第6話 道中
旅に出て三日で、わかったことが三つある。
一、ロロは馬車に酔う。
二、クヴィンは岩山が近づくほど饒舌になる。
三、そして――教授は、異様に旅慣れている。
「今夜はこの宿だ。裏に井戸があり、厩が母屋から離れている。飯はまずいが、寝床に虫が出ん」
「先生、なんで泊まる前からわかるんですか」
「軒下を見ろ。燕が巣を残している宿は、掃除がまめだ」
火の熾し方も、川の水をどこで汲むかも、宿の親父との値段交渉も、ヴェルナはなんでも知っていた。年に数回しか外に出ないはずの、あの引きこもり教授がである。
「先生、旅慣れてますね」
「……長く生きているだけだ」
それ以上は、いつもの仏頂面だった。
◇
王都を出て八日目。街道の果て、山裾の村に着いた。
アシェン村。竜の岩山に登る前の、最後の村である。名前の通り、畑の土がうっすら灰色をしていた。
村は収穫祭の準備の最中――のはずが、どうにも様子がおかしい。広場に人が集まって、皆で一つの装置を囲み、うなだれている。
「……汲み上げ陣だ」
覗き込んだテオは、すぐにわかった。井戸から段々畑へ水を押し上げる、灌漑用の魔法陣。もう何十年も前の型で、芯の紋がごっそり焼け落ちている。
「三日前から、うんともすんとも言わねえ」と村長。「替えの陣は町まで十日。祭りどころか、苗が全部枯れちまう」
「テオさん」ロロが道具箱を既に開けていた。「これ、いけるよね?」
「いける。ヨルガ婆さんの保冷陣と同じ手だ」
焼けた芯の上に汎用の小陣を重ねて貼り、縦穴で繋いで迂回させる。ロロが刻み、テオが繋ぎ、クヴィンが村の納屋から使えそうな端材を目利きして持ってくる。二時間後、汲み上げ陣は三日ぶりに水を吐き上げ、広場は歓声に包まれた。
「宿代はいらねえ! 飯も食ってけ! なんなら祭りまでいてくれ!」
「気持ちだけで。……それより、山への案内人を探してるんですが」
広場が、すっと静かになった。
「……竜の山にゃあ、誰も登らねえよ。三年前から、あの山は怒ってなさる。関所までなら、道を教えるがね」
◇
その夜は、村長の家の囲炉裏に招かれた。
鍋を囲み、ロロが三杯目をおかわりした頃、村一番の年寄りだという語り婆が、ぽつりぽつりと昔話を始めた。
「山の話をするならばね、旅のお人。この土地にゃあ、もひとつ古い言い伝えがあるのさ」
「聞きたい!」と身を乗り出したのはロロである。
「――昔々、それは腕のいい魔導師たちがおってな。天へ届く塔を建てようとしたそうな。石を積み、陣を積み、塔は雲を抜け、星に手が届くほどになった。じゃがな、驕った塔は神の火に焼かれ、一夜で崩れ落ちた。積んだものは、いつか崩れる。だからこの土地じゃ、石垣より高く物を積むときは、必ず山の神に断るのさ」
「積む……」ロロが無邪気に笑った。「なんか、俺たちと同じだね、テオさん!」
「その塔の名前はね」と語り婆は続けた。「――『天梯』というそうな」
からん、と音がした。
ヴェルナの手から、湯呑みが落ちていた。
教授は誰の顔も見ずに立ち上がり、「……夜風に当たる」とだけ言って、外へ出て行った。
囲炉裏の火が爆ぜる音だけが残った。ミラとテオは、視線を交わした。ミラが小さく首を横に振る。――追うな、ではない。今は、まだ、の顔だった。
それでもテオは、少しだけ迷って、外に出た。
ヴェルナは庭先で、月を見上げていた。六百年生きたエルフの背中は、いつもより小さく見えた。
「……先生」
「明日は早い。寝ろ」
振り向きもしなかった。テオは何も言えずに、頭だけ下げて戻った。
(天梯。――積んだものは、いつか崩れる)
教授が積層を憎む理由が、あの昔話のどこかに埋まっている。そんな気がして、その夜はなかなか寝つけなかった。
◇
翌朝。村長に教わった道を半日歩くと、谷あいに古い石造りの関所が見えてきた。ここを抜ければ、いよいよ竜の岩山である。
――のだが。
関所の前は、ちょっとした野営地になっていた。
幌付きの荷馬車が十数台。積み上げられた資材。揃いの外套を着た人足が、ざっと数えて五十人。外套の背には、天秤を模した紋章が染め抜かれている。
「……ヴェスタ商会」
ミラが呻いた。噂の先客は、思ったより大所帯で、思ったより先にいた。
人垣の中から、頭一つ大きい男が進み出てきた。革の胴着に、商会の徽章。日に焼けた顔に、値踏みする目。
「これはこれは、旅のお学者様ご一行か」男は芝居がかった仕草で一礼した。「ヴェスタ商会、山方担当のバルツァーだ。悪いが、引き返してもらおう」
男は懐から、王都の印璽が捺された書類を、これ見よがしに広げた。
「この山の採掘権は、うちが買った。――山は、ヴェスタ商会のものだ」
(第7話へつづく)




