第19話 わたくし、食堂の看板娘になりますわ!【後編】
私は下町を歩きながら、エリとたわいのない会話を楽しんでいた。
「そういえばね、わたくし、エリとはサラさんのパン屋さんに良く行くけどこの世界の検証はしていなかったな。って思いだしましたの」
「そうね。さすがセラ。検証って大事よね。何からする? どこからする?」
「そうですわね。まずは第一の検証から行いますわ!」
エリは小さく微笑みながら、とても興味深そうに私の言葉に乗ってくれた。やはりエリも、この世界の真実に興味津々のご様子だ。
前を向いて歩いていた私は、ドレスの裾を翻すようにくるりと回ってエリに向き直った。そして、人差し指をぴんっと立てる。
「この世界には、王侯貴族がおります!」
「……うん」
エリは素直に頷いてくれた。これは常識だからね。
「まず、これは絶対に欠かせない小説の設定ですわ!」
「そうなの? どのあたりが欠かせない設定なのかしら?」
「え? どのあたり?」
「ええ。だって、絶対に欠かせない証拠なのでしょう?」
エリの質問に、きょとんとする私。え? そんなこと言われるとは思ってなかったわ。えっと?
エリは、早く教えて。というような目で私を見ている。えーー。そんなこと言われても困るよ。変なこと聞かないでほしいなぁ。
「そ、そうですわね。前世での歴史等の貴族制度と比べると『こんなのあり得ない』というツッコミしかないところ。ですかしら?」
「……よくわからないんだけれど?」
「えっとつまり、そういうものなのです! はい。次!」
私はさらりとエリからの質問を終わらせて、二つ目を示すように人差し指と中指をぴんと立てた。
「冒険者ギルドがあります!」
「急に話変わるのね……でも、そうね、あるわね」
「でしょう! 冒険者ギルドと言ったら、ほら! もう完璧に小説の舞台ですわ!」
「……説明雑。ぶふっ……んんん。うん。そうね」
エリが急に愛らしく咳払いをしたけれど、どうやら私の完璧な推理に圧倒されて言葉を失っているご様子だ。
「そして!」
私が得意げな顔で見つめると、エリは少し驚いたような顔でこちらを見つめてくる。まだまだ決定打は続くのだ。
三つ目。セラフィーナは薬指もぴんと立てる。
「この石畳!」
「……石畳?」
「はい!」
私は地面の石畳をびしっと人差し指で指差した。
「小説には必ず石畳がありますの!」
「そ、そうなの?」
「そうですわ!」
私がものすごい自信で言い切ると、エリはとても感心したように見入っていた。
「つまり!」
私はフンスと胸を張って、高らかに宣言した。
「ここは、ちゃんと小説の中ですわ!」
「へえー……この雑な説明に謎の自信。さすがセラだわ」
エリはボソッと何か言っていたが、私には聞き取れなかった。でも深く頷いてくれていたので、理屈を完璧に理解して、もの凄く楽しんでいるに違いない。
「セラって、本当に物知りよね」
「ふふふん」
私は得意げに胸を張ったのだった。
「証拠も、もう三つ目ですもの!」
「ねえ、セラ。その証拠って、あと何個集まったら恋愛小説の世界であるって決定になるの?」
「…………」
ぴたり。
質問された瞬間、私の動きは彫刻のように完全に固まってしまった。
「…………」
(……あれ? いくつ集まったら決定かしら? うーん、そこまでは考えていなかったわ。いくつ? うーん……)
私は腕を組み、眉間にシワを寄せて本気で考え始めた。どうやら少しだけ計算が抜けていたらしい。うーん、うーんと唸りながら数秒間フリーズしたのち、パっと顔を上げた。
「分かりませんわ!」
「えっ?」
「でも!」
私は満面の笑みで、堂々と言い切った。
「ここは、絶対にちゃんと恋愛小説の中ですわ!」
そのあまりの勢いに、エリカはついに耐えきれなくなったようで、お腹を抱えて吹き出してしまった。
「あははっ!」
「エリ?」
「ううん、ごめん! あはは……っ」
エリは涙目を拭いながら、それはそれは楽しそうに笑っている。
「セラってば、本当にすごいわね!」
「ふふふ、もっと褒めてくださってよろしくてよ!」
エリの美しい笑い声に釣られるように、私もまた嬉しくなって一緒に笑うのだった。
◇◇◇
こうして検証しながら、お父様が紹介してくれた下町の食堂へやってきた。
ひだまり食堂と書かれた、温かみのある木製の看板の前で、私は緊張した面持ちで立っていた。一歩踏み出せば、そこは平民の世界だ。
「大丈夫? セラ。緊張しているのかしら?」
「ええ。大丈夫ですわ。エリと一緒に来て良かったですわ。一人ならきっとここから先に進めなかったと思いますの。……行きますわよ」
ガラガラ、と店の扉が開く。現れたのは、熊のようにがっしりとした体格のエプロン姿の男性だった。
「「まぁ……」」
エリと一緒に言葉を失う。だって、本当に熊さんみたいなんだもの。こんなに大きな方が食堂で料理を? すごいわ、私のレシピの再現をしてくれているなんて信じられない。
「お待ちしておりました、セラフィーナお嬢様。ご無沙汰しております」
私がびっくりしているのをよそに、男性は深々と頭を下げてそう言った。
私は男性を見て首を傾げた。なんか知ってる風な態度だけれども、私の知っている人なの?? こんな熊さんみたいな人、一度会ったら忘れないと思うのだけれど。
「どこかでお会いしたかしら? ごめんなさい、わたくし記憶が曖昧で……」
「……いえ、大丈夫ですよ。さて、お嬢様。ここで一つだけ、最初に約束をしてもらいます」
男性はニヤリと強面に笑みを浮かべた。
「ここでは、お嬢様ではありません」
「え?」
「働くからには、うちの店を支える立派な看板娘になっていただきます」
(――っ! ……わたくし、食堂の看板娘になりますわ!)
まさに理想のテンプレ展開! 興奮して私の顔がぱっと明るくなった。ほら、きちんと恋愛小説の中よ。
「ですから、お嬢様とは呼びません」
「はい! よろしくお願いしますわ! でしたら、わたくしの正体がバレないように、名前は……サラとお呼びになって!」
「……わかりました。では、サラ嬢ちゃんと」
男性は感慨深そうに目を細めてぽつりと「……立派になられまして……本当に、大きくなられたなぁ。幼い頃、命懸けで護衛として見守っていた小さなお嬢様が、今では自分の店を手伝うことになるとは思ってもおりませんでしたよ」と言っていたことは、私の耳に届いていなかった。
私は、わくわくして、お店の中を見回していた。八人ほどが座れるカウンターとテーブル席が十卓の、中くらいの規模のお店だった。
「では、まずは基本的な接客から始めましょうか」
「はい! 調理のお手伝いでも何でもいたしますわ!」
「ああ、包丁はまだ持たせません」
「え?」
「火も使わせません」
「ええ?」
「もちろん、重い物を持つことも駄目です」
「そ、そんな……わたくし、働きに来たのですけれど……」
困惑する私に、男性は優しい笑顔で言い放った。
「大事なお嬢……おっと。大事な看板娘に、怪我をさせるわけにはいきませんからね」
「……わかりましたわ」
「では、次の休日から、頑張りましょう」
「セラ、頑張ってね。私、応援しているわ。もちろん食べにも来るからね!」
「はい! 頑張りますわ!」
少し残念だが、元気よく返事をした。こうして、私の超過保護な環境での平民修行が幕を開けたのである。
◇◇◇
その夜。自室の大きな姿見の鏡の前。
「ふふふ……」
私は鏡に映る自分の姿を見て、完璧な出来栄えに満足の笑みを漏らした。顔には丸い眼鏡。髪はゆるく二つに編んだおさげ髪。そして身につけているのは、飾り気のない落ち着いた色合いのワンピース。完璧な変装だ。
くるり、と鏡の前で一回転してみせる。
「相変わらず完璧ですわ。あとは、リーナに少しメイクしてもらえばバッチリですわ」
誰がどう見ても、下町にどこにでもいる、少し地味で素朴な平民の娘。……私は、本気でそう思っていた。
「今までだって、バレてませんものね。誰にもわたくしの正体は分かりませんわ!」
ふんす、と満足そうに頷く私。ええ。今までの変装だって、誰にもバレていないんだもの。ふふふん。問題ナッシング!
その時、たまたま掃除のために廊下を歩いていた侍女が、少し開いた扉の隙間からその姿を目撃しそっと胸に手を当てて微笑んでいた。
さらに、その横を通りかかった老執事も、部屋の中を一瞥して静かに頷いていた。
(まぁ……おさげ髪のセラフィーナお嬢様、小動物みたいでなんて愛らしいのかしら。お洋服を変えられても、気品が隠しきれていませんわね)
(うむ、どこをどう切り取っても、我が家の自慢のセラフィーナお嬢様ですな。丸眼鏡もお似合いだ)
実は隠しきれないお嬢様オーラが全身から溢れ出ていることに、私だけは気づいていなかった。
侍女も老執事も、私の変装を生暖かい目で見守っているなんて、この時の私が知る由もない。
「これで安心して平民になれますわ! 待っていなさい、未来の婚約破棄イベント!」
引き締まった、けれどどこか的外れな決意の声が、夜の静かな屋敷に元気よく響き渡るのだった。




