徴用
落盤から五日たっても坑道は閉ざされたままで、縦坑の口には板が渡され、その上に町の役の者が縄を張って、誰も下りられないようにしてあったから、ガルムの男たちは朝になると坑口の前まで来て、板の上の縄を眺め、煙草を一服して、また長屋へ帰っていった。
父の体は坑口の脇の骨室に寝かされていた。骨室は坑道の古い枝坑を一つ塞いで作った冷たい部屋で、ガルムでは死んだ者を、弔いの晩までそこに置く。弔いには灯骨の燭台を、死んだ者の歳の数だけ並べる決まりになっていた。父は四十五だった。坑道が閉ざされて、町に灯骨が入ってこなくなっていた。長屋の竈の分を削って集めても、二十と少しが精いっぱいだった。
「待てばいい。坑道が開けば、すぐ揃う」
ドーガはそう言った。長屋の土間で、私の向かいに座って、湯を飲みながら言った。
声が小さかった。ドーガは地上では、坑口から町の端の鍛冶屋まで届く声で喋る男だった。その声が、坑道の中の囁きほどではないにしても、土間の竈の向こうまでしか届かない大きさになっていた。五日前から、ずっとそうだった。
「坑道は、いつ開くの」
「役人が来て、骨を叩いて、いいと言ったら」
「叩くなら、私にもできる」
「お前は下りるな」
ドーガは湯呑みを置いた。
「下りないと食えない」
「食わせる。俺が」
「ハルの分も?」
「ハルの分もだ」
ドーガは私の顔を見ずに言った。湯呑みの縁を、太い指でなぞっていた。指の節に、五日前の退避坑の壁を掘ったときの傷がまだ赤く残っていた。
「選鉱場に口を利いてある。明日から行け。地上の仕事だ。壁を叩くのが上手いなら、欠片を叩くのも上手いだろう」
私は返事をせずに、土間の隅に置いた自分の寝床のほうを見た。布団の下に、父の倒れていたところで拾った欠片を、布にくるんで入れてあった。五日たっても、欠片は温かいままだった。朝起きると、その温かさが布団越しに腰のあたりに残っていた。そのことは、ドーガにもハルにも話さずにいた。
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選鉱場は坑口の下の、川沿いの細長い小屋だった。板壁の隙間から川風が抜けて、座っているだけで指の先がかじかんだ。
坑道から上がってきた骨の塊を、女と年寄りと子供が並んで、小さな槌で割っていく。割れた欠片の中から灯骨の白いところを選り分けて、籠に入れる。灯骨にならない骨は脇に積んで、川へ捨てる。坑道が閉ざされてからは、上がってくる塊がなく、皆、前に捨てた屑の山を崩して、見落とした灯骨を探していた。
私は屑の山から欠片を一つずつ取って、拳の節で叩いた。かじかんだ節に、叩くたびに音が響いて、少し痛んだ。叩いて、耳に寄せて、返りを聴いた。澄んで高く返るものだけを籠に入れた。槌で割らなくても、音で分かる。半日で、私の籠は隣の女の籠の三倍になった。
隣の女は、坑夫の後家で、私の母と同じ頃にガルムへ来た人だった。籠を見比べて、それから私の拳を見た。
「あんたの父さんも、そうやって叩いてたね」
私は頷いて、次の欠片を叩いた。
「灯骨の値が、王都で倍になったって。坑道が閉まったから。それで王都から役人が来るんだと。坑道を早く開けさせに」
「いつ」
「もう来てるって話だよ」
女は顎で、小屋の入口のほうを示した。
入口の柱の脇に、女が一人立っていた。灰色の外套を着ていた。外套は厚い羅紗で、裾には泥のはね一つなく、ガルムの者の外套とは仕立てからして違っていた。三十を少し過ぎたくらいで、髪を後ろで固く結っていて、手に小さな帳面を持っていた。小屋に並ぶ女や子供を、一人ずつ、端から順に見ていた。見るたびに、帳面に何か書いていた。
私が欠片を叩くたびに、その女の目がこちらで止まった。
三度目に目が合ったとき、女は帳面に何か書いて、小屋を出ていった。
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その晩、長屋の寝床で、ハルは私の腕にしがみついて眠った。
落盤の晩から、毎晩そうだった。ハルは寝つきがよく、横になると、数を十も数えないうちに眠ってしまう。眠りながら、時々小さく唸る。瞼の下で、目がせわしなく右へ左へ動く。何を見ているのか朝になって訊くと、ハルは決まって、忘れた、と言って笑う。
私は目を閉じて、横になっていた。
横になってしばらくすると眠りに落ちて、気がつくと目が覚めている。眠りと目覚めの間は、墨を一刷けしたように黒く塗られている。母が生きていた頃、母は朝になると私に、どんな夢を見たかと訊いた。私が、何も、と答えると、母は少し黙ってから、そう、とだけ言った。
戸が、小さく叩かれた。
ドーガの声がした。囁き声だった。それから戸が開いて、冷たい風と一緒に、灯りが入ってきた。油の灯りだった。灯骨の灯りより赤く、低く、黒い煙を細く上げていた。
足音が二つ入ってきた。一つはドーガの、重い足音。もう一つは軽く、床板を踏むたびにかすかに鳴るだけだった。
「起こさずに見ます。すぐに済みます」
女の声だった。低く、平らな声だった。
灯りが近づいてきた。瞼の向こうが赤くなった。私は目を閉じたまま、息を整えた。
昼間の選鉱場で、あの女が端から順に子供たちの顔を見ていたのを思い出した。
灯りがまずハルの顔の上で止まった。しばらく止まっていた。ハルは私の腕にしがみついたまま、小さく唸った。
「よく動く」
女が言った。紙の上を、何かが擦る音がした。
それから灯りが、私の顔の上に来た。
私は閉じた瞼の裏で、目を動かそうとした。落盤の晩、眠らずに梁の木目を数えていたときのように。一本、二本。目で梁を辿るつもりで、瞼の裏の暗がりを、右から左へ、ゆっくり動かした。三本、四本。
灯りは私の顔の上に止まったままだった。灯りの熱で、瞼が少し乾いた。布団の下で、腰のあたりの欠片の温かさが、急に気になった。女の手が布団の端を少し持ち上げて、私の肩にかけ直した。手は欠片から、指二本ぶんのところを通って、離れた。
「数えている目ですね」
女が言った。灯りは私の顔の上にあって、言葉はドーガのほうへ向けられていた。
「夢で動く目は、左と右が揃いません。数える目は、揃って、同じ速さで動きます」
ドーガは黙っていた。
紙の上を、また何かが擦った。さっきより長かった。
灯りが離れていった。足音が二つ、戸口へ戻っていった。戸が閉まる前に、ドーガの囁き声が、何か言いかけて止まるのが聞こえた。
私は目を開けて、天井の梁を見た。梁は暗がりに沈んで、黒い一本の線になっていた。
あの女は、帳面に私の名を書いた。名を訊かれもしないのに書けたのは、昼間のうちに、選鉱場の誰かに訊いておいたからだろう。
=== 投稿区切り(第二章 その1 ここまで)===
朝、女はドーガの長屋の土間の、ドーガがいつも座る場所に座っていた。
ドーガは竈の脇に立っていた。自分の家の土間で客に場所を取られて、両手を前掛けで何度も拭いていた。ハルは私の後ろに隠れて、私の上着の裾を、指の節が白くなるほど強く握っていた。
「灯舎の師範で、リセと申します」
女は帳面を膝の上に置いて言った。
「王都の命で、腹の州の空ろ子を数えに来ました。ガルムでは昨晩、四人見つけました。ミラ、十七、坑夫の娘。壁を叩く癖がある。叩いた欠片の音で灯骨を選る。選鉱場で、半日で籠三つ。父親は五日前の落盤で死亡」
リセは帳面を見ずに言った。帳面は閉じたままだった。
「空ろ子、というのは」
「夢を見ずに生まれる子です。腹の州で増えています。灯舎は、そういう子を集めて、仕事を教える場所です」
「どんな仕事」
「今日はそこまでは申しません。今日は数えに来ただけです。札は、後で別の者が持ってきます」
ドーガが、竈の脇から一歩出た。
「この子は夢を見る」
声は小さかった。けれど、はっきりしていた。
「俺が見た。坑道の休みのとき、居眠りして、寝言を言ってた。夢を見る子だ。帳面から消してくれ」
リセはドーガを見た。それから、私を見た。
「では、今夜もう一度、見せていただきます。あなたが見たのと同じ寝言が聞ければ、帳面から消します」
ドーガは黙った。竈の火がぱちりと爆ぜた。
今夜、ドーガは私の寝床の脇に座って、私が眠ったら、私の代わりに寝言を言うだろう。あの人なら、腹話術みたいに口をもごもごさせて、それくらいのことはやる。リセがそれを見抜いたら、王都の役人をだましたかどで、連れていかれるのはドーガのほうだ。
「見ない」
私は言った。
ドーガが私を見た。
「夢は、一度も見たことがない。昨日の晩も、その前も」
「ミラ」
「ドーガさんは、寝言を聞いたかもしれない。でも、それは夢じゃない。私は寝てるとき、目が動かない。ハルが知ってる」
ハルが、私の上着の裾を引いた。
「姉ちゃん」
「うん」
「姉ちゃんは、夢を見ないの」
「見ない」
「一回も?」
「一回も」
「じゃあ、寝てるとき、何してるの」
「寝てる」
「寝てるだけ? つまらなくない?」
ハルはそう言ってから、リセのほうを向いた。ハルは誰に対しても、二つ目の問いからは遠慮がなくなる子だった。
「おばさんは夢を見るの」
「見ます」
「どんな夢」
「書いておかないと忘れる夢です」
「じゃあ、書いてるの」
「書いています」
「その帳面に?」
「この帳面には、仕事のことしか書きません」
「じゃあ、夢はどこに書くの」
リセは少しだけ、口の端を動かした。
「別の帳面に。それは、あなたにも見せられません」
ハルは納得のいかない顔で、私の裾をまた握った。
リセは帳面を外套の内側にしまって、立ち上がった。それから私のほうを向いた。
「その叩き方は、誰に」
「父に」
「父親の名は」
口を開けて、閉じた。父の名を口に出すのは、弔いの晩に燭台の前で、と決まっていた。ガルムでは、死んだ者の名を、弔いより先に人前で呼ばない。
リセは私の顔を少し見て、頷いた。
「弔いのときに伺います。それまで、この町にいますから」戸口へ行きかけて、足を止めた。外套のかくしから、布にくるんだものを一つ出して、竈の脇の棚の上に置いた。
「弔いの燭台に、足りないと聞きました。一欠片ですが」
布の隙間から、白いものが覗いていた。灯骨だった。親指の先ほどの大きさだった。
ドーガがそれを見て、それからリセを見た。
「なんでだ」
「道具の家族の弔いに、灯りが足りないのは困ります。灯舎は、そういうことで後から恨まれるのが嫌いなので」
リセはそう言って、戸を開けた。冷たい風が入ってきて、竈の火を横に倒した。戸が閉まって、軽い足音が、長屋の前の雪の上を遠ざかっていった。
ドーガは棚の上の灯骨を、長いこと見ていた。それから、それを手に取らずに、竈の前にしゃがんで、薪を一本足した。
薪が燃えつくのを待たずに、ドーガは立ち上がって、戸を開けて外へ出た。
長屋の前の雪の上に、ドーガは突っ立っていた。坑口のほうを向いていた。肩が一度、大きく上がった。
それから、叫んだ。
言葉の形をしていない声だった。坑口から町の端の鍛冶屋まで届く、五日前までのドーガの声で、ただ一声、腹の底から叫んだ。長屋の並びの戸が、あちこちで細く開いた。坑口の前で縄を眺めていた男たちが振り向いて、しばらくドーガを見て、また縄のほうへ向き直った。
ドーガは足元の雪を一度、強く蹴って、それから戸口へ戻ってきた。土間に入って、戸を閉めて、私とハルを見た。
「弔いは、明後日の晩だ」
いつもの声だった。地上の、ドーガの声だった。
ハルが、私の裾を引いた。
「姉ちゃん」
「なに」
「夢、見ないなら、教えてあげる。昨日の夢」
ハルは私の耳に口を寄せた。朝になって夢を訊いても、いつも忘れたと言って笑う子が、その朝だけは覚えていた。
「骨の中に、町があるの。夢で見た」




