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第44話 異変 5 扉を開く者

「本当にまた実験するのですか、椿さん」


 ソファーに深く身を預け静かにホットミルクを飲む少女へ、オレはやや冷ややかな声をかける。彼女の意欲を削ごうと、意識的に冷やしたのだ。


 しかし椿はこの老いつつある無生産な男の言葉に価値など見いださず、黙ってチビチビとミルクを舐める。


 オレは深く息を吐き、近くの壁に寄りかかり全体重を押し付けた。


 この少女は、オレの姪……敬愛する兄さんの娘だ。丁重に扱いたくはあるのだが、問題を抱えた年頃の少女との接し方などまるで心得がなかった。あまりワガママを許すわけにもいかず、しかし彼女の境遇自体には同情できる面もある……どうしたらいいのだろうか。


「椿さん。オレがアレを壊せば取り敢えず生きていくことは出来ます」

「……オジサンみたいに、なんの意味もなく?」


 少女はこちらを一瞥することもなく、嘲り侮りの感情を込めることもなく、無機質な声でオレのコンプレックスを抉った。


 なにひとつ成すことなく、生み出すことなく。無駄に歳を重ねて生きてきた男、それがオレだ。

 結局、オレはそれ以上の言葉を紡ぐことはなく、ただの木偶と化す。

 なんにせよ椿を放置するわけにはいかず、オレは意にそぐわずとも協力せざるを得ない。


「兄さん、オレは……」


 力なき呟きに、反応する声はない。


 ─────────────────


 日毎に、秋は深まっていく。空気は少しずつ熱と水分を捨て、冬へ向けて冷たく枯れていく。そういった季節、朝に目を覚ますと、お布団が主への愛情表現として猛烈な吸引力を発揮してくるのだ。


「……起きたくねえなあ」


 いまは朝の七時半。厚手の遮光カーテン越しに射し込む光も、夏の快晴日と比較するとどこか力がない。


 自室のベッドの上、柔らかな掛け布団にくるまって陽は快楽に身を任せていた。いつもなら千景が起こしに来るのだが、この時期は千景も起きるのがやや遅い。彼女のような魔人は普通の人間よりは高温低温環境へ高い耐性を持つのだが、快適かどうかはまた別である。ベッドやお布団の誘惑は、種族を問わず襲いかかり利用者をその場へ縛り付ける。


 二度寝するか。陽は、一度ひらいた瞼を再び閉じ、甘美なる睡眠の世界へと……


「ヨウー! 今日は買い物出かけるよー!」


 快活な声が、陽の意識を現実へと引き戻した。なぜ春のように元気なのだ千景。


「やだ、寝る……」


 陽はさらに掛け布団を抱きこんで抵抗の意を表する。だが、侵入者はズカズカとこの安寧空間に入り込み容易く眠り神(ヒュプノス)の温かな愛|(お布団)を引き剥がす。


「やめてくれ……」


 無防備となった大の大人の情けない懇願は聞き入れらることなく、むしろ批難めいた調子の声を浴びせられる。


「オチバのプレゼント買いにいくんでしょー?」

「……そうだった」


 ベッドは心の故郷だがいつまでも引きこもるわけにはいかない。陽はやむなく愛する寝床から自身を引きずり出す。侵入者……千景は寝ぼけ男の顔をしばし見詰め、なにを思ったか勝手に部屋のカーテンを全開にし、満足した様子で部屋を出ていった。


 遮るモノを失った陽光は、部屋を占拠し陽の意識を強引に活動状態へと導く。

 今日はよく晴れている、一日中こうであればよいのだが。

「落葉の煮物、美味かったなあ……」


───────────────


「ねえねえヨウ、これよくない? カワいくない?」


 シルバーで出来たハート型フレームの中に、パールが据えられている。どちらかというとキュート路線のチャームだろう。展示されているそれを見て千景は無邪気にはしゃぐ。


 秋物のニットにジャケットを羽織り、ボトムスはふわりと広がるサーキュラースカート。カワイイ服を着てキャッキャッとショッピングを楽しむ彼女の姿は、間違いなくカワイイと言えた。


「……ああ、なかなかいいな」


 よれたパーカーをダウンジャケットで包みジーンズに脚を突っ込んでいる陽は、とりあえず当たり障りのない言葉を口にする。千景とオシャレ品の買い物に一緒に出かけることは、家族なので珍しくはない。しかし、今日は千景のために来たわけではなかった。


 ここは中心街のジュエリーショップ。宝石を使っているために、取り扱う商品はどれもお高めだ。はじめてのプレゼントだ、あまり高価すぎるのも躊躇われる、しかし確かなものを渡したい。


「落葉にいいのはないかねえ……」


 ここは、今日はじめて入ったショップではない。朝から数件回り、時は過ぎていき今はもう午後三時だ。

 なにも無理に今日買うことはない。落葉の誕生日までに決めればそれでいい……とはいえ、あまりのんびりしていると機を逃しかねない。


「うーん、ヨウって優柔不断だよねー」


 ショーウィンドウに鋭利な視線を注ぐ陽へ、千景は呆れ気味の声をかける。

 迷っているのは千景ではなく陽だ。落葉への誕生日プレゼントなどはじめてのことであり、即断即決など出来るはずがなかった。プレゼントを受け取った落葉がそれを品評などするはずもなく、陽の自己満足の面が大きいのだろう。


「……であれば、俺の好みを押し付けてもいいのだろうか」


 プレゼントの意義とは……ああ、思考が深みに陥りそうだ。駄目だ、一度リセットしよう。


 綺羅びやかな女性向け商品たちの前で、萎れた顔の男が腕を組み眉間にシワを寄せる。

 落葉は……笑顔の素敵な女性だ。陽にも千景にも親身に接し、柔らかく、温かく笑いかけてくれる。だからこそ、プレゼントを贈りたいのだ。


「ならば……」


 そうだ、柔らかでいてほしい。そんなイメージのモノを選ぼうか。


「ヨウ、顔がすごく怖いよ」


 千景の声は無視して、陽は商品を睨みつける。


「花、か……」


 デザインに花を取り入れた商品は複数展示されている。その中で、陽の目はひとつのシルバーチャームを捉えた。

 ふっくらとした五枚の花弁を持つ、花の形をした優しいラインのチャーム。


「……いいな」


 これがいい。陽はこれがいいと思う……が、判断に自信がまったく持てない。優柔不断で、臆病な男であった。


「千景。これとかどうかな」


 ここは同行者の女の子に意見を求めよう。陳列された宝飾品にも劣らぬ輝かしい銀の髪を持つ少女は……何故か張り詰めた空気を纏い、細い眉をつり上げていた。


「どうした、千景」

「魔鏡の気配を感じる。すぐ近く」

「なんだって?」

「かなり近く。危険だと思う」

「……マジか。ああ、行くしかねえな」


 魔鏡出現となれば仕方ない。落葉への感情は一旦脇へ寄せ、陽は千景と共に店を出る。

 そこは、幹線道路から外れた路地裏。とはいえ中心街の一部ではあり、歩行者の姿は多い。


「あっちかな」


 千景は小走りで更に路地の裏側へ、ビルとビルが壁をぶつけ合いそうなほどに主張し合う狭苦しい細道へと向かう。

 細道に入り込み、千景は足を止める。視線の先に、二人の人間がいた。


 こちらに背を向けているのでハッキリとは分からないが、背の高い男と中背の女だろうか。スカートを履いているのだから多分女だろう。男の方は、布で覆われた細長い荷物を抱えている。持ち主の背丈ほどに長い。


 中背の女が、こちらに背中を向けたまま右手を掲げあげた。そして、指パッチンの動作をしてみせる。


 その一拍後、彼女の目の前の空間に亀裂が走った。瞬間的に、空間が大きくひび割れた。

 女が手を下ろすと、ヒビに包まれた空間は砕け散り、そこには盛大に穴が開く。光を飲み込む、先の見えぬ深淵色の穴。


「な、なんだと……?」


 陽の動揺など知らず、女と男は自分からその穴の中へ入っていった。彼らの姿が消えると、穴は空間自身の補修力によってすぐに埋め立てられるが、その仕事は雑で亀裂だらけであり不完全な修復であった。

 路地裏の細道は、陽と千景の二人きりになる。


「これは……」


 埋まったが、これは間違いなく魔鏡空間に繋がる穴だ。しかし、ただ指パッチンだけで簡単に空間へ亀裂を入れることなど出来るはずもない。空間の壁はそんな脆弱なものではない。


「ヨウ。アレは魔人じゃない、どちらも人間だった。破壊者じゃないよ」


 傍らの千景は鋭利な声を放つ。


「ただの人間が、指パッチンで空間を?」


 陽も声音を硬質にせざるを得ない。


「でも人間だよ。あの謎の化物と似た波動も感じなかった」


 謎の化物。千景を捕え小雪を発狂させた、人間でも千景の同族でも鏡獣でもない謎の存在──アレの力は感知されなかったという。


「だが、イレギュラーだ。どうする」


 ネットに投稿された異常に長持ちする鏡獣。言葉を発する鏡獣、こう続けて常とは異なるモノを見せられては関連を疑わざるを得ない。そして魔人及びそれと契約した人間でもないとなると、味方であるか敵であるかすら判らない。


「強大な力は感じられないよ。力自体はチカゲたちの脅威ではない、とは思うけど」

「……放置は危険か?」

「もし、あの二人がおかしな鏡獣に関わっているのなら。すべて人為的なら、危険なモノに発展する可能性は高いと思う」


 陽たちの脅威ではなくても、今はそうではなくても、いつか一般市民を脅かすことにはなるかもしれない。であれば、やはり接触せざるを得ない。


「ヨウ。行こう、無視は出来ないよ」

「ああ……」


 未知との接触、不安は拭えない。だが、人々を餌食にする魔鏡、それに関わるモノであれば放置するわけには行かない。

 陽は空間の亀裂に歩み寄り、そこに拳を叩き込む。


 空間の壁は容易く砕け散り、埋め立てられたはずの穴が再度そこに現れた。

 陽と千景は、一瞬だけ視線を交わし合い、そして共に穴へと飛び込んだ。

 なにがあろうと、最低限、千景の身は守るさ。

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