飲み物どうしよう? 紅茶?」
「なんでもいっすよ。自分、お茶は全部お茶味なんで」
「どうゆうこと?」
「緑茶とウーロン茶と麦茶は区別付くっすね。ほうじ茶と紅茶は区別つかねっす」
「聞かなきゃ良かった。じゃあ夜だしほうじ茶にしましょう」
「なんで夜だとほうじ茶なんすか?」
「カフェイン量が他の物より少ないから……」
ふと気になってアケル君の顔を覗き込む。
どんな顔してったっけ?
少し色素が薄いのか、黒というよりはこげ茶色の髪、目は細くて、笑うと無くなりそうだ。
鼻は私と同じくらいで、口は私よりデカい。
うーん、特徴的な位置にほくろでもあればいいんだけど無いなぁ。
「なんすか?」
「いや、どんな顔してたっけと思って」
「思い出しました?」
「そもそも覚えてなかった」
「ひどっ」
「お茶の区別は付くけど、顔の区別は付かないのよ」
「なるほど」
新しく電気ポットでお湯を沸かしながら、焼きあがったパイ生地をオーブンから出してハッとする。
やっちゃった、これ、どうやって取り出すんだろう?
ひっくり返してとんとん叩いたら取れた。ふっ素樹脂バンサイ。
フライパンに取り出しやすいようにクッキングシートを敷いてからパイ生地を戻し、炒めた具材と卵液を流しいれて再びオーブンに入れて、焼きあがったらそのまま入れて置いて、明日の朝は切って温めなおして食べればいいかな。
そうこうしている内にアケル君は片付けとお茶を入れるところまで終わらせてくれていた。
「おふたりー、お茶とお茶請けどうぞー」
軽めに声をかけて、茉里奈と大先輩の前にお茶とハートパイを置く。
「ありがとうございます」
「これはありがたい」
「あ、大先輩、カリッと焼いた油揚げに砂糖まぶした感じです」
注釈は忘れない。
振り返ったらアケル君はもう食べていた。
「旨いっすね」
私も一つ口に入れて、サクサクと咀嚼する。
「うん、甘くない生地だったからちょっと心配だったんだけど、美味しくできたわね」
アケル君は嬉しそうにポイポイと口に放り込んでいる。
ちょっとだけ悪戯をしたくなった。
見た目は若いが中身はおっさんだ。別にどう転んでも構わない。
「そう言えばアケル君、お返事がまだだったわ」
「はんほ?」
「私は別に好きじゃないけど、付き合っても良い」
ぶほっと、盛大に噴いたので、取りあえず殴っておいた。
そんなわけで、彼氏が出来ました。
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死亡 十一日目(五日目)
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入手品:豆苗/ノートパソコン/電気ポット/ニンニク
朝食:ホットなケーキ
昼食:袋麺その2
夕食:カジキの酢味噌だれ定食
間食:ハートパイ(パルミエ)




