第25話 わたくし、気づいてしまいましたわ!?
ひだまり食堂から、逃げるように帰ってきた私は、お父様にもお母様にも挨拶をせず部屋に戻り、ベッドに突っ伏して深いため息をついた。
(……やっぱり、運命の強制力には抗えませんのね)
目を閉じれば、木漏れ日パン工房での光景が鮮明に蘇る。突然息を切らせてお店に飛び込んできたクロード様。そして、情熱的な声で呼ばれた「サラ」という名前。
本物のヒロインであるサラさんの顔が真っ赤になって、そして名乗り出てからの……クロード様と見つめ合っていたあの瞬間。
あれは、きっと恋愛小説の筋書き通りだ。……悪役令嬢である私は、ヒーローであるクロード様と、ヒロインであるサラさんの運命の恋を邪魔してはならない。分かっている。分かっているはずなのに――
(……どうして、こんなにも苦しいのかしら)
胸の奥が、ぎゅっと締め付けられるように痛む。運命通りになって良かったはずなのに、あの二人の姿を思い出すだけで、涙がこぼれ落ちそうになる。なぜ? 間違っていないのにこんなに苦しいなんて……。
(もし……もしも、あの時わたくしの名前を呼んでくださっていたのなら……あれが、わたくしのことだったなら……)
そんなことを考えては、「ありもしないことだ」と否定する私。負のループに落ちてしまったらしい。もうだめだ。
「――まあ、セラ。そんなところで落ち込んで。ごめんなさいね。ノックしたけれども返事がないから入ってきてしまったわ」
「っ!!??」
ふいに部屋の扉が開き、優雅な足取りで入ってきたのはエリだった。
私は慌てて体を起こすと、エリは心配そうに眉をひそめ、ベッドの脇に腰を下ろした。
「大丈夫? 昼間、パン屋さんから走って戻ってきたと思ったら、すぐにひだまり食堂からも帰ってしまったし。……一体何があったの? 聞いてもいいかしら」
「えっ……あ、いえ! 何でもありませんわ! そう、何でもないのですわ……いえ、何でもありませんではありません。エリ! わたくし、とんでもない事実を知ってしまったのですのわ!」
いつものように、私はテンションをあげて話しかける。大丈夫。だいじょうぶ。
私は必死に首を振り、今日知ったとんでもない事実を話そうとするが、エリがじっと見つめる聡明な瞳をごまかすことはできなかった。
静かに見つめられ、私は観念してポツリポツリと、嘘をつけずに本当のことを打ち明けた。
「……実は、クロード様が突然、木漏れ日パン工房に息を切らしながらいらしたの」
「そうなの?」
「ええ。どうしてここに? と思いましたわ。最初はそっくりさんなのでは? と思いましたが、わたくしがクロード様を見間違えるはずもなく」
「そこまで自信があるのに、セラってば……んんん。で、お兄様が突然やってきたのね?」
「わたくし、クロード様にはひだまり食堂で働いていることは内緒にしていますでしょう?」
「ええ、そうよね。お兄様はセラがサラちゃんって(本当は知っているけれど)知らないと思うわ!」
「そうですわよね? 知らないはずですわ。なのに最近はよくいらしてオムライス食べているのですが……それはおいて置いて、でもわたくしが働いていることをご存じないのは確かじゃないですか」
「……それで?」
「なので、一瞬わたくしを追いかけてこられた? とか思ったのですが、追いかける理由もなく。なので、サラさんに会いに来られたんだわ。って気づきましたの」
「うん、で?」
「サラさんのご実家も知るはずもないクロード様が現れて……そして、サラさんのお名前をお呼びになったのです。それも愛おしそうに。とろけるようなお声で……サラと。お名前だって、いつ知ったのか……でも、お二人はついに運命の出会いを果たされてしまったのですわ」
「まぁ、そうなのね」
「……だからわたくし、お邪魔にならないよう全力で走って逃げ戻って参りましたの。だって、悪役令嬢ですから……」
「それで? どうしてお兄様が、そのサラさんに恋をしていると思ったのかしら?」
「え? だってクロード様があんなに愛おしそうにお名前を呼ぶから……」
そこまで話すと、エリは「はぁ……」と、呆れたような、けれどどこか呆然とした溜め息をついた。
「……セラが関わると、相変わらずなお兄様には頭が痛くなるわね。……それで? セラ自身は、どうしてそんなに苦しそうな顔をしているのかしら?」
「それは……その、急に全力で走ったせいで、身体中が筋肉痛になってしまって……。ぎゅーっと痛むのですわ……特に胸のあたりが」
私は「……胸のあたりが」という言葉を、聞き取れないくらい小さな声で呟いた。
「……胸が筋肉痛、ねえ」
エリは小さく息を吐き、静かな、けれど射抜くような眼差しでわたくしを見つめた。
「セラ。その胸の痛みは、本当に筋肉痛なの? ……胸が苦しくなるような痛みは、一体どういう時に起こるものなのか、もう少し自分で考えてみてもいいんじゃない?」
「え……? ど、どういう時って……それは、急激な運動をした時か、あるいは呼吸が乱れた時……」
「違うんじゃなくて?」
エリは優しく、けれどはっきりとわたくしの言葉を遮った。
「セラが、大切なものを誰かに奪われそうになった時。……あるいは、自分が本当に欲しいものを、自分自身に嘘をついて諦めようとしている時。じゃない?」
(――っ! ……わたくし、気づいてしまいましたわ!?)
エリの言葉が、胸の奥深くに突き刺さる。
「ち、違いますわ! わたくしはただの悪役令嬢で、クロード様とサラさんの邪魔をしてはいけない立場だから……! 恋とか、そんなおこがましい気持ちでは……っ!」
必死に否定しようとする私。自分の本当の気持ちを認めてしまったら、この世界の運命に壊されてしまうかもしれない。自覚するのが、怖くてたまらないのだ。
言葉を詰まらせ、俯いてしまった私を、エリは責めることなく、そっと手に温もりを重ねてくれた。
「……無理に今すぐ答えを出す必要はないと思うの。けれど、自分の心から逃げることだけは、しないで」
エリの温かい手に触れながら、私は深く息を吐き出した。
いつまでも運命や恋愛小説のせいにして、自分の気持ちから目を背け続けるのは、もう限界なのかもしれない。
「……はい。きちんと考えますわ」
そう呟いた私の胸の奥で、小さく、けれど確かな痛みが、静かに疼き続けていた。
◇◇◇
エリが帰っていった後、私はベッドの上で自分の本当の気持ちについてじっくりと考え続けていた。
本当は、わかっている。エリに言われなくとも……
(……分かっていますわ。わたくしは、クロード様のお心が……他の方に向いてしまうのが、本当は嫌なのです……)
ついに認めてしまった素直な想い。けれど、それを自覚したからといって、じゃあどうすればいいのかという答えは出ないまま、夕食の時間になってしまった。私はどうしたらいいんだろう……
食堂へ向かうと、すでにお父様とお母様、そして弟のセルジオが揃っていた。
「あら、セラフィーナ。今日は顔色が少し悪いわね。体調でも崩しちゃったのかしら?」
お母様が心配そうに眉を寄せ、私の額に優しく手を当ててくる。心配してくれてありがとう。お母様。でもそれが、心苦しい。だって、こんな不甲斐ない理由なんだもの。
「い、いえっ! 大丈夫ですわ、お母様。ただ……少し、考えごとをしておりまして……」
私が力なく笑って席につくと、お父様とセルジオが顔を見合わせた。本当なら、普段の私ならもっと元気に「今日の変装も完璧でしたのよ! ひだまり食堂でも完璧に看板娘をしてきましたわ!」なんて話しているはずなのだ。
重い空気が漂う中、お父様が静かにスプーンを置いた。
「セラフィーナ。……何があったのか、話したくなければ私達に詳しく話す必要はないよ」
「お父様……?」
「お前が真面目で、いつも誰かのために一生懸命悩んでいることは、家族である私たちが一番よく知っているからね。……だがね、どんなに複雑に見える問題でも、お前が諦めずにまっすぐ選んだ道なら、きっと最後は大丈夫だ」
お父様は威厳あふれる優しい笑顔で、深く頷いてくださった。
「そうですよ、セラフィーナ。家族のみんなが、いつだってあなたの味方なのよ? 美味しいものをたくさん食べて、今夜はゆっくりお休みなさい」
お母様も愛おしそうにわたくしの手を握りしめてくれる。
すると、セルジオが、スープをゴクリと飲み干してから、そっぽを向いてボソッと呟いた。
「……お姉さま。僕がいやな奴をコテンパンにして見せます! お姉さまを悲しませるなんて許しません」
「まあ、セルジオったら! お相手がどなたか分かっていないのではなくて?」
「……お姉さまにそんな顔にさせるなんて、誰であれ許せません。お姉さまは笑顔が一番です」
お父様とお母様も「ふふっ、セルジオはまるでセラフィーナの騎士様ね」とクスクス笑い出し、あんなに沈んでいた食堂の空気が、あっという間に温かい光で満たされていった。
(ああ……わたくしは、こんなにも愛されているのね……)
理由を聞かずに、ただ私の味方でいてくれる大切な家族。彼らの優しさに触れて、胸の奥で固まっていた痛みが、少しずつ解けていく。
私は家族の顔を見渡すうちに、胸の奥にこびりついていた恐怖の霧が、すーっと晴れていくような感覚がして、改めて家族の愛に感謝した。
これまで私は、いつもどこかで怯えていた。悪役令嬢だから、とか恋愛小説のストーリー通りに退場しなければいけないからと、最初から戦うことすら諦め、ただ定められた破滅から逃げることばかり考えていた。
けれど、こんなにも自分を大切に想い、味方でいてくれる家族がいるのだ。 文字で書かれたシナリオなんかに怯えて、大切な人たちに誇れないような、自分に嘘をつく生き方なんてしたくない。
例えこの世界に運命のシナリオという強力な波が存在していたとしても――それに飲み込まれて流されるだけのヒロインでいるのは、もうお終いだ。
「……ふふ。ありがとうございます。わたくし、もう大丈夫ですわ」
私は胸を張り、眩しいほどの笑顔を浮かべた。
恋愛小説のシナリオがどうであれ、運命の強制力がどうであれ――私を信じてくれる家族のためにも、そして何より自分自身のためにも。
私は、もう少しだけ自分の心と向き合ってみよう。クロード様を好きだと認めることも。そして、この苦しさから目を逸らさないことも。
答えはまだ出ない。けれど――少なくとも、最初からどうせ運命だからと諦めるのだけは、もうやめよう。
それが恋だと認めるには、もう少しだけ時間が必要だと、私は自分に言い聞かせるのだった。




