第10話 わたくし、王立学院に入学しましたわ!【後編】
その日の夕刻。アリントン侯爵家に遊びに行き、エリの部屋でさっそく『小説の中である証拠のノート』を私は開いた。この興奮、忘れる前に記したい。
「セラ、今日の証拠はなにかしら?」
「ええ、エリ。よくぞ聞いてくれましたわ。今日、ここが恋愛小説の中だという証拠、ええ、もう絶対ぜったい、間違いありませんわ」
私はペンを執り、美しい文字で新たな事実を書き込んでいく。
『証拠㉟:ヒロインは入学式に盛大に遅刻する。そして攻略対象との出会いを果たす』
「え? いつのまに……三十五? また増えてる?」
「ええ。だって、沢山証拠はあるんですのよ、エリ。今日だって。これでまた一歩、真実に近づきましたわ」
「……そう。で、えっと。遅刻はわかるわ。ヒロインはサラさんなのよね? で、攻略対象ってなにかしら?」
「攻略対象というのは、前世で読んだ恋愛小説の中で、ヒロインが恋に落ちるお相手ですわ」
「それは、お兄様じゃなかったの?」
「クロード様も、そのおひとりですわ!」
「……? おひとり、って、複数いるってこと?」
「そうですわ。王子に、騎士団長のご子息、学院の先生とか、あと幼馴染とか居たりしますの」
エリカが信じられない、というような顔で私を見つめていた。いやいや、だってラノベってそういうもんよ?
「ちょっとまって。なにそれ? ふしだら過ぎない? そんなに沢山の人と恋に落ちるの!?」
「あ、違いますの。物語ごとに、お相手が変わるのですわ。攻略対象の中のおひとりと恋をするのです」
「物語ごと?」
「はい。恋愛小説って、作品ごとにお相手が違いますの。王子と恋に落ちるお話、騎士団長のご子息と恋に落ちるお話、学院の先生と恋に落ちるお話、などなど。もちろん、侯爵令息と恋に落ちるお話もありますのよ」
「じゃあ、今日、ヒロインがサラさんだったとして、ユリウス殿下と恋に落ちたのなら、やっぱりお兄様とセラは婚約破棄しないわよね?」
「いいえ。ヒロインはおひとりしか選ばれませんが、攻略対象の方々は、ヒロインただ一人をお好きになるのです。そして、わたくしは悪役令嬢。意地悪をしたことで、クロード様に婚約破棄を言い渡されるのです」
「えーー? ちょっと意味が分からないんだけれど。なんで皆ヒロインが好きになるのよ。そして、前から言っているけれど、お兄様は意地悪したからって婚約破棄しないわよ?」
「エリ! 深く考えてはいけません。そういうものなのです」
「……っえ? そうなの?」
「そうなのです!」
私は得意げに胸を張る。だって、本当にそういうものなんだもの。それ以外ないのよ?
「……よくわかんないけど、わかったわ!」
「はい! 分かってもらえて嬉しいですわ」
「とりあえず今日の情報は、お兄様にも早く教えて差し上げなくてはね。そういえばこの後お兄様とお茶するのよね?」
エリはクロード様に攻略対象のことを伝えるのかな? あれ? でも私、クロード様に「ここは恋愛小説の中」って、まだ教えてあげてなかったよね? エリが教えてあげたの? まぁいっか。それより今後のことよ。
(クロード様がサラさんと会ってしまうのは……その、ほんの少しだけ、胸がちくっとしますけれど……)
いよいよ物語の歯車が回り出したのだ。この学院には、あの断罪イベント用の噴水広場もある。近いうちにクロード様がサラさんと出会い、恋に落ち、自分に婚約破棄を告げる日が来るはずだ。
最近のクロード様は優しすぎて、仮面の裏の義務感が痛々しいと思っていた。きっとサラさんと出会えば、義務から解放されて本当の恋を知るはず。……うう。まただよ。なんなのこれ。痛くて仕方ないのに、お母様は大丈夫っていうし。ホントまじ意味不なんだけど。
「とりあえず、わたくし、この痛みにも負けませんわ……! クロード様のために、頑張って綺麗に婚約破棄されてみせますことよ!」
迫りくる運命の日に向けて、私はソファから立ち上がり力強く拳を握りしめた。
「セラ大丈夫? どこか痛いの? お兄様に言えば、残念がると思うけれど、一緒にお茶するの延期にしてくれるわよ? あと、頑張って綺麗に婚約破棄する必要ないと思うのだけれど?」
「大丈夫ですわ。この後、クロード様にクッキーを差し入れるために持ってきましたもの。一緒にお茶はいたしますわ」
私はソファへと座り直しながら、今日の半分目的であるクロード様への差し入れの手作りクッキーをカバンから取り出した。なかなかクロード様の都合があわずに、持ってくるって約束してから時間が空いてしまった。喜んでくれるかな?
クロード様には、あまり甘くないほうがいいと思って、砂糖控えめのプレーンとチーズとドライハーブの三種類を作ってきた。調子に乗って作りすぎたかな。多すぎたような気もするんだけど、クロード様のことを思いながら作っていたら、たくさん出来てしまったのよね。
「そう? 無理はしないでね。お兄様はセラのクッキーを、ものすっごく首を長くしながら楽しみに待ってたから、きっと喜ぶと思うわよ」
「ふふふ。そうだと宜しいのですけれども。あ、そうそうエリにもお聞きしたいことがありましたの」
「あら、何かしら。私に答えられることなら何でも聞いてちょうだい」
わたしは、ゴクリと唾をのんで、真剣にエリの瞳を見ながら聞いてみることにした。
「エリは、胸がチクリとする痛み、たまになったりしません?」
「……それは、どういうときにかしら?」
「んー、よくわからないのですわ。でも……っ! エリも、胸がチクリとすることがありますの? 私だけじゃないんですのね!? なんか、よかったですわ。お母様に相談しても、大丈夫としか言ってくださらなかったから心配してましたの」
「いや、私はないけれど、でもたぶん思い当たるというか、なんかわかるような……」
「ハッ! もしかして、今気づいたのですけれど、エリにもわかるってことは、筋トレのしすぎ?」
「……なんで?」
「え? だってほら、わたくし、少々お胸が大きくなってきたので、将来のためにお胸の筋肉を育てるように筋トレを始めたのですわ。だからそのせいかもって。エリだってお胸のためにいろいろしてますわよね?」
「申し訳ないんだけれど、私の胸はまだそんなこと必要ないわよ」
「え? 違うのです? そしてエリは、まだなにもしてないっておっしゃいますが、こういうことは気づいてからでは遅いのですわよ。早めにケアが必要よ! って、リーナが教えてくれましたの。エリもやったほうがいいわよ」
「あー、はいはい。今度からやるわ。って違う違う。その痛みだけれど、絶対筋トレのしすぎじゃないと思うから」
なぜか、呆れたような顔でわたしを見るエリ。なんで?
「……セラを見ていると、お兄様がほんとかわいそうというか、セラに対して不甲斐ないというか」
エリは小さな声でぶつぶつ言い出した。お兄様って、クロード様?
「クロード様がなに? よく聞こえないのだけれども」
「なんでもないわ。その痛み、そのうち原因がわかるんじゃない?」
「えー。お母様みたいなこと言わないでくださる? 分からないから聞いたのに」
私は頬をぷくっと膨らませた。
「はいはい。そろそろ、お兄様のところに行ったほうがいいんじゃないかしら? セラを待ちくたびれて首がもげちゃう頃かもよ」
「ふふふ。何それ」
エリの言う、クロード様の「首がもげる」を想像したら、なんだかおかしくなってきた。そんなことないけれど、そこまでして待っていてくれたらいいなって思ってしまった。ふふふ。そうしたら嬉しいな。
「では、そろそろクロード様のもとへ行ってきますわね。また証拠を見つけたら一緒に書きましょうね」
私はそう言ってエリの部屋をあとにし、クロード様の部屋へと向かっていった。
◇◇◇
私はクロード様の部屋の前まで来て、少し緊張していた。だって、本当は手作りクッキーなんて迷惑ではないだろうか? 実は手作りって重くない? って今更気づいちゃったのよ。
婚約者だからね、持ってきていいよ、って社交辞令で言っていたのかもしれないじゃない?
なのに、私三種類も作っちゃったよ。ホント今更だけど、大丈夫? クロード様からしてみれば、断れない案件なだけじゃない?
私は緊張しすぎて、謎の脳内会議が始まってしまった。
リスク担当『おい、本当に渡していいのか? 手作りはいろんな意味で警戒されるぞ!?』
現場の自分『大丈夫! 手もきれいに洗ったし、銀スプーン使ったし。料理長も美味しいって言ってくれた』
リスク担当『いや、だからそれは忖度ってこともあるんだぞ?』
現場の自分『えっ?』
ネガティブ分析官『それに、今さっき自分だって社交辞令で断れない案件って言ってたよ』
ポジティブ分析官『いやいや。クロード様のことを思って、甘くないのを中心に作ってるじゃん。大丈夫。クロード様は優しいから問題ない』
ネガティブ分析官『今だけだけどね』
現場の自分『……』
ポジティブ分析官『おいおい。自分を信じろよ。それに、渡さなかったら後悔するのは自分だろ? チャンスはつかみ取れ』
……そうだ。もう渡せないかもしれないんだもの。毒とか入ってないし、安心して食べてね! って渡そう。そうしよう。
うん。私はうなずいてクロード様の部屋の扉をノックした。中から慌てているクロード様の気配がした。
(……やっぱり、本当は迷惑だったのかしら。慌ててらっしゃる気がするわ。エリが言うように「首がもげる」なんてことはなかったのかもしれませんわね……)
ガチャリと扉が開いて、クロード様が出てこられた。なんだか少し顔が赤い気がする。やだ、ちょっと具合が悪いんじゃない?
「えっと、クロード様、ごきげんよう。あの、大丈夫ですの? 具合が悪いのではないですか?」
「セラ。……大丈夫。それより、遅いから迎えに行こうと思ってたところだ。すれ違わなくてよかった」
「ふふふ。それなら良かったですわ。でも、あまり長居はしないようにしますわね」
「……そうか。とりあえず中へ」
「はい。お邪魔いたしますわ」
私はクロード様の部屋にお邪魔した。クロード様は扉を少し開けて完全に閉まらないようにし、私をソファへと座らせてくれた。
(クロード様の匂いがする!)
……って、何考えているのよ。変態か私。やだ、なんかドキドキする。もう、そんなこと考えてないで、さっさとクッキーを渡して帰るわよ!
「クロード様、以前お話していたクッキー、本日焼いてきましたの」
「……そうか」
「クロード様はあまり甘いのはお好みではないかと思いまして、甘くないプレーンとチーズとドライハーブの三種類にしてみましたの」
「え!? 三種類も……?」
「……はい」
「……っ」
クロード様は手渡したクッキーを受け取ると、中をちらりと確認した。そして、ほんの一瞬だけ目を見開いた。でも、それだけだった。
(やっぱり、あまり嬉しくなかったのかしら……そうですわよね。わたくしの作ったクッキーですもの……)
「あ、やはりご迷惑でしたよね。ちょっと作りすぎてしまいましたもの、……っは! 全部渡す必要、なかったですわね」
なんか一人で浮かれてしまってたなんて。すっごい恥ずかし。ヤダもう。穴があったら入りたい。むしろ自分で掘って頭から入りたいわ。恥ずか死ねるレベル! あ、そうだこんな時は――
「あの、ど、毒とか入っていませんわ! だから安心して食べられたらよろし……っにょ!」
……にょ?
「……っ」
や、やってしまったぁぁ! あまりの緊張で噛んじゃったじゃん。ヤダもう。ほんと、ヤダもう私。
顔を隠して私は俯いた。やっぱり穴に入りたいぃぃぃ。
ちらりとクロード様を盗み見ると、なんだか顔を赤くして、プルプル震えている。え、怒ってる? え、すっごい怒ってる? 二回言うくらい、怒ってる? そんなにダメだったの……なら受け取らなくてもよかったじゃん? 優しすぎるよクロード様……
「んん。それよりも、セラ。改めて入学おめでとう。わからないことがあれば僕に聞くといい」
「あ、はい。ありがとうございます、クロード様。そういえば本日、校内案内で図書室に最後お邪魔させてもらいましたが、また証拠がございましたわ! 後で書いておかないといけませんわね」
「え? また証拠? こんなときも??」
「はい。それに本日はすごい証拠を見つけましたの。これ以上ないものですわ!」
「……すごい、証拠……」
怪訝な顔をするクロード様。なんでかしら? っていうか、サラさんがヒロインって知ってるっけ? 話したっけ?あれ? クロード様とどこまで情報共有している? もう、報連相大事よ? 私、しっかりして!
「クロード様、お聞きになって! とうとう……とうとう出会ってしまいましたの!」
私はサラさんとのことを思い出しながら、クロード様のほうへ身を乗り出した。
目の前に座るクロード様は、紅茶に手を伸ばしかけたまま、ピタリと動きを止めた。ふふ。クロード様も聞きたいわよね。教えて差し上げますわ! おーほっほっほ。
「出会った……? 一体、誰にだ」
「サラさんですわ!」
私は両手を胸の前でギュッと握りしめ、ライラック色の瞳をこれ以上ないほどキラキラと輝かせて見せた。ええ、会いましたとも。ヒロインに!
「そうですわ! ヒロインが平民の特待生として学院に入学していらしたのです! しかも入学式に盛大に遅刻して、ユリウス殿下と目が合って――」
クロード様は内心でそっと息を吐いていたけれど、私に気づくはずもなく、どんどんサラさん情報を提供することにした。
「……そうか。あの時の彼女か」
「ええ! しかも成績発表の名簿を拝見して驚きましたわ。彼女、並み居る貴族を抑えて全体二位の次席だったのです! 平民の特待生が実はもの凄く頭が良いというのも、恋愛小説の設定そのままで、完全に黄金のテンプレ通り!」
私は「ふふふ」と胸を張った。だって、あのサラさんだし、なんて言ったってヒロインだし!
「廊下ですれ違った際も、わたくしの顔を見て「綺麗な人……」とポカンと口を開けていらっしゃいましたの。ふふ、あの時の丸眼鏡のサラだとは夢にも思っていないご様子でしたわ。わたくしの完璧な変装のおかげですわね!」
(いや、どう見てもあの変装は、出来栄えが低すぎて浮いていたと思うのだが……)というクロード様の心の中のツッコミは、私には届かなかった。
「……セラ」
「はいっ? なにかしら、クロード様!」
「その……特待生の彼女と会えて、そんなに嬉しいのか?」
クロード様が少しだけ声を低くして尋ねてきたので、私は正直に答えた。なんだか胸がチクチクする気がするけれど、きっと気のせいだ。
「もちろんですわ! だって、サラさんが現れたということは、物語が正しく動き出した証拠ですもの! クロード様も近いうちにサラさんと運命の出会いを果たして……その、義務だけのわたくしから解放される日が来ますわよ」
う……チクチク。いつもより痛い気がする。なんで?
ほんの一瞬だけ、私は最後の「義務だけのわたくしから解放される日」が来なければいいなんて思ってしまったわ。そのせいでなんだか言うのに躊躇ってしまったけれど、どうしてかしら? これが正しいのに。
私は少し首を傾げた。うーん。なんかよく分かんない。
クロード様はふっと目元を緩め、そして渡したクッキーを口にした。あら、一応食べてくださるのね。婚約者の義務かしら……あ、違うか。くれた人への当たり前の配慮か。そうだよね。目の前で一枚くらい、嫌でも食べるよね。うん。そうよね。
「このクッキー……とても美味しいよ」
「……でも、あのクロード様、あまり無理なさらないでくださいませね?」
「……本心だ」
「まぁ! それならば、甘くないクッキー正解でしたのね。良かったですわ。婚約破棄されるまでに、もう一度くらい作って差し上げますわね!」
「…………婚約破棄?」
「はい。そうですわ!」
だって、運命の歯車は動き出しているのですもの。
「セラ、もう一度言うけれど無理なんてしていないよ。僕は、君がそんなに楽しそうに話してくれるなら何よりだよ。……でも、僕が誰に恋に落ちるかは、僕自身が決めることだからね?」
「え……? ええ、もちろんですわ! クロード様の運命のお相手はサラさんですから……!」
(僕の運命の相手は、最初から君だけだよ、セラ)
――そんなクロード様の本心を私が知るはずもなかった。




