第7話 わたくし、ヒロインと遭遇しましたわ!?【前編】
「……ふぅ」
一冊のノートをパタンと閉じ、私は満足げに深く息をついた。机の上に置かれているのは、革張りの分厚いノート『小説の中である証拠のノート』だ。私が悪役令嬢だっていう証拠のノート。
「だいぶ証拠が集まりましたわね。これだけあれば、ほぼ間違いありませんわ」
このノートに最初の証拠を書き留めることにしたら、証拠はいたるところにあって。
スマホ見ながら『スマホがない!』って、手の中にあった時くらいの秒速解決案件だよ、これ。どんだけあるんだって話よね。
自慢のコレクションを眺めるようにページをめくっていく。そこには私の努力の結晶である記録とともに数々の証拠がずらりと並んでいた。
『王侯貴族がいる』
『婚約者は侯爵令息』
『婚約者は婚約破棄するまでは優しい』
『この世界の高級菓子は、贅を尽くせばいいと思っていて、そして濃厚で甘すぎる』
『男女ともに美形が多い』
『クロード様もかっこいい』
『お父様もお母様も優しい』
『わたくしの髪型が縦ロール』
『わたくしはかわいい(これは悪役令嬢の、まさにテンプレですわ)』
「ふふっ。自分で書くのも少々図々しい気はしますけれど、悪役令嬢たるもの、ヒロインを引き立てるために飛び切り美しく生まれてくるもの。それが王道のテンプレですものね。仕方がありませんわ!」
大満足で頷いた私は、パッと立ち上がった。実は私には、今日ある重大な目的がある。それは、下町に行くことだ。
「この他にもたくさん書いてあるけれど、証拠をさらに確実なものにするため……今日は下町の冒険者ギルドとやらをこの目で確かめに行きますわ!」
ネット小説の定番といえば、荒くれ者が集うという冒険者ギルド。一体どんなところなのだろう。どきどきするわ。やっぱり、背丈くらいの大剣とか持ってたりするのかな?
イメージを膨らませながら、さっそく私はお供の侍女リーナを巻き込んで変装の準備を始めた。
本日の変装は、丸い眼鏡に、ゆるく編んだおさげ髪。そして飾り気のないワンピース。
「完璧ですわ! これで誰にもわたくしの正体は分かりませんわ! オーラも完璧に消せていますもの!」
鏡の前でくるくると回り、私は大満足で胸を張った。
その姿を見てリーナは、うんうん何度もうなずいていた。リーナにも合格点もらえてるみたいだわ。ふふふん。完璧!
そうして私は、意気揚々と下町へと繰り出した。
隣でリーナが(……お洋服は地味なのに、漂う気品が何一つ隠せておりません。丸眼鏡のお嬢様、小動物みたいでなんて愛らしいのかしら……!)と内心で悶絶していたが、そんなことを思っていることに私は全く気付いていなかった。
◇◇◇
石畳の小道に、頭上に広がる木骨造りの重厚で温かみのある建物たち。漆喰の壁は、ほんのり色を変えて何百年もそこにあるのだという事実を醸し出し、可愛い絵の看板が風に揺れて、町全体がとてもかわいいおもちゃ箱のよう。
伯爵家からの馬車を下町の少し手前で降り、そして歩いていると、そんな町並みが見えてきた。
(なんだかちょっと、ドイツの街並みみたい)
……行ったことないんだけど。
言ってみたかっただけだから。だってこんなセリフも小説じゃ鉄板だもんね。
「あ、見てください、リーナ! 石畳があります!」
下町に足を踏み入れた瞬間、私は興奮気味に地面の石畳をびしっと人差し指で指差した。
「小説には必ず石畳がありますの! ほら、これで証拠がまた一つ増えましたわ!」
「……左様でございますか」
(下町のメイン通りはだいたい石畳な気もいたしますが、お嬢様が楽しそうなのでヨシとしましょう)と、リーナが温かい目で見守っていることなど気づいていない私は、さらに奥へと進んでいった。
下町の広場まで来ると、無骨な、でも重圧感のある三階建ての木造建築があった。これが、冒険者ギルドだわ!
お目当ての冒険者ギルドを目の前に、私はゴクリと唾を呑んだ。開け放たれた扉の向こうからは、ガハハと笑う荒くれ者たちの声や、大きな剣を背負った人たちの姿が見えたのだ。やっぱり大剣! 持ってる人いたよ。すごいよ。異世界だよ!
「まあ……! 本当にギルドが存在しますのね……!」
興奮し、感動のあまり目を輝かせる私。でも、これでこの世界は間違いなく小説の世界だと思い込む。だってそうでしょう? もう間違いようがないじゃない。目の前には、あの! 冒険者たち! しかもよく見れば武器防具屋に鍛冶屋もすぐそこにあるじゃない! すごいわ。
でも、緊張と興奮のせいでお腹がすいてしまったのか。ギルドを眺めていた私の鼻腔を、ふわりと、もの凄く香ばしくて幸せな匂いがくすぐった。何これ、すっごく良い匂い。……向こうから?
きょろきょろと周りを見回し、そして、一軒の食べ物屋らしき建物を発見した。軒先にはかわいらしい看板が掲げてあって、そこには何やら絵が描いてあった。何屋かな? ちょっとここからだと風に揺れて見辛いな。
「くんくん……。ねぇリーナ、何かしらこの素晴らしい匂いは。わたくし、少しお腹が空いてしまいましたわ」
「……この匂いは、パンが焼き上がった匂いですわね。あちらの小さなお店のようです。行ってみますか?」
「うん!」
匂いに誘われるように歩いていくと、そこには木漏れ日パン工房と書かれた温かみのある小さなお店があった。揺られている看板に描かれているのは可愛らしいパンの絵だった。
店頭の棚に、焼き上がったばかりと思われるパンをせっせと並べている、一人の少女の姿が目に入る。
私は思わずその少女を凝視してしまった。だって、もしかして――
「サラ、そっちのはちみつ仕立てのロールパンを棚にお願い」
「はーい!」
元気よく返事をして笑ったその少女を見た瞬間――私の頭の中で、ゴーンと衝撃の鐘が鳴り響いた。
ゆるく波打つ綺麗な桜色の髪、ひまわりのようにパッと周りを明るくする弾けた笑顔、そして素朴なパン屋の娘という設定。
(――っ! ……わたくし、ヒロインと遭遇しましたわ!?)
間違いない。彼女こそが、この恋愛小説の本物のヒロインだ。私が雷に打たれたように硬直していると、少女――サラがこちらに気づいて、満面の笑みで駆け寄ってきた。
「こんにちは! いらっしゃいませ! ちょうど今、はちみつ仕立てのロールパンが焼き上がったところなんです。すごく美味しいですよ!」
「え? あ、あの……っ」
あまりの眩しさにドギマギしてしまう私。だけど、手渡された出来立てのパンの温かさと、ヒロインの裏表のない優しい瞳を見つめているうちに、なぜだか胸がぎゅっと掴まれたようになった。
(なんて可愛くて、良い子なのかしら……。恋愛小説のヒロインがこんなに魅力的なら、きっとクロード様がいつか彼女を好きになる……当然ですわよね)
そう思った瞬間、胸の奥がチクリと痛んだ。悪役令嬢である私は、いずれクロード様に嫌われて婚約破棄される運命。そう思ったら、胸の奥がどんどん痛くなる。なんで? 苦しい。思わずうつ向いてしまった。
(……でも、世界の強制力には抗えませんもの。そうよ。今のうちからしっかり没落の準備をして、平民として自立できるようにしておかなくては!)
私は、胸が痛いのを我慢して、キュっと顔をあげる。そして彼女の瞳と視線を合わせた。
「あの、先ほどお名前が聞こえて。サラさん……とお呼びしても? わたくしはセラ――いえ、サラと申しますの。こちらのパンをいくつかいただけますかしら?」
「わあ、サラちゃん! 同じ名前だね、なんだか運命的! これからよろしくね!」
彼女の無邪気な笑顔に包まれながら、私は「ヒロインと仲良くなってしまったわ……」と内心で大慌てしつつも、どこか寂しさと嬉しさを隠せないでいた。
◇◇◇
後編へ続く。




