チャプター59
〜竜の紅玉亭 エルリッヒの自室・朝〜
「ふわぁ……」
朝、柔らかな日差しと鳥のさえずりでいつものように目覚める。ベッドから半身を起こして気づく違和感。
「っ!! うわぁ! っ!」
大げさに叫んだ後、すぐに両手で口を塞いでだまりこむ。
(そうだった。フォルちゃん、泊まってったんだった……)
隣には、フォルクローレの安らかな寝顔があった。昨晩は話し込んでしまったので、このまま帰るには遅い時間だということで、泊まっていくことを勧めたのだ。
もちろん、フォルクローレは普段から怪しいアイテムを多数所持しているので大抵の悪漢相手には有利に立ち回れるだろうが、仮にも年頃の女の子を一人で帰したくないという思いもあったし、フォルクローレもたまのお泊まりを楽しそうにしてくれていた。
(昨日あれだけ寝たのに、よく寝るなぁ。それに、相変わらず日光と相性のいい髪の毛だよ……なんと神々しいこと)
インゴットの大量生産というのは、きっとそれだけ大変なのだろう。もしかしたら、他にも依頼をこなしていたのかもしれない。いつも生活リズムが崩れているフォルクローレのことだ、たまにはゆっくり寝かせるのもいいだろう。
と言っても、これから朝の仕入れに行くので、さすがに普通の人が起きる時間よりは早いのだが。
(ん……起こさないようにしないとね)
できるだけ物音を立てないように着替えて髪をまとめる。身支度を整えると自分が起きたことでめくれてしまった布団をかけてやる。
そして、頭を優しく撫でてから、指先で頬を軽くつついてみる。
(起きる気配、ないなぁ)
少しだけ、プニプニとした感触を楽しむと、忍び足で階下へ降りた。顔を洗って仕入れに行かなくてはならない。
「それじゃ、行ってきまーす」
その言葉は、あくまでも小さいささやき声だった。
☆☆☆
「ふわぁ。おはよう……」
寝ぼけ眼のフォルクローレが起きてきたのは、すっかり日も昇り、朝の仕入れから戻ってきたエルリッヒが仕込みを行っている頃だった。
「おはよう、よく眠れた?」
野菜を刻みながら声をかけ、キリのいいところでフォルクローレの姿を見た。あくびをしながらぼーっと立っているその姿はまだ寝間着のままで、半分寝ぼけているようだった。
「……まだ、ちゃんと起きてないみたいだね。どうする? まだ寝る? それとも、ちゃんと起きる? 私はどっちでもいいけど。全然寝てないんでしょ?」
「んー、寝ようと思ったら無限に寝られるけど、起きようかな。寝すぎても疲れちゃうし。あー、でも、まだ眠い〜。やっぱりもう少し寝てていい? もう少しだけ。朝ごはんができたら起きしてくれるかな。お代は払うから……」
口癖のように一言付け加えてから、ゆっくりとした足取りで再び階段を上っていった。夢うつつの足取りが心配で、足を踏み外さないか、下から見守ってしまった。
昨日からで、どれほど寝ているだろう。昼と夜もしっかり食べているし、休息という意味ではばっちりのはずだ。とりあえず、無事に部屋に戻ることができたのを見届けると、再び野菜を刻み始める。
二階から、ベッドに倒れこんだと思われる物音が鈍く響いた。
「あ、なんかこういうのもいいかも」
自分以外の誰かがいる感じ。フォルクローレが泊まりに来ることはたまにだがあるし、隣のおばさんが泊まりに来たこともあった。だけど、なんとなく日常から離れているような感覚があって、こういう感情を覚えるのは初めてのことだった。フォルクローレと同居、というのはさすがに無理があるが、悪くない。
「さて、仕込みを終えちゃいますかね」
これを終えないことには朝食の準備もできない。包丁を持つ手に気合が入る。
☆☆☆
仕込みが終わると、朝食の準備だ。いつものことだが、特別豪勢な食事を作るわけではない。だから、こちらの準備はすぐに終わる。カウンターに二人分の朝食を整えると、階段を上っていった。
「どれどれ〜?」
そして、部屋に入ると、目に飛び込んできたのはベッドで安らかな二度寝を決め込んでいるフォルクローレの姿ではなく、まるでそこで力尽きたかのように、ひざ立ちのような体勢でベッドの上に上半身だけを伏せている寝姿だった。
気絶でもしているのではと思ったが、確かに眠っているようだった。規則正しく、穏やかな寝息が聞こえてくる。
「……すごい体勢で寝るもんだな。そんなにギリギリの状態で起きてきてたのか。まぁでも、起こしてくれって言ったのはフォルちゃんだし、ここは起こしちゃいますかね」
とりあえずは優しく、上半身を軽く揺すってみる。
「フォルちゃーん、朝ごはんできたよー。起きるよ〜」
「んん……」
しぶとい。これで起きる気配がないのか。次の起こし方を考えてしまう。あまり力づくでもよくないし、かといってこのまま優しく起こしても起きないに違いない。
「さて、どうしたもんか……」
とりあえず、ベッドから引き剥がしてみた。そして、そのまま手で支えたまま立たせてみる。それから、腕を上げ、体操のように少し動かしてみた。
「……うを! なにこれ! あたしなにしてんの?」
「お、起きた。いやー、あんまり起きないもんだから困っちゃってつい。朝ごはん、できたよ」
さしあたって先ほどのような寝ぼけ眼ではない。二度寝のせいで、最後のひと眠気が晴れた、といったところだろうか。それなら良いのだが、食事しながら眠ってしまわれても困る。
「いやー、このベッド、エルちゃんの匂いがするからついつい心が安らいじゃって。そしたら深い眠りの世界に誘われてしまったというわけなんだよー」
「な、なにそれ! フォルちゃんがそんなこと言うなんて! 前に、獣の匂いがするとか言ってたじゃん。まさかそんな匂いがしてるわけ?」
さすがに気になってしまい、掛け布団からシーツから、一通り匂いを嗅いでみるが、自分の匂いというのは気づきにくいのだろう。なにも気になることはなかった。良きにつけ悪しきにつけ、このベッドの匂いとやらに気づいているのはフォルクローレが他人だからか。
「違う違う。獣の匂いなんかしないって。言葉では言い表せないかな。とにかく、優しくて安らぐ匂いなんだよ。ほら、あたし女友達が少ないし、そのせいもあるのかもしれないけど。これは、心の奥底で感じる直感みたいなものだから、他の人にはわからないと思うよ? まして自分だったら、ねぇ」
「そ、そういうものなんだ。じゃあ、フォルちゃんの匂いも、覚えておかなくちゃね。友達の証!」
不意打ちのように抱きついて、わざとらしく匂いを嗅いでやった。これで、少しは恥ずかしさが伝わるだろうか。
「ど、どう? 火薬の匂いとかしてないといいんだけど……」
「味気ないコメントだなぁ。そんな匂いはしてなかったよ? それに、もっと恥ずかしがって欲しかったのに。ま、いいや。ご飯出来てるから、着替えたら降りてきて」
フォルクローレを一人残し、一人階段を降りていった。
「そっか、火薬の匂いはしてなかったか。よかった〜!」
足音が遠ざかるのを確認してから、一人安堵するフォルクローレなのだった。
☆☆☆
「それで? 調合の具合はどうなの?」
「ん〜? そりゃあもうバッチリだよ。だからこうして外出出来てるんだし、たくさん寝ちゃったんじゃない」
さらりと言ってのけたフォルクローレは、何の気なしにパンを頬張った。果たしてどこまで完成しているのか。それともすでに全部作り終えているのか。こんな機会でもなければこの話はできないだろう。
「じゃあ、もう全部できたんだ」
「まーね。後は鍛冶屋ギルドに納品して、王子様たちに報告するくらい、かな」
あれからそんなに日にちは経っていないはずだというのに、やりきったというのか。いや、それが昨日の爆睡につながっているのだろう。それほどまでに根を詰めていた、ということか。
「すごいなぁ。でも本当、おめでとうね」
「いやいやどーもどーも。そうだ、エルちゃん、納品に立ち会ってみる? きっと、すごい達成感だよ?」
突然の申し出。これは絶対何も考えていないに違いない。そう思ったが、何となく楽しそうで、断る理由はどこにもなかった。二つ返事で返答する。
「うん、もちろん」
当事者でない自分がどこまでフォルクローレ語るところの達成感を味わえるかはわからないが、こう答えさせるだけの何かがあった。
「やったー! 日付は決まったら教えるね!」
嬉しそうなこの様子が見られただけでも、もう十分だった。
〜つづく〜




