第27話 わたくし、もう耐えられそうにありませんわ!
サラさんと会った次の日の放課後、私はサラさんを見守ることにした。もちろん、このままではバレてしまうのでいつもの完璧な変装で。
……でも、待ち伏せって本当にするの? 誰を? はい、ソコが大事! だって、結局教えてもらえなかったんだもの。誰と運命的な出会いをしたのか。
ねぇ、誰としたの? あなたは誰を選んだの? 身勝手だけれども、できれば選んでほしくない。クロード様だけは――。
そんな思いで、私は学院の門の脇にある植込みの陰に身を潜めた。先日、温かい食卓で家族に励まされ、どうせ運命だからと諦めるのだけは、もうやめようと心に誓った。だからサラさんの運命の相手が誰なのか。知らなくてはいけないと思い、慌てて後を追ってきたのだ。
けれど――門の前に立つサラさんの姿を見た瞬間、私の足はすくんでしまった。
「宣言通りに……本当にやってしまわれている……っ!」
門の前に立っているのは、あの木漏れ日パン工房の看板娘、サラさんだ。
彼女は「待ち伏せイベントを起こすわ!」という宣言通り、ピシッと仕立ての良い(けれど平民の)街着に身を包み、学院の門の前でソワソワしている。その瞳はどこまでもまっすぐで、可憐で、見てわかるほどに純粋な恋心に満ちあふれている。
(ただ、あんなに堂々と待ち伏せするなんて、どんな度胸をしていらっしゃいますのサラさん……っ!? というか、あれは待ち伏せというのかしら? 待ち伏せって相手に気づかれないように待つものではなくて? わたくしの常識が間違っているのかしら)
放課後の学院前は、馬車で帰宅しようとする貴族の子弟たちでごった返している。当然、平民の可憐な少女が門の前でポツンと立っていれば嫌でも目立つ。すれ違う生徒たちが「あの平民の娘は誰かしら?」「誰かを待っているようだけど……」とヒソヒソと噂話をし始めているのが見てわかる。
(ひぃぁあぁっ! これじゃあ完全にヒロインが噂の渦中に巻き込まれるイベントじゃありませんのーーーっ!?)
わたしがオロオロとしている間に、周りがざわめき始め、一人の男性がやってきた。
登場したのは、学院の最高峰――我が婚約者であるクロード様だ。横には冷ややかな顔で手帳を開く側近のハインツ様も従っている。
「……っ! クロード様……!? やっぱり、そうなのですわね……サラさん、あなたの運命のお相手は――」
私は、自分の目の前が一気に暗くなるのを感じた。だって、一番恐れていたことが今、目の前に!
(……もし、本当に二人が惹かれ合っていたら……? わたくしのこの気持ちは、ただの邪魔者になってしまうのではないかしら……)
先日決めたはずの決意が、不安と恐怖でガラガラと崩れそうになる。
私のことなど気づいていないサラさんは、誰が見てもわかるほどに目をパァァァッと輝かせ、まるで運命の相手を見つけたヒロインそのものの顔で、一直線にクロード様へと駆け出していった。
「クロード様――っ!」
サラさんが意を決して、大勢の生徒の前で可憐に呼びかけた。
ピタリ、とクロード様の足が止まる。周囲の生徒たちが「まあ! あの平民の娘、クロード様を呼び捨てに……!?」とざわめき立つ中、クロード様はゆっくりと振り返り――
顔を真っ赤にし、息を呑んでサラさんを見つめた。隣のハインツ様も「また始まった……」と言わんばかりに無言で手帳に何かを書き留めている。
そして、サラさんは誰が見てもわかるほど、うっとりと胸の前で手を握りしめ、情熱的に言葉を紡いだ。
「この前は言いそびれてしまいましたが、わたし――ずっとクロード様をお待ちしておりましたの!」
「っ! な、なんだって……!?」
二人が見つめ合い、喧騒もどこへやら周囲の生徒たちも息を呑んでその光景を見守っている。夕日に照らされる二人の姿は、まるで描かれた絵画のように美しく、完璧な物語のワンシーンだった。
(――ああ、やっぱり)
植込みの陰でその光景を見つめながら、私の胸の奥が、ぎゅぅぅぅっと引き裂かれるように痛んだ。
この前までは運命の強制力だなんて自分に言い訳をして逃げていた。けれど、今の光景がたまらなく苦しい。
(クロード様は……やっぱり、あんなにまっすぐで可愛いサラさんに惹かれていらっしゃるのね。あんなに顔を赤くして、熱い視線を送って……)
パン屋で自分の名前を呼ばれた時のクロード様の必死な声。そして今、サラさんの告白を目の前で受けて固まっているクロード様の姿。
(嫌……嫌ですわ! クロード様が、あの方を愛おしそうに見つめるなんて……わたくし以外の誰かを選んでしまうなんて……っ!)
(――っ! ……わたくし、もう耐えられそうにありませんわ!)
ボロボロと溢れそうになる涙を必死に堪え、私は胸を強く押し付けた。
「……逃げないって、決めたのに……っ」
二人の運命のイベントが進行していく目の前で、私は溢れ出る涙を拭うこともできず、二人に気づかれないよう静かに背を向け、逃げるようにその場を走り去るのだった。
◇◇◇
涙で視界を歪ませながら、私は夢中で走った。あの絵画のように美しい二人のイベントの現場から一刻も早く遠ざかりたくて、バルディア家の馬車に乗り、アリントン侯爵邸へと行き先を告げて、エリカのもとへと駆け込んでいた。
「セ、セラ……!? 一体どうしたの!?」
完璧な変装のまま息を切らせ、突然お邪魔したにもかかわらず、エリは応接間へと招き入れてくれた。そして、ボロボロと涙をこぼしてやってきた私を見て、エリは驚きで目を丸くした。
「エ、エリィィィ……っ!」
「まあ大変! 温かい紅茶を飲んで落ち着いて!」
エリに促されるままソファに倒れ込み、差し出された紅茶を一口飲むと、胸の奥に溜まっていた熱いものが一気に溢れ出してきた。
「わ、わたくし……見ちゃいましたの……っ! 学院の門の前で、サラさんがクロード様に『ずっとお待ちしておりました』って……告白なさっているところを……っ!」
「は? ……あの特待生のサラさんが、お兄様に告白……?」
エリが眉をひそめ、首をかしげる。私は鼻をすすりながら、必死に言葉を続けた。
「クロード様も、顔を真っ赤にして息を呑んでサラさんを見つめていらっしゃいました……! まるで物語のワンシーンのように美しくて……お二人はやっぱり、運命で結ばれていらっしゃったのですわ……っ!」
「……はぁ」
私の決死の報告を聞いたエリは、一瞬間を置いたあと、本日一番の深々と呆れた溜め息をついた。
「セラ。……それ、ただのお兄様のパニック症状よ」
「えっ……?」
「間違いないわ。あの愚兄は極度の焦りと恐怖を感じると、酸欠になって顔を真っ赤にし、息を止めて固まる癖があるの。幼い頃、私に秘密のケーキを食べられた時も全く同じ顔をしてたわ」
「えっ……? パニック……?」
(えっ……あれ、情熱的な熱視線ではなくて、ただの酸欠パニックでしたの……!?)
思いがけない解説に私がぽかんとしていると、エリは優しく、けれどどこか楽しそうに目を細めた。
「だけれど、セラ。……それほどまでに取り乱して駆けてくるほど、嫌だったのね?」
「っ……! 嫌、だなんて……そんなこと……っ!」
私は慌てて首を横に振った。胸の奥がぎゅーっと苦しくてたまらないのに、必死に自分へ言い訳を重ねた。
「違いますわ! わたくしは……ただ、自分の立場を再確認しただけですの! わたくしは物語の悪役令嬢ですもの。本物のヒロインであるサラさんと、ヒーローであるクロード様が結ばれるのが正しい筋書きなのですわ。……だから、わたくしは身を引くべきなのです。退場しなければいけないのです……っ!」
ぽろぽろと零れ落ちる涙を拭いもせず、必死に自分を納得させようと、悪役令嬢だからと繰り返す私。
本当はクロード様を誰にも渡したくないはずなのに、それを自覚してしまったら、破滅の運命が恐ろしくてたまらないのだ。
そんな私の苦しい言い訳を、エリは否定もせず、優しく包み込むように聞いてくれた。
「……セラ。身を引くというわりには、その顔、とても悲しそうで、悔しそうよ?」
「それは……急に全力で走ったせいで、身体中が重度の筋肉痛になってしまって……っ。胸のあたりまで、苦しくて仕方がないのですわ……!」
まだそんな筋肉痛という苦しい言い訳をする私に、エリはくすりと小さく微笑んだ。
「ふふっ。……本当にセラってば。筋肉痛でそこまでボロボロ泣くなんて、世界中探してもセラくらいよ?」
エリはそっとハンカチで私の目元を拭うと、優しく言葉を続けた。
「いい? セラ。無理に今すぐ自分の気持ちを認めなくてもいいの。……でも、悪役令嬢だからなんて悲しい嘘で自分を縛りつけるのも、もうやめていいのよ?」
「エリ……」
「お兄様が誰を選びたいのか、そしてセラ自身が本当はどうしたいのか。……逃げずに見届ける覚悟だけは、そろそろ持ってもいいんじゃない?」
エリの穏やかで力強い言葉に、私はハッと息を呑んだ。
(逃げずに、見届ける……)
悪役令嬢として身を引くべきだと頭では思っているのに、胸の奥の痛みが「嫌だ」と叫んでいる。私は涙を拭い、小さく、けれどしっかりと頷いた。
「今頃、お兄様はサラさんからの突撃に悲鳴を上げて逃げ惑っている頃ね。……さあ、セラ。逃げ出すのはここまでにして、お兄様を回収しに行きましょうか?」
「……ええ。……クロード様のところへ、参りますわ」
言葉にできない複雑な感情を胸に抱えたまま、私はエリと共に、クロード様を追いかけるべく立ち上がったのだった。
「さて、野放しにしておくとお兄様は酸欠のまま路地裏で倒れるか、セラを捜して街中を暴走しかねないわね。さぁ行きましょう」
エリはそう言うと、迷いのない足取りで私の手を引き、アリントン家の馬車へと飛び乗った。
「……ねぇ、エリ。これってどこに向かっているのかしら?」
「あら、わからない? サラさんからの突撃を受けたお兄様が、逃げ込む場所など一つしかないわよ。セラならわかるでしょう?」
「……え?」
エリにそんなことを言われて、私は考えた。えーっと、クロード様が逃げ込む場所? どこだろう。エリは私ならわかるって。うーーん。私の知っている場所ってことよね。うーん。
悩む私をニヤニヤと見ているエリ。むぅ。なんか楽しんでるエリ、悔しい。絶対正解して見せるんだから。うーーん。私が知っていて、サラさんが知らない場所……。
「あ、もしかしたら、ひだまり食堂……ですわね?」
「正解よ。ふふふ。ほら、セラには分かったでしょう?」
……なんか、何でもお見通しなエリが、むぅ、悔しすぎる!
◇◇◇
ひだまり食堂へ着くと、店の前にはげっそりとした顔のハインツ様が立っており、店の中へと促された。店内へ入ると一番奥の席でクロード様が死んだ魚のような目で天井を仰いでいた。
「……セラ……どこへ行ってしまったんだ……僕は君しか……」
「お兄様」
エリの冷ややかな声に、クロード様がびくっと肩を跳ね上がらせる。そして、丸メガネを外して素顔に戻った私の姿を認識した瞬間――その、優しく包み込むような森の木々を思わせる緑の瞳が信じられないほど見開かれた。
「セ、セラ……っ! 本物のセラなのか……!?」
弾かれたように立ち上がり、私のもとへ駆け寄ろうとするクロード様。けれど、その脚は生まれたての小鹿のようにガクガクと震えている。
「クロード様……!」
私は自分から一歩踏み出し、クロード様に込み上げる感情を押し殺しながら、まっすぐ視線を合わせる。
「クロード様……王立学院の門の前で、サラさんとのお姿を拝見いたしましたわ」
「違っ……! 誤解だセラ! 僕は『来ないでくれ』と全力で拒絶して――」
「……わたくし、身を引く覚悟をしなければいけないと思っておりました。だって、わたくしは……」
言葉を詰まらせる私に、クロード様は「身を引く!?」と絶望に満ちた顔で叫んだ。
「嫌だ! 絶対に嫌だ!! 僕はセラ以外と結ばれるつもりなんて毛頭ない!! 何を誤解しているのか分からないが、僕が愛しているのは世界で君だけなんだセラ!!」
大勢の前で堂々と叫ばれた愛の告白。
横でハインツ様が手帳に記録し、エリが満足そうに頷いているのに、私は気づかなかった。だって、クロード様が愛しているって! サラさんではなく私を!
小説の中のクロード様ではない、現実のクロード様の、悪役令嬢としての私にではなく、現実の私に、小説の中とか、そんなフィルターを通してない、本当の私への気持ち!
「っ……! あ、あまり大声で仰らないでくださいませ……っ!」
顔を真っ赤にする私の手を、クロード様は解けることのない強い力で握り返してくれた。
(……やっぱり、胸がぎゅーっと痛いですわ……)
これが恋心なのか、ただの嫉妬なのか、それとも本当にただの筋肉痛なのか――私にはまだ、恐ろしくてはっきりとした答えは出せない。
けれど、こんなにも必死に自分を求めてくれるこの人の手を、今すぐ放してしまうことだけは……どうしても出来そうにないと思ったのだった。




