第47話 異変 8 少女軟禁(?)
千景が、少女の首筋に指を伸ばした。少女は電撃を与えられたようにビクリと震え恐怖を表現する。
光の縄に縛られた少女の眼前で、千景は弾けるような笑顔を見せた。
「大丈夫だよ、ちょっと魔術的な印を付けただけ。どっか行っちゃわないように、ね」
ね、のところの発音が何故かやたら可愛らしいのだが、却って威圧めいてしまい相手の心が安らぐことはないようだ。それが目的なのかもしれないけれど。
千景は男にも同様の印を与え、彼を目覚めさせると少女の縄をほどき、四人全員で魔鏡空間から脱出した。少女の支配下にあるらしいその空間は、彼女が命じると自ら脱出口を開いた。
男の槍は、千景の亜空間倉庫へ一時的に没収されることとなった。男の抵抗を陽は懸念していたが、自らが置かれた状況を理解すると意外にも彼はまったく素直に従ったのだ。
少女と男を連れ、陽と千景は帰りの電車に乗った。それが帰り道となるのは、陽と千景のみだが。
「日が沈むの早いね、こっちは……」
電車の窓から外を眺め、少女はどこか悲しげに呟いた。どうも生来釣り上がった形をしているらしい瞳に、夕陽に染まりはじめた街が映り込む。
この地は、東京と比べると日没の時間が早い。この季節、午後四時にもなれば地を包む光は赤みを帯び、人々の視覚に直接夕刻を伝える。それは、東京から来たらしい彼女にとっては悲しいことなのだろうか。
電車は何事もなく目的の駅に到達し、陽は自宅アパートへ客|(と言っていいのかわからないが)を迎え入れた。落葉へのプレゼントは買い損ねてしまった……問題は早めに解決し、誕生日までには確実に入手しておきたい。
そも、完全な解決が出来るものなのだろうか。その判断のためにも、まずは話をしなければならない。
いつもは千景と陽だけが住み、たまに落葉が訪れるこのリビング。千景がカーテンを閉めきり部屋の照明を点けたので、外の光を感じることはもう出来ない。
「まあ、どうぞ」
ソファーに並んで座る二人の客へ、陽は緑茶の入ったグラスを差し出した。大型ペットボトルの緑茶だ。歓迎するわけではないが、喉の乾きくらい配慮してもいいだろう。
しかし、少女も男も見知らぬソファーの上で身を縮こまらせるのみで、飲み物に手を付けようとはしない。
「毒なんか入ってないよー? チカゲが一口飲もうか? やだー、間接キスだね」
一方、千景はかなり余裕があるようだった。不本意に魔鏡の力を得てしまった……そう語る少女を、千景は柔和な声で和まそうとしている。
しかし攻撃的な香りがその中にわずかに嗅ぎ取れるのは、陽の気のせいではないだろう。千景は、まだ目の前の二人への警戒を完全に解いてはいない。
「へんなの……」
少女は小さくつぶやき、グラスにそっと唇をつけた。男も、躊躇いながらも冷たい緑茶で喉を潤す。
二人の落ち着きを見て、千景は質問を始めた。
「ん。それじゃあ、まず名前を教えて。チカゲはチカゲで、こっちがヨウ。あなたは?」
「……椿。山村椿」
「いま何歳?」
「……十七」
いかにも渋々嫌々といった返事だ。その瞳が友好的な丸みを帯びることはなく、鋭い光を千景に突き刺している。彼女が望んだ状況であるはずもなく、ほぼ一方的に連行されたわけで、これは仕方がない。
「あ、私は山村二郎、です」
男の方は、その体を自身の緊張で縛り上げてはいるものの、まるで攻撃性のない態度であった。槍を構え陽たちと対峙したときとは別人のようだ。
「ん? 同じ名字、親子かな?」
「この人は叔父さん。それだけ」
千景の問に対し、椿は素っ気なく答える。二郎はその瞳を少しばかり悲しみに染めた……陽が口出しすることではないが、二人はあまり親密ではないのだろうか。千景もそこには触れない。
「そっかあ。それじゃあ、色々と聞いていくね……まず。東京からここへ来たのは、別の破壊者から逃げてきたから?」
「……まあ、そんなとこ」
「んー、他にもなにかあるっぽい反応だね?」
千景のその追求を聞き、無関係の陽が身を強張らせた。
幼き日の古い記憶だが、隠し事をしたときなどはこのように千景に問われたことを陽は思い出してしまった。かつての陽は、完全に千景の被保護者であった。
この場の他の誰もそんな陽の懐古など知るはずもない。椿は、千景の求めに対し大きく片頬を歪めた。
「なんでそんなこと……洗いざらい全部話せっていうの?」
「じゃあ、今すぐ東京へ送ってあげようか?」
笑顔のままで脅しをかける千景に、実際に揺さぶられたのは二郎であり、ややシワの目立つ顔に狼狽を刻みさらにシワを深くする。その顔に冷ややかな視線を注ぎ、椿は深く溜息を付いた。
「……あの化け物は、勝手に出てくるの」
どうやら、一応は答えてくれるつもりにはなったようだ。
「勝手に?」
「呼ぶことも出来るけど、勝手にも出てくるの、たまに。そんなんじゃまともに生活できないじゃん、ソカイ、ってやつ?」
「ちょっと違う気もするけど、なるほどね。とても困っていて、実験もそのためと。わざわざあの路地裏でやった理由は?」
「危ないじゃん、普通の場所でやったら」
「魔鏡空間……あの空間は、どこにでも開けるわけじゃないの?」
「そうじゃないからわざわざ出かけてるんじゃん」
「なるほどねえ。うん、それじゃあ……」
そのようにして、千景と椿は次々と問答を行っていく。陽と二郎……男二人はただその場に座っているだけであり存在意義に疑念が生じるが、話を聞かぬ訳にもいかない。会話術を心得ぬ野郎など、こんなものだ。
「……うん。まあ、こんなところかな。ねえヨウ、やっぱりこの子は被害者のようだよ。ただ、ちょっと積極的すぎかな」
会話を始めてから時計の針はまだそれほど動いてはいなかったが、とりあえずいま必要な情報はだいたい聞き出して、千景は吐息に少しばかりの疲労感を乗せた。
椿が、偶然に──少なくとも本人としては偶然という認識で魔鏡を取り込んだのは事実のようだ……とりあえずはそう認めることとなった。もしも第三者の意思の介入があったとしても、それはここで知り得ることはない。
仮に第三者がいたとして、それは何者か。陽に試練の鏡を貸与した者か、それとも……
「あ、そうだ。これ返すね」
どうやら本当に忘れていたらしい顔をして、千景は亜空間倉庫のゲートを開き、そこから槍を取り出した。本来の持ち主である二郎は慌ててそれを受け取る。これはいわくつきの槍であるらしく、勝手に生まれた鏡獣の処理に使われたという。
魔とか神秘とかの力さえ持っていればねー、雑魚鏡獣の一体くらいは破壊できるんじゃない? チカゲたちの力だってべつに魔鏡とは関係ないし──聴取の途中、千景はそう語った。勝手に生み出された鏡獣に攻撃性はなく、破壊は容易だったと椿は述べた。鏡獣は椿の命令に従うため同士討ちも可能であり、しかし完全な同時相互破壊は困難でありどうしても残りが発生するという。
命令は可能。だが精密制御は難しく、命令更新もできず、時間が経過すると完全に手元から離れてしまうらしい。攻撃性こそもたないものの、化け物に自由にされるのは困る。それで、魔鏡空間内で制御実験をしていたらしいのだが……
「とりあえずねー、実験は禁止ね。外部に影響あるんじゃ困るよ」
千景が言うように、先日の奇妙な鏡獣は椿たちの実験が何らかの影響を外部に及ぼした結果である、という可能性が高かった。あれは、椿が生み出した鏡獣ではないらしい。何が起こるかわからず……そして別の問題もある。
ここでようやく陽も口を開き、椿と二郎に警告を行う。
「あなたたちの命を狙うやつがいるのなら、あまり目立つことをするべきではない、と思います。アレは、インターネットにも拡がっていますし……」
なんとなく敬語になったが、まあこのまま通そう。
実験による想定外の事象、それが気になるからこそ椿は再度の実験を望んだようだが、伴うリスクは無視出来ない。
椿はやはり不満を隠そうとせず、渋面を陽へ見せつける。一方、二郎はどこか安心した様子で椿の顔を眺めていた。彼は実験には否定的なようだった。
陽はそのまま言葉を続ける。
「ええと……俺たちには東京と繋がりがある知り合いがいます。あなたたちの情報が掴まれていないか、少し探ってもらいましょう、それまでは、とりあえずここにいたほうが安全かと」
小雪たちも、そのあたりの調査なら得意分野だろう。破壊者を破壊する者、人と戦う者なのだから。
「つまり、わたしに自由はないんだ?」
椿がざらついた感情をその場に吐き出す。それを正面から受け、千景は滑らかな笑顔を返す。
「そうだね。安全とー、どっちが大事かな?」
「椿さん。ここは、千景さんたちに従いましょう。他の誰も、私達を助けようとはしないんですから」
深刻な身の上を晒しながら、二郎はわがままな姪を諭す。彼女は全身の苛立ちを溜息に変え体外へ絞り出し、力ない声で自身の境遇を受け入れた。
「はあ……分かったよ。従えばいいんでしょ。それじゃあ、すみません、しばらくお願いします」
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風のささやきも、誰かのぬくもりもない。自分以外には何者も存在しない空間で、私は唇を噛んでいた。
魔鏡と融合した人間、ようやくその位置を特定することが出来た。しかし、まさかこの地へ来ているとは。そして、あの紅の剣の者と接触しているなど……厄介なことになった。
異変と異変が結びつかぬように、私は東京の破壊者たちへ操作を行った。そちらは問題がないだろう。しかし、融合した者をこの地で、この手で殺そうとするのは……
もはや、アレはただの人間ではないのだ。そして前例がない。殺害の結果、予測不可能で取り返しのつかない重大な問題が発生するかもしれない……
「様子を見るべきか……」
相談の相手はいない、下手を打つことは許されない。結局、私は、問題を先送りにすることしか出来ない。
「私が今までしてきたことは、すべて、そういうことだ……」
虫の一匹も飛ばぬ空間で、私はか細く呟いた。




