第4話 わたくし、婚約することになりましたわ!? / 僕の婚約者は、かわいい
タイトルでお分かりいただけると嬉しいのですが
前半セラフィーナ、後半クロードのお話です。
今後、こんな感じで二つのお話が入る場合があります。
よろしくお願いします。
私が前世を思い出したとき、五歳の誕生日だった。でも、早いものであれから五年が過ぎて、先日誕生日を迎えた私は十歳になった。
私は今も、お父様とお母様が注いでくれる春の柔らかな陽だまりのような大きな愛に温かく守られていて、二人に感謝しかない。
そんな春のポカポカとした温かい昼下がり、サロンのティーテーブルの上には、ティーポットから立ち上る紅茶の香りと並んで、いびつな形をした丸いクッキー――ドロップクッキーが置かれている。実は私が前世で作っていたクッキーを料理人たちに頼んで一緒に作ってみたのだ。
「あの……作ってみたのですわ。食べて……くださいますか?」
私の指先には、まだ少しだけ小麦粉がついている。だって出来立てが一番美味しいから、早く食べてもらいたかったんだもん。片付けも早々にここまで運んで持ってきたの。びっくりさせたくて。
普段なら専属料理人が作る完璧な細工菓子が並ぶサロンに、あまりにも素朴で不揃いな焼き菓子だ。でも一生懸命作ったし、手作りってこんなもんだと思う。私的には大満足だ。それに味は料理人たちからも美味しいって言ってもらった。だから問題ない。はず、たぶん、きっと……大丈夫だよね?
そう思いながらも、実はどきどきしている。だってホント、手作りだよ?この世界には毒見係があるのも知っている。いや、毒なんて入れていないけれどもね? でも、やっぱり気にするかなーって。ならなんで作ったかっていうと、私が食べたくなったからです。ハイ。伯爵家で出るお菓子は美味しいけれども甘すぎるんだよね、だから、こういう素朴なのが食べたくなったのよ。
「まぁ! セラフィーナ。あなたが作ったのかしら」
大丈夫かな? 食べてもらえるかな? なんて、ホントどきどきしていたんだけれども――
「はい……。前世で作っていたクッキーですわ。思い出しながら、料理長たちに手伝ってもらって作りましたの」
「そうか。いただこう」
「ええ。いただきますわね」
「ぼくも、いただきます!」
お母様がそっと手に取り、口に運んでくれた。その瞬間、お母様の動きがピタリと止まった。
「……これ……は……(重厚なスパイスもドギツイ甘さもない。ただ純粋なバターと小麦の香りがふわりと鼻腔を抜け、口の中で驚くほど軽く、ほどけていくわ……美味しい)」
お母様は、何やら感動しているようなお顔を浮かべている。これは成功ってことかしら?
お父様も慌てて口に運んで、同じように絶句しているようだ。
「お姉さまっ! すっごくおいしい。これ、ぼく大好き!」
セルジオも、美味しかったみたいだ。次から次へと、お皿からなくなっていく。セルジオのかわいいほっぺにクッキーのかすがついている。かわいいだろう、もう。
一人ニヤニヤしているとお母様が優雅にハンカチで口元をぬぐい私の目を見ながら言った。
「ええ。本当に美味しい……。世界で一番、美味しいわ……!」
「うん、本当に美味しいね。これも前世の記憶なのかい?」
「はい、そうなのですわ。いたって簡単なレシピなのですが、わたくしがよく作っていたものを思い出しましたの」
「そうか。ではこれもまた、知り合いの食堂で出せるように調整しよう。下町の食堂だから、このような温かみのあるクッキーはきっと好まれるだろう」
「はい! よろしくお願いしますわ。ふふふ、わたくしが大好きなクッキーが、また食べられるようになりますのね」
チートな方法で作ったわけでも、国家機密のレシピでもない。ただ、一生懸命に混ぜて、焼き加減を調節しただけの、不格好なクッキー。でも、褒めてもらえて嬉しい! しかも、これから自分が作らずとも食べれるなんて! 今度下町の食堂にもいかなくちゃ。
お父様は、昔と変わらず私の頭を、大きくて温かい手で、そっと優しく撫でてくれた。いつもはセルジオが撫でられているのだけれど、たまには私だっていいよね。えへへ。
「また前世の記憶を思い出して何かを作ったら、ちゃんとすぐに言うんだよ? いいね」
「はい!」
私はこうして、時折思い出しては、両親へ小さな披露を重ねていたのだった。
◇◇◇
そんな穏やかな日々を過ごしていた私だが、ある日お父様に応接室へと呼び出された。え? 呼び出される理由なんてないんだけれども?
私にまた弟か妹ができる。とか嬉しい話ならいいなー。なんて思いながら、どきどきしつつ応接室の扉をノックした。
部屋にはお父様だけではなくお母様も一緒にいた。え? やっぱり弟か妹の話? マジか。
「セラフィーナ、驚かずに聞いておくれ」
お父様がいつになく真剣な表情で、けれどどこか嬉しさを隠せない様子で口を開いた。
これは、絶対そうだ。私は確信した。そうかそうか。もう一人弟か妹か。私は一人ニマニマして、未来の弟か妹に思いを馳せていた。
「実は先ほど、アリントン侯爵夫妻がいらしてね。セラフィーナを、息子であるクロード様の婚約者として迎えたいと、直々に申し入れがあったんだ」
「え……っ?」
予想もしていなかった言葉に、私の中に突如として激震が走った。
……って、ええええええええっ!? 私は思わず、これでもかと目を見開いた。
(え? 弟か妹の話ではなくて? わたくしが、クロード様の婚約者……?)
クロード様の婚約者。そう自分の中でつぶやいたとき、ドクン、と胸が大きく跳ね上がったのが分かった。不思議と嫌な気持ちは全くなかった。むしろ、クロード様の特別になると思ったら、顔がカッと熱くなった。私の顔はきっと真っ赤になっているに違いない。
えっと、えっと、まじか? うん。まじだ。え?
本当に? え、うそでしょう?
自分でもよくわからなくなって、でも、プチパニック中なのがわかる。婚約? 私がクロード様と?
えっと、えっと。えっと。えーっと……嬉しい。嬉しいんですけれども!
(――っ! ……わたくし、婚約することになりましたわ!?)
一人で大混乱している私に、お母様が優しく微笑みながら教えてくれた。
「ふふ、驚くのも無理はないわね。でもね、セラフィーナ。クロード様ご本人が『どうしてもセラフィーナ嬢がいい』と、ご両親にお願いしたそうなのよ」
「ふえっ……? ク、クロード様が、ですか……?」
その言葉を聞いた瞬間、私の脳内にさらなる衝撃が走った。え、うそでしょ? だって、だって……
(ま、まさか……! 「こんなにかっこいい人ともっと仲良くなりたいですわ!」という邪念が、いつもお会いしているとき、全部お顔に出ていましたの!? だから生真面目な彼は責任を感じて……!?)
私は、自分がとんでもない態度をとっていたからだという理論に落ち着いた。だって、そうでしょう? そうじゃないとおかしいもの。絶対そう。
(あんなに無愛想だったクロード様が、わざわざ自分から親に頼むなんて。きっと、わたくしが大根の葉を押し付けたりしてしつこく付きまとったから、責任を感じて「そうしないと申し訳ない」と言ってくれたに違いない!)
私の頭の中はどんどんパニックになっていく。だって、だって、クロード様本人が望むって、絶対おかしいと思うの。そりゃ、私はかわいいけれども! でも、でもでも。
「クロード様が自分からそんな風に望みを口にしたのは、初めてのことだったそうだよ。それほどまでにセラフィーナを想ってくださるのならと、喜んでお受けしたんだ」
お父様とお母様は、本当に嬉しそうに顔を見合わせていた。でも、完全にパニックになっていた私にはそれに気づけなかった。しかも私の耳には、後半の「想ってくださる」という言葉は都合よくすっぽ抜けて届くことはなかった。
(ああ、わたくしったら、なんてことを!! 前世の知識があるからって調子に乗って、クロード様を外堀から埋めるように追い詰めてしまったんだわ……!)
本当はクロード様からの純粋な好意だったのだが――そんなことを知らない私は、完全に大きな勘違いのルートへと足を踏み入れていた。
「……はい。わたくしも、クロード様と婚約したいですわ!」
本当は胸が張り裂けそうなほど嬉しいのに、頭の中では(クロード様、無理をさせてごめんなさい。でも、わたくし絶対にあなたを幸せにしますわ!)と、見当違いな決意を固めていたのだった。
それからさらに数日後、正式に婚約が調い――アリントン侯爵邸で、両家を招いての内祝いが開かれることになった。
応接室に向かう廊下で――
◇◇◇
アリントン侯爵邸。
応接室へ向かう廊下を歩きながら、僕は胸の鼓動を抑えようとしていた。
「お兄様、またそんな怖い顔をして。今日はお祝いの日なのですから、もう少し口角を上げてくださいな」
エリカが呆れたように僕の顔を覗き込んできた。
「……別に、怖い顔などしていない」
「いいえ、緊張で顔が強張っていますわ。セラに愛想付かれて、そこで『やっぱりナシですわ』とか言われてしまったらどうするのですか?」
「……善処する」
エリカの軽口を聞きながら、僕はそっと胸ポケットに手を当てた。そこには、彼女――セラのために用意した小さな贈り物が眠っていた。
(本当に僕の婚約者になってくれたんだ)
今日からは、妹の友人ではない。僕の婚約者として向き合う。
一生をかけて、彼女を幸せにする。
そんな決意を胸に、僕は応接室へ向かった。
◇◇◇
大人たちの挨拶が終わり、僕とセラは、庭園の東屋で二人きりのティータイムを過ごすことになった。
僕の向かいに座るセラは、今日も咲き誇る花のように愛らしい。……のだが、どうもさっきから様子がおかしい。
彼女はなぜか、背筋をピンと伸ばしてツンと顎を引き、どこか無理をしているようなキリっとした表情を作っていた。
(僕を意識して緊張しているのだろうか……だったらうれしい。プレゼントも喜んでくれるといいのだけれど)
ゆっくりと紅茶を飲みながらそんなことを考えていると、彼女は意を決したように口を開いた。だが、その口から飛び出したのは、僕には到底信じられないような言葉だった。
「クロード様。わたくしのような、至らぬ我儘な女と婚約することになってしまい……その、後悔なさっていませんこと?」
「……っは?」
あまりの衝撃に、素で変な声が出そうになった。
我儘?
至らぬ女?
ドレスを泥で汚しながら大根の葉をキラキラした目で持って来ては楽しそうにしている、それのどこをどう切り取れば「至らぬ我儘な女」になるんだ? 目の前の彼女が何を言っているのか、僕にはさっぱり理解できなかった。
「……後悔など、するはずがない。僕の方こそ君のような素敵な人を婚約者に迎えることができて、本当に嬉しいと思っている」
真剣な眼差しでまっすぐ見つめながら本心を告げると、彼女は「ふぇっ!?」と淑女らしからぬ奇妙な声をあげて固まった。そして、その白い頬がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
(――っ! ……僕の婚約者は、かわいい)
彼女は目をきょろきょろと泳がせながら、右手の指先で何度も自分の耳に触れていた。少し困った時に耳へ触れるのは、彼女の愛らしい癖だ。どうやら内心、凄まじくパニックを起こしているらしい。僕はそんな彼女の姿を、愛おしさに目を細めながら見つめていた。
すると、彼女は急にハッとしたようにまたツンと澄まし顔を作ろうとして、真っ赤な顔のまま僕をキッと睨んできた。
「そ、そうですわね。愚問でしたわ! わ、わたくしも嬉しいですわ!」
必死に我儘な令嬢っぽく振る舞おうとしているのだろうか。空回りしているのがバレバレでかわいい。
――それに、今、彼女は「嬉しい」と言ってくれた。
表向きはツンと澄ました顔を崩さないように必死だったが、内心では心臓が爆発しそうなほど歓喜していた。
「そうだ」
僕は胸ポケットから、あらかじめ用意していた小さな箱を取り出した。
「婚約の記念に」
「えっ……わ、わたくしにですの?」
恐る恐る箱を開けた彼女が、小さく息を呑むのが分かった。中に入っているのは、つつじを模した小さな髪飾りだ。
「君は花が好きだから(……この髪飾りも気に入ってもらえたら嬉しい)」
僕は、後半の言葉は飲み込んだ。面と向かっていうには恥ずかしかったから。
つつじの花びら一枚一枚まで丁寧に細工された髪飾りを、彼女は両手で包み込むようにじっと見つめている。
「……ありがとうございます。すごいかわいい」
本当に嬉しそうに、胸をいっぱいにさせている彼女を見て、僕の胸の奥もじんわりと温かくなる。彼女は受け取った髪飾りをそっと自分の髪につけると、僕に向かって何かを言いかけ――そして、なぜか急に顔を引き締めた。
「ク、クロード様。あの、その、えっと……う、嬉しくなんて……にょ!」
……にょ?
「……っ」
あまりの可愛さに、吹き出しそうになるのを必死で堪えた。噛んでしまった当の本人は、顔を真っ赤にして今にも泣きそうなほど俯いてしまっている。
必死にツンと澄まそうとしては、すぐに無邪気な素顔に戻ってしまう。そんな彼女の愛らしい大空回りっぷりを特等席で眺めながら、僕は心の中で静かに天を仰いだ。
(……ダメだ。やっぱり、たまらなくかわいい)
僕の真っ直ぐな想いが届いているかは怪しいし、彼女の頭の中では何やら盛大な勘違いの渦が巻いているようだけれど。
この少しズレたやり取りが、やがて数年後――「ここは恋愛小説の世界。ということは、わたくしは悪役令嬢ですわ!」という、彼女のとんでもない大暴走へと繋がっていくのを、この時の僕はまだ、知る由もなかった。




