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第48話 異変 9 影のニオイ

『ああ、わかったよ。こちらで調査しておくよ』


 スマートフォンのスピーカーからは、快く陽の依頼を受ける初老の女性の声が発せられた。


 それ自体もほぼ千景が行っていたのだが、来客との会話を終えた陽は残りの細事を彼女に任せ、最近掃除をサボり気味な自室内で電話をかけていた。床にもベッドにも腰を落ち着かせず立ったまま通話しているのは、陽自身の神経状態を表しているのかもしれない。


『嬉しいものだね。陽君は、私が敵にはならないと信頼してくれているわけだ』


 通話相手である小雪の、やや皮肉めいた調子で奏でられたその発言の意図を理解できず、陽はスマホを耳に当てたまま小首をかしげた。


『私達がその魔鏡と融合した女の子を殺す可能性はない、と陽君は判断したことさ』

「それは……」

『私達は、人殺しだからね。陽君には見せていないが、そういう存在さ』


 自嘲の響きをもった小雪の声に、陽は目を細める。口を結び返す声を失うが、フォローを求められたわけではないことは自明であった。


 確かに、小雪たちは道を外れた他の破壊者を殺す仕事を行っている……そう聞いている。しかし、今回のこととは話が異なるのではないか……いや、正直に言うと、信頼だとかそういうこと以前に陽はまずそこに考えが至らなかった。


『脅すようなこと言って済まないね。ただ、陽君はあまり人を疑うことに慣れてなさそうな気がしてねえ』


 対人経験が豊富だとは言い難い陽は、その言葉の否定材料を持たない。小雪は忠告をしてくれたのだろうが、少しばかりへそを曲げてしまいそうだ。


『まあ、それはそうと……調査の件だけどね。実はね、あの街に出現した鏡獣について私達は引き続き調べていたんだが、妙なところがあるね』

「妙、とは」

『既に、東京の同業者たちに探りを入れていたんだが……あの鏡獣と、その女の子、椿ちゃんか。二つを結びつけようとする動きがまったくなかったんだよ』

「……と、いうと?」

『不自然なほどに、関連性を考えていないのさ。私が椿ちゃんのことを聞いたのは今さっきだけどね、その子を殺そうとした者なら結びつけて当然だと思うよババアは』

「……何者かに、情報工作をされていると?」

『現状はなんとも言えないね。まあ、とりあえずはその鏡獣の件で椿ちゃんの現在位置に気づかれていることはないんじゃないか、ということだね』

「なるほど……」

『もう少し調査は続行するけどね、他の破壊者についてはあまり警戒しなくてもよさそうさね。今のところは』

「そうですか……ありがとうございます」

『またこちらから連絡するよ。ふふ、じゃあ元気でね。無理するんじゃあないよ』

「はい。では、小雪さんも……晴継さんも、お元気で」


 陽はそのまま通話を切ろうとし、しかし少し慌てたように小雪に呼び止められ、スマホを顔の横に構え直した。


『わかってはいるだろうけど、優先順位、間違うんじゃないよ』


 スマホからしなやかに響いたそれは、純粋に年長者としてのアドバイスであろう。

 小雪は、沈黙を反響させる陽へそれ以上なにかを語ることなく、それじゃあね、と一言残して彼女の方から通話を切った。


「優先順位、ね……」


 陽はひとつ深呼吸し、スマホを握りながらベッドの端に腰を落とした。

 言われずとも、今日出会ったばかりの人達を千景や落葉の上に置いたりはしない。陽自身も、自己犠牲の精神を持って破壊者の仕事をしているわけではない。


 だが、陽が冷徹な人間ではないことは確かであった。咄嗟に選ばなければならなくなったとき、自らにとって最も望ましい行動を迷わず選択出来るかと問われれば返答に窮してしまう。


「子供じゃねえさ、俺は……」


 嫌な問題はスマホと共に枕の方へ放り投げ、しかし思考回路を完全に停止させることは睡眠の力を借りぬ限りは困難であり、空いた頭脳のスペースに別の議題が割り込むことを許してしまう。


「不自然、か……」


 椿と、街に現れたイレギュラーな鏡獣。この二つは不自然なほどに関連性を疑われていないという。

 やはり、第三者の意思が絡んでいるのだろうか。しかし、疑うという判断をはたしてただの情報操作のみで潰すことが出来るのだろうか。


 それについての答えはもう少しで産み落とされそうな気がしたのだが、どうも陽の情報処理力は今日のところは売り切れてしまったらしく、脳は残りわずかなエネルギーを浪費するだけで有為な働きはしてくれないようだった。


「誕生日、ちゃんと祝えるといいんだがなあ……」


 今日という一日はまだ終わりを迎えてはいない。なさねばならぬことはあるのだが、陽はそのまま上体をベッドの上に投げ捨て、もう一度重い息を吐いた。

 今日は、慣れないことをした。

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