40 カジキの酢味噌だれ定食
「……」
一人になったところで、私は直接床に座り込んでみた。
流石に寝る気にはならないけれど、なにか分かる事でもあるかと思ったのだ。
ああ、目線が全然違う。育ったんだなぁ。これはこれでちょっと感動する。
まぁ眠かったんだろうな、と結論付けて、そのまま携帯端末からパソコンを起動させて、音楽を流す。
最近流行りの曲が上がっている動画サイトで、自動再生にしているので、ランダムで流れ続けてくれるのでありがたい。
時間も中途半端だし、のんびり夕食と、朝食の仕込みをするのもいいかもしれない。
取りあえず着替えをして、と立ち上がってから、ふと思いついて、表に出て二階の窓を眺める。
昔、登って二階に上がれるのでは? と思ったことがあるのだ。
幸い今日はパンツスタイル。いい歳してアスレチックや水上公園で遊びたくなるようなソワソワした気持ちで、手順をイメージする。
仮に落ちても死ぬほどの高さじゃなさそうだし、どうせ誰も見ていないし来ないだろう。
助走をつけて壁を蹴って飛び上がり、雨どいの金具の辺りを狙って手を伸ばす。
普通なら壊れたりするのだろうが、ここでは壊れないという確証があった。
割れたりヒビが入っても不思議ではないような、雑な食器の運搬、壁に傷をつけそうな、雑なカラーボックスの移動。
気が付いたら付いているような傷やケガも無い。
気が付かなければ、そうなると思わなければ、多分問題ない。
勢いのまま自分を持ち上げるように腕に力をこめ、さらに壁を蹴って上体を上げ、反対の手でも雨どいを掴んで、
「っどわぁっ!」
失敗する。
最初に掴んだ手を放しそびれて、雨どいにしがみつく様な体勢になってしまった。
予定では反対の手でもう一段上の部分を掴んで、二階の窓枠に手が届く予定だったんだけれど。
残念だが諦めよう。
ずるずると雨どいを伝って降りる。
案の定手のひらには傷はおろか、汚れもついていなかった。
準備体操もしていないし、現実の世界でそんな事をしたら、あちこちの筋が痛そうだし、ねん挫くらいはしただろうな。
ちょっと楽しかったので、満足した私は、着替えるために家に戻った。
***
さて、のんびり時間をかけて料理とは言え、元来面倒くさがりな性分だ。
こちらに来てから時間をかけたのはクロワッサン位。
そうか、パイ生地でも作っておこうかな。
クロワッサンと同じようにバターを折り込むフイユタージュか、練りパイのパート・ブリゼかな。
砂糖を入れる練りパイのパート・シュクレ、あれはタルトっぽいし、食事に使い難いので却下。
うーん、バターシート作るのが面倒だし、間とって、フユイタージュラピッドで手を打とう。
結局面倒なんじゃないか、と自分に苦笑いしながら、材料を準備していく。
ようやくキッチンスケールと麺棒も使えるし、良かったと思おう。
無塩バターは大きめのサイコロ状にして、強力粉、薄力粉、塩少々に冷水。
準備は簡単だ。時間はかかるけれど、作業時間はそれ程でもない。でも力業だとは思う。
バターに粉を塗しきってから冷水を入れてまとめていく。
バターに小麦粉が絡みついているといった状態でまとまっていると言っていいのかいつも思うんだけど、力業はここからだ。
打ち粉をして、麺棒で上から押しつぶすように抑え伸ばしていく。
バターが台にくっつかない様に打ち粉をちょくちょくしなければならないが、折り込みパイのバター脱出に比べればストレスにはならない。あの作業を最後まで穏やかに遂行できる人を私は尊敬する。
三つ折りにして向きを変えてまた伸ばす。
形はガタガタだが何とか折って、ラップをして冷蔵庫にいれる。
一時間程寝かせるので、その間に二階からDVDボックスを持ってきて、パソコンでドラマを一話見る。相変わらず主人公はボコボコだった。続きが気になったけれど、流し見するのも勿体ないと、また音楽に切り替えてから作業を再開する。
まだまだどこにバターがいるのかわかる状態ではあるが、引き続き上から押しつぶすようにして、伸ばしていく。
四度目の折り込みの頃には大分形も整い始めるが、ここでまた寝かせる。
時間を見たらまだ余裕がありそうなので、ドラマをもう一話見て、五度目は四つ折り、六度目は三つ折りと、折り込み進めて、ちょっと悩んだが完成とした。
いや、なんか疲れたからなんだけど。きっちりラップをして冷蔵庫に入れる。
紅茶を入れて一息ついでに在庫食料を確認して、夕飯の献立を考える。
茉里奈から貰ったもので作りたいところだけど、そもそもあの子は今日夕飯を食べるのだろうか?
申告制なので、なにも言っていなかったのだから食べないという事だとは思うのだけれど、と、一応メッセージを送ってみる。
『今日はお夕飯いらない?』
すぐに返事が来た。
『考えていなかったのですが、折角のお声がけですので、いただきます。十九時に帰宅します』
『了解』
カジキマグロと豆苗は使うとして、さて、煮るか焼くか揚げるか蒸すか。
……茹でるか。
お湯を沸かしながら、材料を出して手順を考える。
ネギとカジキマグロを茹でて、豆苗はニンニクと炒めて、汁物はさっぱりとかきたま汁、もう一品、うーん、色が欲しいからミニトマトかミックスベジタブル……うん、ミニトマトも茹でて皮むきして、作っておいたツナとさっくり和えようかな。
米を研いで炊飯器はセットOK。カジキマグロは塩を振って少し寝かせておく。ミニトマトは少しだけ切り込みを入れて茹でて、その間にネギを斜めにカット、トマトを冷水に引き上げてからネギ投入。
カジキマグロをキッチンペーパーで押さえ拭いて、やや大きめの一口大に切ったら、ネギをボウルに引き上げてカジキマグロと交代。
ボウルに味噌とお酢とごま油でたれを作って、軽く水けを切りながらネギを入れて混ぜて、と。
ニンニクもスライスしておいて、豆苗は丁寧に調理ばさみを使って収穫、軽く水で洗ってからザルに置いて水けを切っておこう。
カジキマグロの鍋をぐるっと回して茹で状態を確認、卵も割って混ぜほぐして置いておく。
ツナもボウルにほぐして、塩と胡椒で具沢山ソース風に……玉ねぎもちょっとだけ入れようかな? と思いつつ、そこに割り込む時間は無いかなぁ。反省。次回に生かしましょう。
先に茹ったカジキマグロをちょんちょんと水けを切りながら、ボウルに引き上げ、上からたれを絡ませたネギを乗せて味をなじませておく。ボウルに残ったたれは盛り付けの時に使うからそのままにして、と。
フライパンを温めて油を引きニンニクを投入、香りが出るまで煽ったら、豆苗を入れて、鷹の爪が無いから一味と、塩と顆粒鶏ガラで味を付けて、直ぐに皿に移す。
かきたま汁用の鍋に顆粒和風だしを入れて、みりんはちょっと、お醤油で美味しそう! と思える感じで色付け、塩味が不足していれば塩を足すところだけれど、このままで良さそうだ。
ミニトマトの皮をむいて小鉢に入れている間に、汁用鍋も沸騰寸前、溶き卵を入れて、箸でゆっくりと混ぜたら火を止める。
小鉢のミニトマトにツナのたれをかけて、平皿に豆苗のニンニク炒めと、カジキマグロを盛り付けてたれをかけて、白菜と大根皮の漬物を小皿に出したら、使ったものを食洗機に入れていく。
後はご飯と汁物をよそえば完成、というタイミングで、アケル君と大先輩がやって来た。
「こんばんはー」
「お邪魔します」
やっぱり早速連れて来たのか。多めに作っておいてよかった。
「いらっしゃい」
「お声がけ感謝する」
大先輩がとても嬉しそうにそう言うので、つられて笑って、席をすすめた。
「どういたしまして、どうぞ、座ってください。ちょっとお待ちくださいね。茉里奈ももう帰ってくるので」
「あ、自分手伝うっすよ!」
アケル君がひょこっと厨房に回り込んでくる。
「じゃあ、そっち運んでもらおうかな。こっちよそっちゃうから」
アケル君に運んでもらいながら、ご飯とかきたま汁を用意して、お茶を入れていたら茉里奈が帰って来た。
「ただいま帰りました!」
学んだのか、ただいまなさいとは言わない。残念だ。
アケル君と大先輩に気が付いて、挨拶をしたあと、配膳が終わっているのを見て、慌てて手を洗って、席に着く。
「まぁ、取りあえず食べちゃいましょうか」
今日のメニューを説明してから音頭をとる。
「はい、合掌」
「「「「パンッ」」」」
「「「「いただきます」」」」
あまりにもちゃんとそろい過ぎて面白かった。
「あ、美味しい。カジキって茹でても美味しいですね」
「サッパリしすぎちゃうからタレにごま油いれるんだけど、結構イイ感じでしょ?」
「旨いっすよ! あ、この草って結局カイワレ大根味で食べればいいんすか?」
「あ、そっか、これ大先輩も分からないですよね」
「分かりませんな」
「うーん、辛くないカイワレ大根、香りの無い三つ葉、えぐみの少ない水菜……」
「良いところを削いだように聞こえますな。何故にそのような物を食すように?」
「ええ? 説明するほど知識が無いんですけれど、栄養が豊富とか言いますね。別に悪くないですよ、私は好きです。えんどう豆を育てたものなので、ほんのり豆味で」
「ダメだ、全然分からなくなってきた! もやし味で食うっすよ! うまっ!」
「全国の豆苗農園に謝れ」
「なんで!?」
「謝った方が良いな」
「同意します」
「なんで!?」
今日も楽しい我が家の食卓である。
食べても意味が無いとわかりつつ、こうして一緒に食事をするのは楽しいものだ。
どこか穏やかな気分で食事を終えたので、今日は丁寧にお茶を入れることにした。
湯冷ましが無いので、ポットから丼にお湯を入れて、冷ましながら湯呑と急須、茶葉を用意する。
「結構冷ますんですね」
「電気ポットの温度設定にもよるけど、峰岸さんがくれた茶葉、結構いいのっぽいから、低めでじっくりかな、と思って」
丼の温度を手のひらで確認してから、急須にお湯を入れる。
「急にワイルドっすね」
「湯冷ましがないばかりに」
だっぱっと注ぎ入れたら零れた。
大先輩は微笑ましく見守ってくれている。
急須の蓋はせずに、茶葉が開くのを待つ。
「そういえば、茉里奈が大先輩が夢に出てきたって」
「そうなんですよ! その節は大変お世話になりました」
「ははは。夢の話だ」
「お仕事の一環だと伺いました。ありがとうございました」
茉里奈はニコニコと笑顔で言う。
少しだけ空気が変わったような気がして、あれ? と思う。
本当に些細な引っ掛かりで、無意識の内に大先輩へ目を向けた。
「拙者親方と申すは、お立合いの中にご存知のお方もござりましょうが、お江戸を発って二十里上方……」
外郎売? と思った時にはアケル君に腕を掴まれていた。




