チャプター69
〜コッペパン通り 竜の紅玉亭〜
「いや〜、上手くいってよかったですね〜!」
「ほんと、君たちのおかげだよ! こちらこそ、ありがとう!」
「いえいえ俺たちこそ、いい経験でしたよ!」
「3人とも、これでお城での評価も上がったじゃないですか?」
夜、フランツたち3人とフォルクローレは集まって食事をしていた。いわゆる「打ち上げ」である。男爵の発案で開催されることになったのだが、フランツも子爵も、二つ返事で乗っかった。普段お城で食事をするフランツも、この時ばかりはお許しがすんなりと出た。3人は大手を振って城を出ると、その足で職人通りに向かい、フォルクローレのアトリエに向かった。
出迎えたフォルクローレは調合中だったが、話を持ちかけたところ、こちらも二つ返事だった。調合が終わる頃にはどっぷりと日も暮れていて、雰囲気たっぷりの夜の街を、不思議な格好ーと言っても錬金術士の正装なのだがーをしたフォルクローレを取り囲むように、腰に剣を提げた身なりのいい青年3人が護衛しながら歩くという、まるでフォルクローレが貴婦人にでもなったかのようなひと時だった。
竜の紅玉亭に入ると、見入った顔が出迎えてくれた。男たち3人にしても、幾人かは先日の来訪時に顔を合わせているため、その数人はこちらも暖かく出迎えてくれた。
エルリッヒはというと、フォルクローレはともかく王侯貴族3人の姿を見つけるなり驚きの表情を浮かべた。しかし、すぐに気を取り直し、平静を取り戻す。貴族様が現れた、というのはいいが、それが王子様だとバレては大騒ぎになってしまう。そこだけは気をつけなければという思いだった。
「俺たちも多少の功名心はあるけどね。俺の家も男爵になれたらどうだろう、なんて思わなくはないし。でも、それはあくまで結果論だから。街の平和が守られなきゃ、爵位もへったくれもないでしょ?」
「それはあるね。この話に声をかけられた時、そういうのよりもまずは街の平和、魔物からみんなを守れるようにってのが先にあったから。その結果評価されて、それで、最終的に爵位が上がる、みたいなのがあったら、それで一番なんじゃないかってね。年取って、うちの家はこういう理由で伯爵に取り立てられたんだよ、なんて孫にでも話ができたら、いいっすよね〜! それくらいが貴族としての夢だよ!」
「へぇ〜。もっと短期的な夢なのかと思ってた。あたしは貴族社会って全然詳しくないんですけど、その辺どうなんですか? おうじさ……フランツ様なら知ってませんか?」
王子様、と言いかけて呼び直す。ここでは名前で呼び、あくまで他の二人よりも爵位の高い貴族、ということにしておくように。というのがエルリッヒからのお達しなのだ。
少なくとも、ここではエルリッヒがルールであり、フォルクローレは逆らえない。もちろん、四人とも無用な混乱を避けるという意味もあり、逆らうつもりはないのだが。
「はい、飲み物お待ちどう! 三人は赤ワイン、フォルちゃんは水でいいんだね?」
「ありがとう! あたしはお酒はあんまり飲まないからね。それじゃ、改めて乾杯といきましょうか!」
エルリッヒが飲み物を運んでくる。家に帰れば100倍以上も価格が高いようなワインがゴロゴロしているような相手に出すのは若干気後れしてしまうが、注文が入ったからには出すしかない。
これだって、醸造家が自信を持って勧めてくれた銘柄だ。その思いは嘘ではない。
「お、待ってましたよ〜!」
「これは? 南西のワインか。こういうのがいいんだよ。高級ワインも悪くはないけど、うちは大貴族じゃないから早々有り付けないし、庶民が手を出しやすい価格だからって、それ全然恥ることなんてないんだよ。そういう味わいのものだからね。あくまで別物って考えたほうがいいんだ」
「あれ? 男爵、意外と詳しいの?」
「こいつ、こう見えてもワインには詳しいんですよ。領地が北東の乾燥地帯で、海も近いところだから、ワイン造りが結構盛んで。だから、銘酒銘柄を問わず領地で作ったワインが一番って言って聞かないんですけどね。でも、その目利きは本物ですよ。これを成人してから身につけたんですから、なかなかですよ」
フランツは貴族のたしなみの一環としてワインは飲む機会も多く、飲み慣れたお酒ではあるのだが、うんちくについてはさっぱりわからず、まして高級ワインしか飲む機会がなかったため、その味わいについては未知数だった。ワクワクする。
「それじゃ、グラスにお注ぎしますね」
コルクを抜き放ち、テーブルに置かれたグラスに注いでいく。高級ワインがいかほどのものかはわらないが、この深い赤紫色は決して裏切らない。
この店の客はビール党が多いため、ワインが出る機会は少ない。だから、漂い始めたその香りに、周囲も気にする素振りを見せ始める。
「さ、飲んでみてください。これは醸造家のハインリッヒさんという優しそうなおじさんが愛情こめて育てたぶどうを使って、精魂込めてつくられた逸品です。これをこの価格で味わえるのは、ひとえに努力によるもの、だそうですよ!」
「お! そういう話を聞かされると、俄然期待が高まるね! 香りも色もいいし、楽しみだよ」
「えぇ〜? 俺は逆に飲みにくくなるけどなぁ。どんなにいい酒でも、口に合わないってことはあるじゃん? でん、っとと、フランツ様はないですか? こいつみたいに、お酒に詳しいわけじゃないですよね?」
「そうだね。僕は作り手の思いが伝わるのは嬉しく思うけどな。それを少しでも感じ取りたいと思うよ。普段のむワインは、どうしてもそういう生の声は伝わらないからね。これは、エルさんが買い付けてくるの?」
グラスを手に取り、少し揺らして色合いを眺めると、自信ありげにこちらを見つめるエルリッヒに視線を向けた。
「そうですよ。馬車に乗って国内各地を回って、直接話を聞いて買い付けてきます。と言っても、私はあんまりお酒は飲めないので、美味しいとかどうとかを論じるのはちょっとおこがましく感じてますけどね。それよりも、普段高級ワインしか飲んでないような人たちに出すことの方が気後れしちゃってたんですけどね。でも、ハインリッヒさんの顔を思い出したら、それは失礼だって思い直して」
「そっか、エルちゃんはお酒っていうより、想いを買い付けてきたって感じなんだね。い、いかーん! 柄にもないことを言ってしまった! さ、飲んで飲んで!」
照れ隠しのフォルクローレがグラスを勧める。ワインのうんちくについてあれこれ語るのはここまでだ。三人はゆっくりと口をつけた。
「お!」
「お?」
「んん?」
三人とも、宮廷のマナーに則って少し口に含むと、そのまま口の中で転がして、それから口の中を空にすると、今度は喉の奥から上がってくる香りを楽しむ。
なんともまわりくどいが、これが宮廷マナーなんだそうである。
「まさか、ハインリッヒさんもこうして身分の高い人に飲まれるなんて、想定してなかっただろうなぁ。今度会ったら伝えてあげよう。で、どう?」
「うん、これはいいね。口当たりが最初はスッキリしてるんだけど、次に深い味わいが襲ってきて。でも、鼻を抜ける香りは上品なんだ。ぶどうの果実味も残ってるし、樽の木材が持ってるなんとも言えない風味も感じられて。高級ワイン特有の重さはないけど、その分疾走感があるね。うん、これはいいよ!」
男爵はひとしきりうんちくめいた感想披露すると、グラスを深く傾けた。
「うん、いいね!」
ワインに詳しいとされる男爵がここまで言うと、すでに二人も「美味しい」という先入観が植えつけられてしまう。だが、そのせいかどうかはわからないが、確かに肩肘張った味わいがなく、確かな飲みやすさを感じていた。
「うん、確かに美味しいね」
「市井にもこんないいお酒があるなんて、すごく貴重な発見だよ」
「ありがとうございます。ハインリッヒさんも喜びます。それじゃ、私は厨房に戻りますね。ごゆっくりどうぞ〜」
懸案だったワインが好評だったのを見届けると、エルリッヒはニコニコと厨房に戻って行った。この日以来、このワイン『月の光』が大人気になるのだが、それはまた、別の話。
〜つづく〜




