第21話 僕の婚約者が、看板娘? / わたくし、運命の出会いを目撃することになりますわ!?
前半クロ―ド、後半セラフィーナのお話となっています。
よろしくお願いします
休日の朝、侯爵邸の静かな廊下を歩いていると、玄関に向かう妹のエリカの姿が目に入った。
いつもなら侯爵家の令嬢らしい華やかで洗練されたドレスを身に纏っているはずの妹が、なぜか質素で動きやすそうな商家の娘のような仕立ての衣服を着ている。
(……エリカが、なぜあのような装いを?)
気になった僕は、足を止めて声をかけた。
「エリ。休日の朝から、一体どこへ出かけるんだい?」
僕の問いかけに、エリカは足を止め、優雅に振り返って微笑んだ。
「あら、お兄様。おはようございます。ちょっとセラのところへ行こうと思って」
「セラ……? セラの屋敷へ行くのに、なぜそんな恰好を?」
思わず尋ねたが、エリカはただ「ふふ」と意味深に微笑むだけで、それ以上の答えを口にすることなく「では、行って参りますわ」と軽やかな足取りで屋敷を出て行ってしまった。
普段の妹なら、伯爵邸へ向かうならそれ相応のドレスを着るはずだ。なぜ商家の娘の振りをして出かける必要があるのだろう。
(……何か、僕に隠し事でもしているのか?)
胸の中にモヤモヤとした不審感が広がるのを抑えられないまま、僕は一日を過ごすことになった。
◇◇◇
夕刻。エリカが帰宅したと聞き、僕はすぐさま妹の部屋を訪れた。
「お帰り、エリ。……改めて聞くが、今日は本当はどこへ行っていたんだ?」
僕が少し真剣な眼差しで問い詰めると、エリカは荷物を置く手を止め、さも心外だと言いたげに首を傾げた。
「ですからお兄様、朝も申し上げたでしょう? セラのところへ行っていたのよ」
「だから……伯爵邸へ行くのに、なぜあんな商家の娘のような恰好をしていたんだ? 僕を誤魔化せると思わないでくれ」
僕がさらに問い詰めると、エリカは「あらやだ」と上品に手を口元に当て、わざとらしく目を丸くしてみせた。
「お兄様……まさか、私伝えてなかったかしら?」
「何のことだ?」
エリカは悪戯っぽく瞳を輝かせると、決定的な一言を僕に突きつけてきた。
「セラってば、最近下町の食堂で働いているのよ」
「…………は?」
一瞬、耳を疑った。僕の婚約者であるセラが……伯爵令嬢であるセラが、下町の食堂で働いている……!?
「セラは『これぞ悪役令嬢の社会勉強ですわ!』とかいって、エプロン姿で元気に接客しているわよ。私は時々、お忍びで彼女の働く姿を鑑賞しに行っているのよ……お兄様には秘密にしてたけど。ふふ」
(……またか。また僕だけが知らなかったというのか……っ!?)
頭を殴られたような衝撃が走った。エリカはもちろん、下町の食堂の人間も、もしかしたら他の誰かも知っているかもしれないセラの秘密を、婚約者である僕だけが知らされていなかったのだ。
恋結びの果実祭りの時のクッキーといい、なぜいつも僕だけが蚊帳の外に置かれるのだろうか。妹に対する猛烈な羨望と、自分だけが知らなかったという敗北感が胸の中に渦巻く。
「……エリ。その食堂の場所はどこだ?」
僕が低い声で尋ねると、エリカは「まあ、お兄様も行かれるのですか?」と楽しそうにニヤニヤと笑いながら、詳しい場所を教えてくれた。
エリカの部屋を出た後、僕は固い決意とともに拳を握りしめた。
(エプロン姿で働くセラ……。そんな可愛すぎる姿を、僕に見せないつもりだったのか……?)
次の休日は絶対にその食堂へ行く。変装をしてでも、どんな手を使ってでも客として店に乗り込み、下町で奮闘する愛しい婚約者の姿を、この目に焼き付けてみせる――。
(――っ! ……僕の婚約者が、看板娘?)
暗い情熱を燃やしながら、僕はカレンダーの次の休日の文字を、じっと見つめ続けるのだった。
※※※
「おはようございます!」
朝日が心地よく差し込むひだまり食堂の店内に、私の元気な声が響き渡った。ふふふ。今日も楽しく頑張るぞ!
「おはよう。サラ嬢ちゃん!」
ガルスさんがいつものように弾けた笑顔で私を迎えてくれる。
「今日も一日、よろしくお願いしますわ!」
「お、サラちゃん、おはよう! 相変わらず元気だねぇ。今日も頼りにしてるよ、うちの可愛い看板娘!」
厨房からひょっこりとエドさんが顔を出した。どうやら今日のスープの仕込み中らしい。すでに店内には、お腹がすいてくるようなたまらなく良い匂いが漂っている。
休日だけ働く約束をしてから、今日で早いもので五回目。最初こそガチガチに緊張していたけれど、温かい皆のおかげで、今ではお店の空気にも慣れてきていた。
もちろん、今日も変装は完璧だ。丸い眼鏡に、ゆるく編んだおさげ髪。鏡で何度確認した。どこからどう見ても素朴な平民の娘。リーナの完璧変装メイクで、問題ナッシング!
(ふふふ、完璧ですわ。オーラも完全に遮断できていますわね)
思わず口元が緩む。
「サラちゃん、悪いけど開店前のテーブルの準備、お願いできるかしら?」
「お任せくださいませ、アンナさん!」
今、この店での私の名前はサラだ。よく考えたらセラから一文字変えただけなのが、それが逆に自然で馴染みやすいと気が付いた。最初はどうしてサラにしちゃったんだろう。と思ったが、私ってば瞬時に最適解を答えてたってことよね。私ってば、さっすがー。ふふ。
(恋愛小説でも、正体を隠す時は名前を少しだけ変えるのがお約束ですもの。我ながら名案ですわ!)
軽やかに店内を歩き、テーブルを丁寧に拭いて、匙などの位置を綺麗に整えていく。
「よし、そろそろ開店の時間だ。サラ嬢ちゃん、表のドアを開けておくれ」
「はい!」
鍵を開けて扉を開くと、さっそく小気味よいベルの音と共に常連のお客さんたちがやってきた。
「サラちゃん、今日も頑張ってるねぇ」
「ありがとうございます!」
「相変わらず笑顔が良くって癒やされるよ」
「えへへ、嬉しいですわ!」
「今日も美味いごはんを頼むよ!」
「もちろんですわ! たくさん食べていってくださいね!」
そのやり取りを厨房の奥から見ていたガルスさんが、嬉しそうに小さく笑った。
「ははっ、すっかり一人前の看板娘だな」
「まあ、本当ですか!? ならばガルスさん、そろそろわたくしも厨房へ入って包丁の握り方などを……」
「それはまだ早い」
「……わかりましたわ」
(まだ厨房には一歩も入れてもらえませんけれど、平民になる練習としては極めて順調ですわね!)
「サラちゃん、こちらのテーブルにお水を持っていってくれるかしら」
「はい! お任せください!」
私はアンナさんからコップを受け取ると、やる気満々で勢いよく歩き出そうとした。
「あ、ダメダメ。サラちゃん、そんなに急いで歩いたらお水がこぼれちゃうわよ」
「っあ、はい! ごめんなさい!」
(危ないところでしたわ。お水を持っている時は、そーっと、そーっと歩くのですわね)
そんなことを胸の中で反省していた、その時だった。
カラン――。
入口のベルが静かに鳴った。
「いらっしゃいま……」
そこまで言って、私の言葉がぴたりと止まってしまった。だって入ってきたのは、フードを深く被った背の高い青年。一見すると質の良い平民服を着ているが、その後ろには護衛らしき冒険者風の男性を一人従えている。どこからどう見ても、少し裕福な商人の息子――のはずだった。
「……え?」
見間違えるはずがなかった。あの洗練された美しい立ち姿。気品溢れる気だるげな歩き方。
(ク、クロード様――!?!?)
私の頭の中が、一瞬で真っ白に染まる。え? なんで? どうして?
(どうして!? どうしてこんな下町の食堂に、侯爵令息であるクロード様がいらっしゃるの!?)
私の心臓がバックバクと早鐘を打ち始める。これは、美の暴力? それとも、クロード様に緊張している? もう、どっちなのよ私。
(落ち着きなさい、わたくし! わたくしは今、平民のサラ! しかも完璧に変装しているのですから、クロード様が気づくはずがありませんわ!)
ぐっと拳を握りしめ、深呼吸を一つ。私は意を決してクロード様と相対することを決めた。
(ええ、落ち着くのです。それに、ただの他人の空似……そっくりさん。ということもありますわ)
「い、いらっしゃいませ……!」
声をかけると、フードの青年――クロード様のそっくりさんは店内をゆっくりと見回した。そして、そのフォレストグリーンの瞳が一瞬で私を捉えた。バチッと目が合った瞬間、彼の瞳が驚いたように大きく見開かれた。けれど、彼はすぐにフッと平静を装い、何事もなかったかのように視線を外した。
「あの、お、お二人様ですか……?」
「……ああ」
クロード様のそっくりさんの後ろに立つ冒険者風の男性は、心底「やれやれ」といった様子で額を押さえていた。
(……この声、この冷徹そうな響き、やっぱり本物のクロード様!?)
私は内心で大パニックを起こしながら、なんとか席へと案内する。……やっぱり本物? え? そっくりさんじゃない?
「えっと……お好きなお席へどうぞ」
クロード様(のそっくりさんと思いたい!)は静かに腰を下ろした。彼が選んだのは、厨房も店内もすべてが見渡せる特等席――カウンター席だった。
(クロード様だとしたら、なぜここに? わたくしがここで働いていると知って来られたのかしら……? いえ、そんなはずありませんわ。そうだとしてもわざわざ来る意味がわかりませんもの。きっとこれはただの偶然……。うん、やっぱりクロード様のそっくりさんですわ!)
必死に自分に言い聞かせる。だって、いくら考えても、わからないもの。わからないものは、わからないのよ! もう、意味不! あれはクロード様のそっくりさんなの!
「んんん……ご、ご注文はお決まりですか?」
「……君のおすすめは?」
震える手でメニューを差し出すと、クロード様のそっくりさんはそれを受け取りながら、低く心地よい声で私に尋ねてきた。
(えっ)
その言葉に思わず固まる。え? おすすめ??
(おすすめ……! ええと、ガルスさんの作る一番人気のメニューは……。えっと、わたくしが今食べたいものは……美味しかった食べ物は……)
「あ、オムライスです!」
「じゃあ、それを」
「はい!」
私は逃げるように厨房の近くへと移動し、ガルスさんへ声をかける。もう、本当やばすぎる。クロード様の変装は、変装になってないわ! バレバレよ。もっと私みたいに完璧に変装しないとだめよ!
「ガルスさん!」
「ん? どうした、サラ嬢ちゃん」
「オ、オムライス一つお願いします!」
「はいよ!」
ガルスさんが手際よくフライパンを振り始めた。その間も、私の心臓は落ち着かない。ちらっ、とついカウンター席のそっくりさんを見てしまう。やっぱりどこからどう見てもクロード様だ。変装へたすぎると思うよ。
(ああ、でも、本物だとしたらどうしてこんな場所へいらしたのかしら? 領内の視察? いえ、こんなお忍びの姿で? 違うわ。では一体どうして……)
その時だった。私の頭の中で、ピカッと電球が灯る。
(……まさか。……ヒロイン!?)
ぴたりと動きが止まった。
(――っ! ……わたくし、運命の出会いを目撃することになりますわ!?)
そうか。やっぱりそうだったのね。
(恋愛小説ではこういう街のお店で、ヒーローはヒロインに恋をするのです! つまり……クロード様のそっくりさんは、クロード様ご本人。そしてヒロインに会いに来られた! ――強制力によって、ここへ導かれたということ!?)
すべてのピースがカチリと繋がった気がした。一人で納得し、深く大きく頷く私。
(そうでしたのね……! ついにクロード様の運命の輪が回り始めましたのね! これで全部説明がつきましたわ!)
ふとガルスさんと目が合ったら、「大丈夫か?」という目で不思議そうに私を見ていた。
「サラ嬢ちゃん?」
「な、なんでもありませんわ!」
にこっと無理に笑顔を作る。
(でも、まだヒロインのお姿は見えませんわね。きっと、これからいらっしゃるんだわ。クロード様はここで、本物の運命の出会いをなさるのね……)
そう思った瞬間、なぜだか胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。……これは、筋肉痛……ではないわよね。
(……少しだけ。ほんの少しだけ、寂しいですけれど……仕方ありませんわね)
――だって、私、セラフィーナは婚約破棄される運命の悪役令嬢なんだもの。
その事実が、なんだか今の私には、とっても苦しくて冷たく感じられた。
「はい、オムライスお待ちどうさま! サラ嬢ちゃん渡してあげて」
ガルスさんから受け取った出来立ての特製オムライスを、クロード様の前にそっと差し出す。
「ごゆっくりどうぞ……っ」
そして、私はその場を逃げ出すように駆け足で離れると、とにかく目の前の接客だけに集中して頭を空っぽにすることにした。今は何も、余計なことを考えたくない気分だったから。
――しかし。カウンター席のクロード様は、せっかく運ばれてきた絶品のオムライスにはほとんど目もくれず、忙しそうに、けれど健気に店内をパタパタと動き回る、丸眼鏡におさげ髪の愛らしい少女だけを、とろけるような甘い瞳でずっと追いかけ続けていたことに、もちろん私は気づいていなかった。
クロード様はきっと、これから現れるヒロインを待っていらっしゃる。そう信じて疑っていなかった。だから私は、何も考えないように、元気いっぱい店内を走り回る。
けれど、私が必死に忘れようとしているその間――
クロード様が何を考えているのかを。
クロード様が本当は誰に会いに来たのかを。
クロード様の視線は、ただ一人の少女だけを追いかけ続けていた事実を。
もちろん私が知る由もなかった。




