チャプター28
〜王城 中会議室〜
突如現れたフロイライン・フレアローゼン。先ほどの議論がまだ終わっていないと言いたいのか、それとも他の話があるのか、とにかく見下ろしているその姿は威圧的でしかなかった。
「えーと、なんでしょう……」
自分のことを庶民と蔑むような相手に必要以上の礼はいらない。表情が威圧的な上に話の内容もわからないので、返答には身構えてしまう。
「先ほどの話です」
「先ほどの? どのあたりの先ほどですか? 武具の購入に反対、というところですか? それとも、騎士団の資金がわからない、というところですか? それとも、別の?」
抽象的な話には、具体的な問い返しが良い。もしかしたらこの二つではないかもしれないということも含めて、質問を返してみた。
「兵士が弱い、というところです」
「あぁ、そのことですか。それが何か」
少し意外だったが、まさかこのような話題にわざわざ食いついてくるとは。もしかしたら、絹糸通りでは今の兵士で十分に勝てるという想定で議論していたのだろうか。だとしたら、あまりにもおめでたい話だ。このままでは勝てない、と判断したからこその買い替え論議なのである。
「その話は、本当ですか。ただわたくしたちを不安に陥れようとした詭弁ではないのですか?」
「みんなを不安にさせるようなことをわざと言って、話を有利な方向に進めようとしているんじゃないか、てことですよね? そんなの、あるわけがないじゃないですか。まったく、私をなんだと思ってるんですか? 私は、知ってる範囲の事実を伝えただけです。前回より凶悪な魔物が攻めてきたら、おそらく太刀打ちできません」
残酷な現実を突きつけるようだが、これが事実だ。初回の襲撃は居合わせていないから事情はわからないが、二回目はもう少し強い魔物を差し向けた結果があのガーゴイルたちだったのではないか。そう思えてならない。あのガーゴイルどもの撃退だって、ほとんどの兵士にはギリギリだったはずだ。
「じゃあ訊きますけど、絹糸通りの皆さんは、この間現れた魔物を見ていますか? 兵士のみんなが戦っているところは、見ていますか?」
「そ、そんなの、見ているはずがないでしょう! 恐ろしい! 我が通りの者は、皆自宅やお店で隠れていましたから! おかげで、死傷者もなくやり過ごすことができました!」
自信満々に言っているが、隠れていた、ということは、下手をすれば屋敷ごと命を落としていたかもしれない。そういう可能性を考えたからこそ、コッペパン通りでは地下室への避難を指示したのだ。地下室とて、入り口を塞がれてしまえば出るに出られぬまま窒息、ということもあり得る。しかし、あの状況であれば、それよりは早く瓦礫が取り除かれていただろう。少なくとも、一緒にぺしゃんこ、という事態にはならない。
絹糸通りでも、そうであればいいのだが。
「もちろん、隠れたのは地下室ですよね?」
「はぁ? なぜそのような場所に隠れねばならぬのです。相手は盗賊などではなく、野蛮な魔物だというのに」
むしろ自信満々に否定されてしまった。つまりは、地下室には避難していなかった、ということになる。全員が全員なのかはわからないものの、もし魔物が何かしら大掛かりな攻撃でも仕掛けてきていたら、一巻の終わりだっただろう。幸いにも、絹糸通りは被服に関わるお店しか並んでいないため、攻撃の優先順位が低かったのだと推測された。
「多分、ここにいる人の多くが同じだと思いますけど、その程度の見識では、今のこの事態、これから来るかもしれない事態に対して、適切な判断は下せないと思います。魔物の脅威は、直に体感した人には絶対勝てませんから」
「なんと失礼な! それに、魔物の脅威など、体感したことのある者の方が少ないのが当然ではありませんか! そこまで言うのなら、あなたは魔物と対峙したことがあるのでしょうね!」
このご婦人がエルリッヒのことをよく知らないのは別に良いのだが、ここでこのような話題になるのは、嬉しい誤算だった。魔物の脅威を少しでも伝えられたら、話が楽に進められるようになる、かもしれない。
とりあえず、このフロイライン・フレアローゼンだけでも説得できれば。何しろ、彼女はここにいる中で一番の難敵のように見える。
「エルちゃんや、あれこれ話してしまっていいのかい?」
「もちろんですよ。えーと、フロイライン。私はいろんな街を旅してきました。ここは本当に平和でいい国です。でも、海や山脈を越えた先の国々には、まだ凶悪な魔物の闊歩している地域はあります。特に北の方に。そこで出会った魔物たちは、人間にとっては脅威以外の何物でもありません。先日現れたのはガーゴイルと言って、どちらかといえば下位の魔物です。人間と変わらない背丈に腕力、武器は手にした剣のみ。人間より優っている点は、空を飛ぶための翼と、いざという時には攻撃にも使えそうな角、それに、魔法の力です。人間にに魔法の力が失われて100年、少なくともこの国の人間に魔法を直に見たことのある人は、いませんよね。魔物の中には、魔法を自在に操る連中がゴロゴロいるんです。指先からいきなり炎を放ってきたら、どうします? 当たれば大やけど、避ければ家屋敷が火事。太刀打ちできませんよね。それは、今の兵士のみんなも同じです。より上位の魔物なら、もっと多彩な魔法を使いこなすことができます。なら、もっと大変なのはわかりきっていますよね。これは、過去の話でも想像の話でもなく、魔王が復活するよりも前ですら当たり前に存在していた話なんです」
長々と語ると、一息ついた。このような話をして、どこまで理解してもらえるだろうか。不安はある。それでも、魔物の脅威という意味では、しっかりと語って聞かせなければならない。これからは、ある意味で平等に、この街でも起こりうることなのだ。
「じゃ、じゃあ、そのような魔物が押し寄せるとでも?」
「ええ。あくまで可能性の話です。でも、私はゼロじゃないと思っています。魔王の目的は、おそらく人間世界の支配。人間は、滅ぼされるか奴隷にでもされるかのどちらかしか待っていないでしょうね」
考えただけでも恐ろしい。そんなことにならないよう、何としてでも魔王の野望は打ち砕いてやらなくては。これは、人間全体の課題だ。もっと言えば、人間以外の動植物ですら、例外なく滅ぼされてしまうかもしれない。
「こ、荒唐無稽すぎてにわかには信じられませんね! そのような話、信じろと?」
「信じて行動を取った結果命の危機が遠のくのと、疑ってかかった結果魔物に滅ぼされるのと、どっちがいいですか? こんなことまで言いたくはないですけど、長い旅の途中、魔物に滅ぼされた街やお城も、幾つか見てきました。今と違って、魔王の脅威に怯えて、武装の用意をきっちり固めて、多くの人が魔法の力で攻撃することもできた時代の話です。ここの兵士より強力な武器と魔法の力で戦ってもなお、滅ぼされました。もう、穏やかな毎日を享受するだけの時代じゃなくなり始めているんですよ」
エルリッヒが一番望んでいる平穏が、少しずつ足音を立てて遠のいていく。いや、まだ誰も意識はしていないだろう。だが、今、自分はその糸を引っ張っている。
「っ! な、なんということを言うのですか! この! 小娘だと思って聞いていれば!」
「癇に触ったらごめんなさい。でも、それが事実です」
「残念ながら、その子の言う通りだよ」
突如、どこからか別の声が聞こえてきた。聞き覚えのあるその声は、ここにいるはずのない人物の声だ。
「お、王子様!」
「えぇっ?」
「王子様だって!?」
一同は驚いてフランツの方を向き、一斉にこうべを垂れる。今この場でフランツの顔を見ているのは、エルリッヒとフロイライン・フレアローゼンだけだった。
見つめた先のその表情は、これまでの二度とは打って変わって、真剣そのものだった。
〜つづく〜




