34 クランペット
『ゴッ』
カウンターに頭を打った重たい音がした。
振り向いたら先輩山田さんが頭を押さえている。
痛くは無いはずなので、びっくりしたのかな?
茉里奈は無表情だ。先輩山田さんに驚いてはいるけれど、こちらの話は聞いていなかったのかもしれない。
大先輩山田さんの方は動じた様子もなく、ふむ、とお茶を飲んでいる。
「確かに同一人物なら区別は付きませんな」
「ただでさえ人の顔を覚えるのは苦手なので混乱しますよ」
「二体空いているので出してみましょう」
「え? 混乱するって言ってるのに」
スーッと大先輩山田さんがぶれて三人になる。
全部同じ動き、同じ目線なので、乱視の人の月が三つに見えるってこんな感じなのかな。
と思ったら、全員がこっちを向いたので、違う目線になった。
なるほど三体同時出現。悪の秘密結社にいそう。あるのかな、秘密結社。
「朝の挨拶と届け物の確認、話すことが確定していれば、受け答えはそれ程難しい事でもありませんな」
ふっと、元の一体に戻る。
先輩山田さんの方はあわあわとカウンターをぺしぺし叩いている。
え? これ禁則事項かなにか? 佐藤さん普通に暴露してたけど。
茉里奈は携帯端末を見ていて気が付いていなかったのか、変な気配に首だけ傾けた様だ。
「便利ですね」
「人手不足でして」
「逼迫していらっしゃる」
「ええ、苦肉の策です」
「ええと、それじゃ、気を使って雑談しているわけではないなら、すっぱりとご用件を」
「地獄で暮らしませんか?」
「もう住んでますよ」
「人間辞めて鬼になりませんかな?」
「言い方が変わっただけで内容は一緒では?」
「いつ条件が達成できるかも分からない状態で裁判を終えて、その先も留まらないといけないと思うより、さっさと諦めて貰えれば我々も助かるという話です。
餃子の皮を四角くしてしまうくらいだ、諦めるのは得意でしょう?」
「餃子の皮諦めるのとは流石にちょっと違いませんかねぇ」
「些細な違いですな」
「……人手不足なんですね」
「逼迫しているんです」
「それは窮余の策のしたいんですがねぇ」
人間を辞めようと思っていたら三食食べませんよと。コンとカウンターを叩く。
茉里奈が笑いを堪えているのが視界の端に入ったので、先輩山田さんの方もちらりと確認したら、こちらはまたカウンターに突っ伏している。
「ひょっとして茉里奈には別の話をしてる事になってます?」
「あいつの恋愛遍歴ですな」
「うわぁ、そっちの方が気になる」
「ふむ、同時に認識してみますか? 文字を読みながら喋れるかな?」
「? 出来ると思いますけど?」
仕事でパソコンを使いながら話をすることもあったし、本を読んでいる時に話かけられたりした事もある。
若干、どちらかが雑な認識にはなるけれど、無理ではない。
「彼女の方は地獄の暮らしは合わないと思っていますが」
『大体こいつは誰の事でも好きになってすぐ告白して振られるんですよ』
大先輩山田さんが口を開くと同時に、映画字幕の様に視界の端に文字が出た。
「ええー、何だこれ」
『あはは、やりそうー』
自分のつぶやきにも文字が出る。
否、思ってないからね? ちょっとしか思ってないからね。
「人によって処理方法は色々ではありますが、概ねこうして同時進行で物事を進めている」
『担当死者に告白するのもこいつ位だ。誰とでも仲良くなるのは美点とは思うが』
「視界は? デュアルディスプレイみたいな感じなのかしら?」
『博愛主義? 無節操? でも険悪にならないならいいのかな』
「ゲーム画面とか、監視カメラ画面とか、そんな説明が分かりやすいようですな。分裂するのもここ三十年位の技術で」
『もう少し軽薄ですな。落としたものを拾っただけで結婚までいけますよ、こいつは』
「ああ、先輩山田氏、それはもう、病気の域」
『ああ、先輩山田氏、それはもう、病気の域』
同じ内容になってしまった。
「ははは。慣れないとそういう事もありますな。
会話も、蓄積された会話から成立するように勝手なる。
後で何を話していたかだけを確認すれば済む事。
同時に把握して進行する事も稀ですから、こちらの労力はそれ程でもない」
字幕が出なかったので、楽に話せるように消してくれたのだろう。
「動きは? 歩いたり、荷物を運んだりしているでしょう?」
「迎えてくれた側の想像通りに。こちらで調整する事は少ないですな」
「はぁ。なんでもありですね」
「まぁ、最終手段にするというなら気長に勧誘するとしましょう。聞きたい事があれば聞いてください」
「勧誘はされ続けるんですね」
なし崩しぼんやり危険と思ったばかりでなのになぁ。
こうするって割り切るのは得意ではあるけれど、基本的に人生はなるようになる、と思っている私にこの決断は難しいのだ。
勧誘され続けるとそれこそなし崩し的に地獄に住みますと裁判終了前に宣言してしまうかもしれない。
流されたいわけではないので、悩んでいるくらいならば、と、自分で選ぶまではそっとしておいて欲しところだ。
うん? 店にされちゃうかもと地獄在住になれだから違う話のような気がしてたけれどこれ同じ話じゃない?
危な。
「取りあえず、もう少し地獄を知らないとなんとも言えませんよ。裁判終わりまではあれこれ考えます」
「考えるのは苦手であろう? どうせ面倒になって裁判が終わるまでと先送りにするなら今決めても同じこと」
「……読まないでください」
げんなりしながらパン、と手を叩いて話を終わらせる。
「茉里奈、そっち決まった?」
「これでどうですか? 業務用なんですけど」
携帯端末を見せてくれたので、ぱっとみて、いいね、と軽く返事をする。
先輩山田さんが恨めし気にこちらを見ていた。会話のログって後で手に入るのかな。
「山田さん、また別の山田さん連れてくるなら名前教えておいて欲しいんだけど」
「ほえ? 自分のですか?」
「そう、私の担当の山田さん。あ、好きになったとか気があるとかじゃないからね。不便だから、だから」
「女子はそうやって思わせぶりな態度で期待させますよね! ダメっすよそうゆうの!」
茉里奈がどこまで本気で言ってます? とふきだしたので、先輩山田さんはだんだんっとカウンターを叩いてから、すいっと文字を書く様に指を動かした。
「下の名前でいいっすよね。空って書いてあけるです」
あまり使われることもなくなったであろう名前を、誇らしげに教えてくれる。
顔と雰囲気に違和感のない名前だと思った。
「へぇ、いい名前。似合ってるね。そっちの大先輩は?」
ピッと指をさすと、大先輩山田さんの方は些か不服そうに口を開く。
「はくゆう」
「はくゆう?」
「白い雄と書きますが、まぁ、見たままですな」
「今ならむしろカッコいい名前って言われそうですけれど、不服なんですね。そういえばお生まれはいつなんですか?」
「捨て子故適当につけられたようで好きませんね。生まれは嘉永三年です」
「かえい? 茉里奈分かる?」
「分かりませんけど」
「江戸後期っすよ」
「江戸時代!」
「和香さん、捨て子の方もう少し気にしましょう!」
「え? なんで?」
「気にしなくて構いませんが、呼ぶのでしたら山田が良いですな」
「じゃあこのまま大先輩で行きましょう」
「ははは、なにやら気恥ずかしいですな」
ケラケラ笑いながら二人の山田さんは帰って行った。
うーん、佐藤さんになにか策略でもあるのか、たまたま声をかけた人がまずかったのか。
いずれにしても少し手のひらで転がされたような気分。なんだろ。
「茉里奈、ごめんね、夕食は完全に巻き込んでるよね」
「働いたことが無かったので楽しかったです。ウェイトレスさんみたいで」
「そう? ありがとう」
茉里奈のしてくれたことは食事を運んだことなので、働く、というのとは厳密にいうと違う。お手伝いの方が近いが、そんな世知辛い事を言っても切ないので黙っておく。
「今日は先にお風呂に入ってお部屋にいるので、何かあれば声をかけてください」
そう言って、茉里奈は二階に上がった。
さて、どうしようかな。
取り敢えず明日の朝ごはんでも仕込みましょうかねー。
小麦粉に砂糖と塩、ドライイーストをボウルに入れ混ぜ合わせてから豆乳を入れ、ホットケーキくらいの硬さまで混ぜたら、大きめの保存容器に入れて冷蔵庫で寝かせる。
増えるのかちゃんと醗酵するのか、今までの感じなら多分醗酵するはずだ。
ドライベリーを白ワインで煮詰めながら、やっぱりベーキングパウダーかな、と、明日欲しい物を考えつつ、明日したい事も考えてみる。
ああ、そうだ、作務衣着てあの店に遊びに行こうかな。お昼にお弁当でも持って。
作った食べ物を食べさせたい、とは、実はあまり思わない。でも、食べて嬉しそうにされるのは嬉しいのだ。
着ている所を見たら嬉しいんじゃないだろうか。ただの思い付きだけど。
それからシアタールームに行って、盗みに関する部分抜粋版が見れれば見て、そんな風になんとなく日々やりたい事が出来ていくから、本当に考えるのが苦手な私はこのままなにも考えずに住めてしまいそうだ。
彼女には向いていないと大先輩が言っていたけれど、私は向いているという事なんだろうか。
茉里奈は、どういう風に地獄だなどと思っているのかな。今日も楽しそうに笑っていたので、言うほど思っていないのか、隠すのが上手いのか、分からない。
かすかに聞こえる生活音を耳に、私はずっとかけたままだった暖簾を思い出して店内に入れる。
「閉店っと」
呟いてから危ない危ないと、重ねて思って、自室に戻った。
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死亡 九日目(三日目)
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入手品:白菜/長ネギ/豚肉/ハンドブレンダー/ビール/大根/セロリ/メープルシロップ
朝食:朝粥
間食:パンの耳ラスク
昼食:パンピザ
夕食:棒餃子定食
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朝はいつも通りに起きて一階の掃除を終えてから朝食の準備をする。
一階にいる間は暖簾は表に出して、外出や二階に上がる時に暖簾は店内に入れることに決めた。
今朝は昨日準備していた生地をフライパンで焼いたイギリス版パンケーキのクランペット。
無事保存容器の中で醗酵してぷつぷつとした生地が出来上がっている。
保存分も焼いて、おかずは目玉焼きと茹でたウインナー、申し訳程度にサラダを付けて、ドライベリーのジャムだかコンポートだかなんだか分からないソースも付けた。
飲み物は紅茶かな。
茉里奈はまだ寝ているようで、二階の掃除も始まっていない。
そう言えばどうやって起きてるんだろう? 目覚まし時計? テレビ?
ご飯は出来たけれど、別に食べなくても健康は害さない。
どうしようかとは思ったけれど、朝食は一緒にとるという話にはなっているし、取りあえず起こすかと二階に上がった。
「茉里奈ー? まだ寝るー?」
部屋の扉をノックしながら大きめの声で聞いてみたが返答はない。
寝てる間に出かけたとか?
「茉里奈ー? 開けるよー?」
プライバシーという言葉が頭をよぎったが、構わず扉を開けてみた。
そう言えば茉里奈の部屋を見るのは初めてだなぁ。
部屋のど真ん中にベッドが置かれ、茉里奈は眠っているようだった。
壁際に会議室にあるような長テーブルが並べて置いてあり、テレビとPCディスプレイが全部で五台置いてある。
コード類がごちゃごちゃとテーブルの下を埋め付くしていて、なんだか危うげだ。後でアドバイスしよう。
「おーい、茉里奈ちゃん?」
近づいて揺り起こしてみたが駄目だった。起きる気配もない。
何かに遅刻するわけでもないので、無理に起こさなくても良いのだけれど、さて。
一先ず茉里奈の分の朝食にラップをかけて、自分も食べてしまおう。
それから考えましょう、そうしましょうと、私は部屋を出た。




