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竜骸の国  作者: 宵野 綴
本編
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4/4

弔いの歌

 四十一個目の欠片を拳の節で叩いて耳に寄せると、澄んだ高い音が返ってきたので、籠に入れた。


 選鉱場の小屋は、私一人だった。川の水音と、板壁の隙間を抜ける風の音と、私が欠片を叩く音だけがしていた。灯りは家に置いてきた。灯骨は一欠片でも弔いの燭台に回したかったし、油は高い。手元は板壁の隙間から入る雪明かりで足りた。叩くのは、目より耳の仕事だ。


 屑の山は、坑道が閉ざされてから町じゅうの女と子供が五日かけて崩し、もう見落としはないと言われていた。見落としはあった。槌で割って、割れ口の色で選っていれば見落とす灯骨が、叩けば返事をする。骨の中に小指の先ほどの筋が一本通っているだけの欠片でも、筋があれば音は澄む。


 弔いの燭台は死んだ者の歳の数だけ並べる。父は四十五だった。町の竈から削って集めた分が二十一、灯舎のリセという女が置いていった分が一つ。残りの二十三を、私は日が落ちてから、この屑の山の中から探していた。


 四十二個目は濁って遅く返った。脇へ放った。四十三個目は二つに割れて返った。脆い。指で押すと崩れた。


 拳の節の皮が二つ剥けていた。剥けたところに屑の粉が入って、叩くたびに沁みた。沁みるたびに、父の太い節を思い出した。父の節は皮が厚くなって、石のように硬かった。


 戸口のほうで、板が鳴った。


 油の灯りが一つ、雪明かりの中に入ってきた。赤く、低い灯りだった。灯りの後ろに、灰色の外套が立っていた。


「一人で、ですか」


 リセだった。


「一人で」


「弟は」


「寝てる。ドーガさんの家で」


 リセは灯りを、私の籠の上にかざした。籠の中の欠片を、目で数えるように見ていた。


「二十」


「二十一。さっき一つ入れた」


「夜明けまでに、あと二つですか」


「見つかれば」


 リセは灯りを籠から離して、戸口の柱にもたれた。灯りを提げたまま外套の前を合わせて、私の手元を見ていた。


 私は次の欠片を叩いた。澄んで返った。籠に入れた。


「灯舎には、あなたのように叩く子はいません」


 リセが言った。


 リセは私の手元から目を上げずに、続けた。


「道具の手は大事にしなさい。右の中指と薬指の節が剥けています。左に替えて叩けば、朝までもちます」


 言われて、左の拳に替えた。左の節で叩くと、返りの聞こえ方が少し違った。


「叩いて、どうなるの」


「さあ。湖の氷の厚さが分かるかもしれません。潜る前に」


 潜る、という言葉が、何を指すのかを訊こうとして、やめた。手が先に、次の欠片を取っていた。


 夜明けの少し前に、籠の中の欠片は二十二になった。最後の一つを探して、私は手の届く山を端からもう一度叩き直した。叩き終えたとき、板壁の隙間が白み始めていた。


 リセはいつのまにか帰っていた。戸口の柱の脇の雪に、軽い足跡が一筋だけ残っていた。


---


 長屋に戻ると、ハルが土間に座っていた。


 ドーガの家で寝ていたはずのハルが、私の家の土間の、冷えた竈の前に、膝を抱えて座っていた。目が赤く腫れていた。


「起きたら、いなかった」


 ハルは私の顔を見ずに言った。


「ドーガさんちで寝てたら、夜中に起きて、姉ちゃんがいなかった。それで、こっちに来た。こっちにもいなかった」


「選鉱場にいた」


「なんで」


「父さんの燭台が、足りないから」


 ハルは膝の上に顎を載せて、私の手を見た。剥けた節を見た。それから、もう一つ問いを出しかけて、出さずに口を閉じた。ハルが問いを途中でやめるのを、私はそのとき初めて見た。


 私は籠を土間に置いて、ハルの隣に座った。竈は冷えきっていて、二人とも、吐く息が白かった。


---


 弔いは坑口の前の広場で行われた。


 日が落ちてから、町の者が集まった。骨室から運び出された父の体は、白い布に包まれて、坑口の板の前の台に寝かされていた。台の前に、燭台が並べられた。灯骨の欠片を一つずつ、小さな皿に載せて火を移していく。灯骨の火は白く、煙をほとんど立てずに燃えて、広場の雪を昼のように照らした。灯りの匂いが、雪の冷えた匂いを押しのけるようにして、広場いっぱいに満ちた。甘いような、乾いた草のような匂いだった。


 燭台は四十四並んだ。四十五番目の皿だけが、空のまま、列の端に置かれていた。


 ドーガが台の前に立った。


 弔いで死んだ者の名を最初に呼ぶのは、その者と一番長く同じ坑道に入った者の役目だった。ドーガは燭台の列の前で、しばらく黙って立っていた。それから、地上の声で、町の端まで届く声で、呼んだ。


「オルド」


 広場の雪に、その名が響いた。


 五日間、町の誰もが喉の奥にしまっていた名だった。私もしまっていた。父の名はオルドといった。ドーガの声でその名が雪の上に出たとき、五日分の名が、私の喉の奥からも一緒に押し出されてきた。


 町の者が一人ずつ、父の名を呼んだ。オルド。オルド。呼ぶたびに、燭台の火が少しだけ揺れた。坑夫たちは名を呼ぶと、手に持った鶴嘴の柄の尻で、足元の雪の下の地面を一度ずつ突いた。鈍い音が、名の数だけ広場に重なった。


 リセは広場の一番後ろに立っていた。父の名が呼ばれたとき、外套の内側から帳面を出して、何か書いた。それから、その帳面を外套の左の内側にしまった。昨日、ハルの瞼を覗いたあとに書いた帳面は、右の内側にしまっていた。


 ドーガが台の脇から、布の包みを一つ持ってきた。


 黒麦のパンと、塩をした干し魚と、炒り豆がひと握り。落盤の日、父が坑道の燭台の窪みに置いたままにしていた弁当だった。坑夫たちが、父を運び出したあとで、窪みから見つけて持って上がってきていた。パンは固くなり、干し魚は白く粉を吹いていた。


 ドーガはそれを、ハルの手に渡した。


 ハルは包みを膝の上で開いた。炒り豆を一粒つまんで、口に入れた。噛んだ。もう一粒、口に入れた。一粒ずつ、数えるように食べていった。半分ほど食べたところで、手を止めた。残りの豆を包みの真ん中に集めて、包み直して、空の四十五番目の皿の脇に置いた。


 町の者は、豆の包みとハルの顔を見て、黙って目を伏せた。


 空の皿の前に、人垣の後ろから、誰かが出てきた。


 背の低い、腰の曲がった老婆だった。黒い外套の裾を雪に引きずっていた。手に、皿を一つ持っていた。手袋をしていない指が、皿の縁で赤くかじかんでいた。皿の上に、灯骨の欠片が一つ載っていた。親指の先ほどの、角の丸くなった、古い欠片だった。


=== 投稿区切り(第三章 その1 ここまで)===


 老婆は、空の四十五番目の皿の上に、自分の持ってきた皿を重ねて置いた。それから、隣の燭台から火を移した。古い欠片は、少し遅れて、白く燃え始めた。


「足りないと聞いたからね」


 老婆はドーガのほうを向いて言った。


「あんたが坑夫頭かい。声がでかいね。死人が起きる」


 ドーガは口を開けて、閉じた。


「誰だ」


「葬送士だよ。名乗るほどの者じゃない。この子の母親の師だった、と言えば足りるかね」


 老婆は私を見た。皺の深い顔で、目だけが若かった。私の顔を、端から端まで、ゆっくり見た。それから、剥けた拳の節を見た。


「似てないね、母親に」


 老婆はそう言うと、四十五本の燭台の列の前に戻り、台の上の父の体のほうを向いた。


 町の者がざわめいた。葬送士、という言葉が、人垣の中を後ろへ伝わっていった。伝わるたびに、声が低くなった。


 老婆は息を吸った。


 歌い始めた。


 節があった。言葉もあった。言葉は、ガルムの言葉と同じ音でできていたが、私の知らない並び方をしていた。低いところから始まって、少しずつ上がり、上がりきったところで、ゆっくり下りてきた。下りてきて、また低いところから始まる。同じ節が何度も戻ってきた。戻ってくるたびに、少しずつ形が違った。


 私はその節を知っていた。どこで聴いたのかを思い出す前に、喉が勝手に節を辿っていた。低いところから、少しずつ上がる。上がりきって、下りてくる。


 人垣の後ろで、誰かが「やめさせろ」と囁いた。別の誰かが、「王都の役人がいる」と囁いた。皆が広場の一番後ろを振り返った。


 リセはそこに立っていた。灯りを手に持って、老婆を見ていた。


 リセは外套の内側から帳面を出しかけて、手を止めた。帳面を、出さずに、内側に戻した。それから、手に持っていた油の灯りを、足元の雪の上に下ろした。灯りが低くなって、リセの顔は暗がりに沈んだ。


 老婆は人垣に背中を向けたまま、最後まで歌った。


 歌が終わると、広場は燭台の火の燃える音だけになった。人垣の中で、誰かが咳をした。誰かが、王都の、と言いかけた。


 ドーガが台の前に出た。


「弔いの歌だ」


 地上の声だった。広場の端まで届いた。


「坑夫の弔いに歌が要るのは、俺の爺さんの代からの決まりだ。歌う者がいなくなったから、歌わなくなっただけだ。今夜は、歌う者がいた。それだけの話だ」


 ドーガは広場の一番後ろのほうを見なかった。人垣のほうを、端から端まで見回して、それから老婆のほうに向き直った。


「名は」


「ノルン。覚えなくていい。坑夫頭は、死人の名だけ覚えてりゃいい」


 ノルンはそう言って、ドーガの大きな体を見上げた。


「声がでかいのも、たまには役に立つね」


 人垣のあちこちで、息を吐く音がした。誰かが、小さく笑った。


---


 弔いが終わって、父の体が骨室へ戻され、燭台の火が一つずつ消されていくあいだ、老婆は広場の端の、雪をかぶった木の柵に腰を下ろしていた。外套のかくしから干し肉を出して、噛んでいた。


 私は老婆の前に立った。


「あの歌」


「ああ」


「知ってる。節だけ。母さんが歌ってた」


「だろうね」


 老婆は干し肉を噛み切った。


「あんたの母親は、イルサは、あたしより歌が下手だった。音を外す。息が続かない。度胸だけはあった。王都の広場のど真ん中で、衛兵の前で、この歌を歌った。止めろと言われて、最後まで歌った。それで、首を落とされた」


 老婆は干し肉の残りを、外套のかくしに戻した。


「死人の前で泣くんじゃないよ。死人が困る」


 私の頬は乾いていた。それでも老婆はそう言った。頬に手をやると、指は乾いたままだった。


 老婆は少し笑った。歯が何本か欠けていた。


「あんたじゃない。あっちの、弟のほうだ」


 振り返ると、ハルが空の弁当の包みを抱えて、燭台の消えた台の前に立っていた。肩が小さく揺れていた。ドーガが、その後ろで、ハルの頭に手を置いていた。


 ハルはドーガの手の下から顔を上げて、こちらへ歩いてきた。ノルンの前で止まって、鼻をすすった。


「おばあさんは、誰」


「歌う婆さんだよ」


「さっきの歌、もう一回」


「一回で覚えな。二回目は高い」


「いくら」


「干し肉一枚」


 ハルは空の包みを見て、それからノルンの外套のかくしを見た。干し肉の端が覗いていた。


「それ、おばあさんのじゃん」


 ノルンは声を出して笑った。欠けた歯が見えた。


 私は老婆に向き直った。


「歌ってみな」


 老婆が言った。


「節だけでいい。母親のを」


 喉を開けた。低いところから始めた。少しずつ上がった。上がりきったところで、下りてきた。


 言葉は、一つも乗らなかった。


 節は喉が覚えていた。言葉のほうは、母が歌っていた口の形まで思い出せるのに、その口から出ていた音が、白い靄の向こうにあった。


 七十の私は、今も、この節を口ずさめる。湖のほとりの小屋で、油の灯りの下で、指の曲がった手で膝を叩きながら口ずさむと、節は十七の冬と同じ形で喉から出てくる。言葉は、今夜も、喉の手前で止まる。


 歌い終えると、老婆は私の顔を見ずに、燭台の消えた広場を見ていた。


「教えて」


 私は言った。


「言葉を。あの歌の、言葉を」


 老婆は干し肉の入ったかくしに手を入れて、何かを掴みかけて、手を出した。口を開けた。閉じた。もう一度開けた。


「……その先は、いい」

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