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竜骸の国  作者: 宵野 綴
本編
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3/4

徴用

 落盤から五日たっても坑道は閉ざされたままで、縦坑の口には板が渡され、その上に町の役の者が縄を張って、誰も下りられないようにしてあったから、ガルムの男たちは朝になると坑口の前まで来て、板の上の縄を眺め、煙草を一服して、また長屋へ帰っていった。


 父の体は坑口の脇の骨室に寝かされていた。骨室は坑道の古い枝坑を一つ塞いで作った冷たい部屋で、ガルムでは死んだ者を、弔いの晩までそこに置く。弔いには灯骨の燭台を、死んだ者の歳の数だけ並べる決まりになっていた。父は四十五だった。坑道が閉ざされて、町に灯骨が入ってこなくなっていた。長屋の竈の分を削って集めても、二十と少しが精いっぱいだった。


「待てばいい。坑道が開けば、すぐ揃う」


 ドーガはそう言った。長屋の土間で、私の向かいに座って、湯を飲みながら言った。


 声が小さかった。ドーガは地上では、坑口から町の端の鍛冶屋まで届く声で喋る男だった。その声が、坑道の中の囁きほどではないにしても、土間の竈の向こうまでしか届かない大きさになっていた。五日前から、ずっとそうだった。


「坑道は、いつ開くの」


「役人が来て、骨を叩いて、いいと言ったら」


「叩くなら、私にもできる」


「お前は下りるな」


 ドーガは湯呑みを置いた。


「下りないと食えない」


「食わせる。俺が」


「ハルの分も?」


「ハルの分もだ」


 ドーガは私の顔を見ずに言った。湯呑みの縁を、太い指でなぞっていた。指の節に、五日前の退避坑の壁を掘ったときの傷がまだ赤く残っていた。


「選鉱場に口を利いてある。明日から行け。地上の仕事だ。壁を叩くのが上手いなら、欠片を叩くのも上手いだろう」


 私は返事をせずに、土間の隅に置いた自分の寝床のほうを見た。布団の下に、父の倒れていたところで拾った欠片を、布にくるんで入れてあった。五日たっても、欠片は温かいままだった。朝起きると、その温かさが布団越しに腰のあたりに残っていた。そのことは、ドーガにもハルにも話さずにいた。


---


 選鉱場は坑口の下の、川沿いの細長い小屋だった。板壁の隙間から川風が抜けて、座っているだけで指の先がかじかんだ。


 坑道から上がってきた骨の塊を、女と年寄りと子供が並んで、小さな槌で割っていく。割れた欠片の中から灯骨の白いところを選り分けて、籠に入れる。灯骨にならない骨は脇に積んで、川へ捨てる。坑道が閉ざされてからは、上がってくる塊がなく、皆、前に捨てた屑の山を崩して、見落とした灯骨を探していた。


 私は屑の山から欠片を一つずつ取って、拳の節で叩いた。かじかんだ節に、叩くたびに音が響いて、少し痛んだ。叩いて、耳に寄せて、返りを聴いた。澄んで高く返るものだけを籠に入れた。槌で割らなくても、音で分かる。半日で、私の籠は隣の女の籠の三倍になった。


 隣の女は、坑夫の後家で、私の母と同じ頃にガルムへ来た人だった。籠を見比べて、それから私の拳を見た。


「あんたの父さんも、そうやって叩いてたね」


 私は頷いて、次の欠片を叩いた。


「灯骨の値が、王都で倍になったって。坑道が閉まったから。それで王都から役人が来るんだと。坑道を早く開けさせに」


「いつ」


「もう来てるって話だよ」


 女は顎で、小屋の入口のほうを示した。


 入口の柱の脇に、女が一人立っていた。灰色の外套を着ていた。外套は厚い羅紗で、裾には泥のはね一つなく、ガルムの者の外套とは仕立てからして違っていた。三十を少し過ぎたくらいで、髪を後ろで固く結っていて、手に小さな帳面を持っていた。小屋に並ぶ女や子供を、一人ずつ、端から順に見ていた。見るたびに、帳面に何か書いていた。


 私が欠片を叩くたびに、その女の目がこちらで止まった。


 三度目に目が合ったとき、女は帳面に何か書いて、小屋を出ていった。


---


 その晩、長屋の寝床で、ハルは私の腕にしがみついて眠った。


 落盤の晩から、毎晩そうだった。ハルは寝つきがよく、横になると、数を十も数えないうちに眠ってしまう。眠りながら、時々小さく唸る。瞼の下で、目がせわしなく右へ左へ動く。何を見ているのか朝になって訊くと、ハルは決まって、忘れた、と言って笑う。


 私は目を閉じて、横になっていた。


 横になってしばらくすると眠りに落ちて、気がつくと目が覚めている。眠りと目覚めの間は、墨を一刷けしたように黒く塗られている。母が生きていた頃、母は朝になると私に、どんな夢を見たかと訊いた。私が、何も、と答えると、母は少し黙ってから、そう、とだけ言った。


 戸が、小さく叩かれた。


 ドーガの声がした。囁き声だった。それから戸が開いて、冷たい風と一緒に、灯りが入ってきた。油の灯りだった。灯骨の灯りより赤く、低く、黒い煙を細く上げていた。


 足音が二つ入ってきた。一つはドーガの、重い足音。もう一つは軽く、床板を踏むたびにかすかに鳴るだけだった。


「起こさずに見ます。すぐに済みます」


 女の声だった。低く、平らな声だった。


 灯りが近づいてきた。瞼の向こうが赤くなった。私は目を閉じたまま、息を整えた。


 昼間の選鉱場で、あの女が端から順に子供たちの顔を見ていたのを思い出した。


 灯りがまずハルの顔の上で止まった。しばらく止まっていた。ハルは私の腕にしがみついたまま、小さく唸った。


「よく動く」


 女が言った。紙の上を、何かが擦る音がした。


 それから灯りが、私の顔の上に来た。


 私は閉じた瞼の裏で、目を動かそうとした。落盤の晩、眠らずに梁の木目を数えていたときのように。一本、二本。目で梁を辿るつもりで、瞼の裏の暗がりを、右から左へ、ゆっくり動かした。三本、四本。


 灯りは私の顔の上に止まったままだった。灯りの熱で、瞼が少し乾いた。布団の下で、腰のあたりの欠片の温かさが、急に気になった。女の手が布団の端を少し持ち上げて、私の肩にかけ直した。手は欠片から、指二本ぶんのところを通って、離れた。


「数えている目ですね」


 女が言った。灯りは私の顔の上にあって、言葉はドーガのほうへ向けられていた。


「夢で動く目は、左と右が揃いません。数える目は、揃って、同じ速さで動きます」


 ドーガは黙っていた。


 紙の上を、また何かが擦った。さっきより長かった。


 灯りが離れていった。足音が二つ、戸口へ戻っていった。戸が閉まる前に、ドーガの囁き声が、何か言いかけて止まるのが聞こえた。


 私は目を開けて、天井の梁を見た。梁は暗がりに沈んで、黒い一本の線になっていた。


 あの女は、帳面に私の名を書いた。名を訊かれもしないのに書けたのは、昼間のうちに、選鉱場の誰かに訊いておいたからだろう。


=== 投稿区切り(第二章 その1 ここまで)===


 朝、女はドーガの長屋の土間の、ドーガがいつも座る場所に座っていた。


 ドーガは竈の脇に立っていた。自分の家の土間で客に場所を取られて、両手を前掛けで何度も拭いていた。ハルは私の後ろに隠れて、私の上着の裾を、指の節が白くなるほど強く握っていた。


「灯舎の師範で、リセと申します」


 女は帳面を膝の上に置いて言った。


「王都の命で、腹の州の空ろ子を数えに来ました。ガルムでは昨晩、四人見つけました。ミラ、十七、坑夫の娘。壁を叩く癖がある。叩いた欠片の音で灯骨を選る。選鉱場で、半日で籠三つ。父親は五日前の落盤で死亡」


 リセは帳面を見ずに言った。帳面は閉じたままだった。


「空ろ子、というのは」


「夢を見ずに生まれる子です。腹の州で増えています。灯舎は、そういう子を集めて、仕事を教える場所です」


「どんな仕事」


「今日はそこまでは申しません。今日は数えに来ただけです。札は、後で別の者が持ってきます」


 ドーガが、竈の脇から一歩出た。


「この子は夢を見る」


 声は小さかった。けれど、はっきりしていた。


「俺が見た。坑道の休みのとき、居眠りして、寝言を言ってた。夢を見る子だ。帳面から消してくれ」


 リセはドーガを見た。それから、私を見た。


「では、今夜もう一度、見せていただきます。あなたが見たのと同じ寝言が聞ければ、帳面から消します」


 ドーガは黙った。竈の火がぱちりと爆ぜた。


 今夜、ドーガは私の寝床の脇に座って、私が眠ったら、私の代わりに寝言を言うだろう。あの人なら、腹話術みたいに口をもごもごさせて、それくらいのことはやる。リセがそれを見抜いたら、王都の役人をだましたかどで、連れていかれるのはドーガのほうだ。


「見ない」


 私は言った。


 ドーガが私を見た。


「夢は、一度も見たことがない。昨日の晩も、その前も」


「ミラ」


「ドーガさんは、寝言を聞いたかもしれない。でも、それは夢じゃない。私は寝てるとき、目が動かない。ハルが知ってる」


 ハルが、私の上着の裾を引いた。


「姉ちゃん」


「うん」


「姉ちゃんは、夢を見ないの」


「見ない」


「一回も?」


「一回も」


「じゃあ、寝てるとき、何してるの」


「寝てる」


「寝てるだけ? つまらなくない?」


 ハルはそう言ってから、リセのほうを向いた。ハルは誰に対しても、二つ目の問いからは遠慮がなくなる子だった。


「おばさんは夢を見るの」


「見ます」


「どんな夢」


「書いておかないと忘れる夢です」


「じゃあ、書いてるの」


「書いています」


「その帳面に?」


「この帳面には、仕事のことしか書きません」


「じゃあ、夢はどこに書くの」


 リセは少しだけ、口の端を動かした。


「別の帳面に。それは、あなたにも見せられません」


 ハルは納得のいかない顔で、私の裾をまた握った。


 リセは帳面を外套の内側にしまって、立ち上がった。それから私のほうを向いた。


「その叩き方は、誰に」


「父に」


「父親の名は」


 口を開けて、閉じた。父の名を口に出すのは、弔いの晩に燭台の前で、と決まっていた。ガルムでは、死んだ者の名を、弔いより先に人前で呼ばない。


 リセは私の顔を少し見て、頷いた。


「弔いのときに伺います。それまで、この町にいますから」戸口へ行きかけて、足を止めた。外套のかくしから、布にくるんだものを一つ出して、竈の脇の棚の上に置いた。


「弔いの燭台に、足りないと聞きました。一欠片ですが」


 布の隙間から、白いものが覗いていた。灯骨だった。親指の先ほどの大きさだった。


 ドーガがそれを見て、それからリセを見た。


「なんでだ」


「道具の家族の弔いに、灯りが足りないのは困ります。灯舎は、そういうことで後から恨まれるのが嫌いなので」


 リセはそう言って、戸を開けた。冷たい風が入ってきて、竈の火を横に倒した。戸が閉まって、軽い足音が、長屋の前の雪の上を遠ざかっていった。


 ドーガは棚の上の灯骨を、長いこと見ていた。それから、それを手に取らずに、竈の前にしゃがんで、薪を一本足した。


 薪が燃えつくのを待たずに、ドーガは立ち上がって、戸を開けて外へ出た。


 長屋の前の雪の上に、ドーガは突っ立っていた。坑口のほうを向いていた。肩が一度、大きく上がった。


 それから、叫んだ。


 言葉の形をしていない声だった。坑口から町の端の鍛冶屋まで届く、五日前までのドーガの声で、ただ一声、腹の底から叫んだ。長屋の並びの戸が、あちこちで細く開いた。坑口の前で縄を眺めていた男たちが振り向いて、しばらくドーガを見て、また縄のほうへ向き直った。


 ドーガは足元の雪を一度、強く蹴って、それから戸口へ戻ってきた。土間に入って、戸を閉めて、私とハルを見た。


「弔いは、明後日の晩だ」


 いつもの声だった。地上の、ドーガの声だった。


 ハルが、私の裾を引いた。


「姉ちゃん」


「なに」


「夢、見ないなら、教えてあげる。昨日の夢」


 ハルは私の耳に口を寄せた。朝になって夢を訊いても、いつも忘れたと言って笑う子が、その朝だけは覚えていた。


「骨の中に、町があるの。夢で見た」

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