第19話 わたくし、食堂の看板娘になりますわ!【前編】
窓の外に広がる庭には、色とりどりの春の花が咲き乱れている。私が前世を思い出し、さらに悪役令嬢だと気づいてから、早一年、私は先日十六歳になっていた。
そんなある日のこと、ディナーのあとサロンで優雅に食後のお茶を楽しんでいたお父様とお母様に、私は声をかけた。
「お父様、お母様」
「どうしたんだい、セラフィーナ」
私の引き締まった声に、お父様、お母様、セルジオが、それぞれ顔を上げた。お父様は目に入れても痛くないといった様子でデレデレと微笑んでいた。
もう、お父様ってば、そんなお顔して、これから真面目な話をするんだからね。とプンスコと心の中で怒りながら、椅子の上ですっと姿勢を正し、上品に座り直した。
「わたくし」
一呼吸置いて、覚悟を決めてお父様とお母様に告げた。だって、決定事項ですもの。
「食堂で働きたいですわ」
かつてない静寂が流れる。貴族の令嬢が、突然食堂で働くなどと言い出したのだから当然だ。でも、必要なことなのだ。未来のために。
「「……」」
「……お姉さま、なぜ食堂で働くの?」
セルジオは、持っていたティーカップをそっとソーサーに戻しながら聞いてきた。
お父様とお母様も、持っていたティーカップをそっとソーサーに戻し、無言で顔を見合わせたあと、頷きあってから私に問いただしてきた。
「……理由を、聞いてもいいかな?」
「お小遣いが足りなかったかしら?」
お父様が動揺を隠し、極めて優しく問いかけてきた。そりゃびっくりするよね。突拍子もなくてごめんなさい。そしてお母様、お小遣いは足りています。
「婚約破棄された後、没落して平民になってからも自立して生きていくための社会勉強です!」
「「「……」」」
お父様はお母様を、お母様はお父様を見た。そして二人はセルジオを見た。セルジオも、お父様とお母様の顔を交互に見ていた。
三人とも、私の言う婚約破棄だの平民だのという意味はさっぱりだろう。
クロード様が私にベタ惚れなのは周知の事実であるし、我が家が没落する予定もない。けれど、私だけがその事実を知らないことを、三人は知っている。
私だけが認識のずれに気づいていないことを、私だけが気づいていなかった。
ただ、三人は私が何かを一生懸命に考えて、必死に決めたことだということだけは、その真っ直ぐな瞳から痛いほど伝わっているようだった。
「……お姉さま。社会勉強っていうのは、意味はわかります。でも婚約破棄される予定はないと思うし、された後の予定も今のところ必要ないと思うので、今考えるべきではないのではないでしょうか?」
セルジオは怪訝な顔をして言ってきた。いやいや、残念なことに考える必要があるのだよ。婚約破棄される予定があるのだよ。
「セルジオ、そんなことはないのよ。婚約破棄は近い将来される予定だわ」
「……なぜそう思うのですか? ここが、例の恋愛小説の中、とかいうのだからですか?」
「ええ。そうね」
「この世界は、本当に恋愛小説の中なのですか? お姉さまの勘違いではないのですか?」
「……っえ?」
セルジオの言葉に私は動揺した。だって、ここは恋愛小説の中なんだもの。そして、私は悪役令嬢なの。だから、私は婚約破棄されるの。……される運命なの。
ああ、また胸が痛くなってきたわ。このタイミングで筋肉痛って。私ってば嫌なことがあるとお腹痛くなる子どもと同じってことなのかしら。
私が俯き、そんなことを考えていたら、お父様が少し顎に手を当てて、優しく口を開いた。
「セルジオ、セラフィーナの思う通りに今はさせてあげよう。で、実はな、セラフィーナ」
「はい」
「偶然にも……本当に偶然にも、私の古い知り合いの食堂がちょうど人手を探していてね」
「……えっ! まあ!」
「良ければ、そこを紹介しようか」
もちろん、偶然などではなく、昔バルディア伯爵家で護衛の班長を務めていた、腕の立つ頼れる男が開いた店だった。
任務中に足を痛めて護衛こそ引退したが、今では下町で大人気の食堂を営んでいるのだった。そんな気心の知れた彼に娘を預けるなら、これ以上安心できる相手はいない。と思っていることを知るはずがない私は、お父様の紹介してくださる食堂。と聞いて、あることを思い出していた。
「本当ですの!? お父様! もしかしてその食堂は、わたくしのレシピをいつもお渡ししている食堂ではないのですか?」
「そうだよ」
「まぁ。そこで働けるのですか? ありがとうございます! 嬉しいですわ」
隣でお母様も、私の嬉しそうな顔を見てほっと嬉しそうに微笑んでいた。セルジオだけは複雑そうな顔をしていた。
「それなら安心ね、セラフィーナ。しっかり学んできなさいね」
「はい!」
「今度、私たちみんなで、こっそり食べに行きましょうか。ね? セルジオ」
「……はい」
「そうだな。楽しみだね」
お父様とお母様は、目を合わせて頷いていた。セルジオは唇を尖らし何か言いたげであったが、何も言ってはこなかった。
「ぜひ来てくださいませ! 精一杯、おもてなしいたしますわ!」
それを見て私は満面の笑みを浮かべた。その可憐さに、両親の胸はキュンと締め付けられているなどとは思ってもいなかった。
お父様は目を細めながら心の中で(……よし、お店の周りに護衛を、いつもの三倍に増やしておくか)と、私には絶対に内緒で固く決意していることを私が知る由がなかった。
◇◇◇
「ここが、恋愛小説の中だと思い出してから一年ですわ。そろそろ、断罪されてもおかしくない季節になりましたわね……ふぅ」
私は、自室の机に向かい書き込んでいた一冊のノートをパタンと閉じた。そして満足気に深く息をついた。机の上に置かれているのは、革張りの分厚いノート『小説の中である証拠のノート』。今ではもう、何冊目か分からないほどだ。
いったいこの世の中にはいくつ証拠があるのかわからない。でもこれだけ揃えば、もう間違うはずがない。
だって今日は、とっておきの証拠を思い出してしまったのだ。これはもう間違いない。間違えるはずがない。いや、間違えてたらおかしいってくらいの証拠なのだ。
とりあえず今まで集めた証拠のノートの数々を、自慢のコレクションを眺めるようにぱらぱらと愛おしそうにページをめくっていく。そこには、これまでのセラフィーナの努力の結晶がずらりと並んでいた。
『王侯貴族がいる』
『冒険者ギルドがある』
『婚約者は侯爵令息』
『婚約者は婚約破棄するまでは優しい』
『この世界の高級菓子は、贅を尽くせばいいと思っていて、そして濃厚で甘すぎる』
『男女ともに美形が多い』
『学院がある』
『噴水広場もある』
『お父様もお母様も優しい』
『料理人のご飯は美味しい』
『ヒロインの実家のパンも美味しい!』
『下町は石畳が敷いてある』
『クロード様はかっこいい』
『クロード様の髪は、濃い茶。でも小説ではヒーローというものはだいたい黒が多い。ほぼ同じ』
『小説の中のヒーローはだいたい背が高い。クロード様はたしか百八十二センチメートル。うん。ここも同じ!』
『悪役令嬢は、だいたい深紅の髪に濃い紫の瞳。わたくしはつつじ色の髪にライラックの瞳。赤と紫。完璧!』
『エリは今日もわたくしの話を信じてくれました』
『わたくしの髪型が縦ロール』
『そして、わたくしはかわいい』
「ふふっ」
沢山の証拠に満足げに笑ってしまう。本当にたくさんの証拠があったわ。うんうん、と一人頷いていた時、コンコン、とドアをノックする音が響いた。
「セラ?」
聞き慣れた小気味よい声に、セラフィーナは顔を上げた。
「どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、やはりエリだった。今日も今日とて、私の部屋へ遊びにきてくれたのだ。
「また熱心に証拠書いていたの?」
「ええ」
セラフィーナは嬉しくなって、ぎゅっとノートを胸に抱えた。
「でもでも、聞いてください! また新しい証拠が増えましたの! しかも今回は、これまでのものとは一線を画す、決定的な証拠ですわ!」
「まあ!」
エリカは楽しそうに、感心したようにパチクリと目を丸くした。
「決定的?」
「ええ。そうなのですわ」
「一体どんなこと?」
私はフンスと胸を張った。よくぞ聞いてくれました。これどうだ! これが証拠だ!
「もう、ここは間違いなく前世で読んだ恋愛小説の中ですわ。これを見てください!」
「どれどれ?」
私は自信満々に差し出したノートの最新ページを、エリが覗き込む。そこには、ただ一言、奇妙な名前だけが書かれていた。
『セレスティーナ・バルディ』
「……これは?」
「よくぞ聞いてくれましたわ、エリ! これは、わたくしが前世で読んでいた恋愛小説に出てくる、悪役令嬢の名前です! 思い出しましたの」
どや顔を浮かべる私。よくぞ思い出した。褒めてつかわす。なちゃって。
「……ええ。それで?」
「名前の響きが、もの凄く酷似していますでしょう!? セレスティーナとセラフィーナ! 名字のバルディとバルディア! 完全に一致していますわ!」
私の完璧な証拠を前に、エリは驚いたあと下を向いて何かを我慢するように拳を握った。
「……『完全に』違っていると思うけど……どうしたらそうなるの? さすがだわ」
うつむいて、エリが何かをつぶやいたがよく聞こえなかった。
あれ? なんだか震えてる? え? 急にどうしたの?? あ、もしかして、トイレ行きたいの? お腹痛いの? 急に痛くなることってあるよね。
「エリ、大丈夫? ……そのお腹痛いとか? 席外しても大丈夫よ?」
「……いいえ。大丈夫、おなか痛いわけではないわ」
「そうですの? 無理はしないでくださいね?」
「ええ。それで……えーと、そう。完全に同じ。って話ね?」
「そうですわ。完全な証拠でしょ? だから、ね? ここは恋愛小説の中ですの!」
「……んんん。本当だわ! よく気づいたわね、セラ!」
「でしょう? すごいですわよね」
エリはポンと手を叩いた。相変わらず私の突拍子もない話を、とても楽しそうに聞いてくれるので嬉しい。
でも私は一転して、ゴクリと唾を呑み、真剣な表情をする。
「そして、あと数か月もしたら学院生活も一年がたち、私たちは二年へ。そして、クロード様たち攻略者数名は卒業……」
「……え? 卒業?! セラ……そうなる、のかしら?」
「ええ。つまり……」
「つまり……?」
私のただならぬ気迫に押されたのか、エリの喉も、ゴクリと音を立てたのが分かった。
「婚約破棄まで、あと少しですわ」
「……」
エリは一瞬だけ、遠い目をし「えーーーっと?」というような困惑した顔になったが、すぐにまじめな顔に戻った。何かおかしなことを言ったかしら?
「どうして……そう思うの? ……かしら?」
「だって当然ですわ!」
「えっと、当然なの?」
「ええ。当然なのです。だって、そういうものなんですもの」
「……そういうもの……んん。そうなのね!」
さらに、私は人差し指を立てて力説した。
「悪役令嬢がヒロインに文句をいって大勢の前で婚約破棄をされるのは、大体このくらいの年齢と舞台が定番ですの。タイムリミットは近いですわ!」
「なるほど……」
「ですから!」
私はドレスの裾を翻し、勢いよく立ち上がった。
「今のうちから、準備をしなければなりません!」
「準備?」
「平民になる準備ですわ!」
「……なるほど?」
エリカは静かに微笑みながら頷いた。
「……全然なるほどじゃないけれど……お兄様、不憫!」
クロード様への苦労を察して遠い目をしつつ、小さな声でぽつりと言葉をこぼすエリ。「でもセラの発想はやっぱり面白いわ」と、もう一度頷いていたが、私はそれには気付いていなかった。
「さすがね。セラ」
「わたくし、没落しても立派に自立して見せますの!」
私のその決意は、冗談抜きでどこまでも真剣そのものなのだった。
「だからね。エリ。今日はわたくしの、この『小説の中である証拠のノート』の検証と平民になる準備に付き合っていただきますわ!」
「……っ! いいわよ! 何をすればいいのかしら」
「面白いの来た」と言いたげな顔で、エリは私の言葉に頷いてくれた。
「昨日、お父様とお母様とちょうどお話してて、わたくし下町で働くことにしましたのよ」
「まぁ。すごいわね。セラ。もうそこまで準備が進んでいるなて」
「だから一緒に行ってほしいのですわ。下町に」
「ええ。わかったわ」
そうして、私とエリは商家の娘風の装いで下町へお忍びで遊びに行くことにした。
エリにも着てもらった、お揃いの商家の娘風というこれまた可愛い衣装、たまらなく似合っている。私なら、お金払ってだって撮影会とかしちゃうかも!
そんなバカなことを考えながら、侍女リーナを連れて意気揚々と下町へと繰り出した。
◇◇◇




