第3話 元弟子
「これはこれは。あなたが噂の、野良の助教どのですか」
嫌味というものは、丁寧に言われるほどよく刺さる。
研究室の入口に立っていた男は、どうやらその道の達人らしかった。
仕立てのいい上着に、銀縁の眼鏡。人間で、歳はテオより少し上の二十代後半。胸元には第一講座の徽章が光っている。
「アルノルトと申します。此度の公開試験で、単陣式の側を務めることになりました。以後、お見知りおきを」
「……ご丁寧にどうも。テオドールです」
「ええ、存じています。学位をお持ちでない、工房上がりの。――いや、素晴らしいことです。近頃の大学は懐が深い」
ひと言ごとに棘がある。しかも終始笑顔なのだ。
「気をつけて」とミラが耳打ちした。「第一講座の次期看板。二十代で八刻度の単陣を刻んだ天才。そして――三年前まで、ここにいた人」
◇
ゼミ室の奥で、ヴェルナが顔を上げた。
「ご無沙汰しております、師よ」
アルノルトが、深々と頭を下げた。さっきまでの棘が、嘘のように消えていた。
「……何の用だ」
「試験のご挨拶に。それから――」
「挨拶なら済んだな。帰れ」
取りつく島もない。テオが受けた塩対応と同等、いやそれ以上だ。
銀縁の奥の目が、一瞬だけ、捨てられた犬みたいに揺れた。
(……あれ、この人)
棘の下に、別のものが見えた気がした。
◇
「そうそう、手土産を忘れていました」
気を取り直したように、アルノルトは付き人に木箱を運ばせた。中には、鏡のように磨かれた白い板が十枚。
「陣基です。魔法陣を刻むための専用の基板――ああ失礼、工房の方には釈迦に説法でしたね。東方工廠の特級品です。最新の八刻度――紋様の細かさの等級ですよ、数字が小さいほど細かい――にも耐えます。うちでは使い切れないほどあるので、お裾分けに」
要するに「こっちはこんな上物を湯水のように使えるんだぞ」という示威である。
「ときに野良どのは、陣基の目利きはおできになる? ああ、無理にとは言いません。あれは長年の修練が――」
「三枚、外れです」
「……は?」
テオは箱から板を取り出し、指の背で弾きながら手早く並べ替えた。
「これと、これ。音が湿ってる。焼きの温度が半日ずれてますね。表面は綺麗ですけど、深く刻めば割れる。それからこの一枚――中央に巣、つまり空洞がある。光にかざすと芯がわずかにぶれるでしょう。八刻度どころか、並の仕事にも使えません」
「馬鹿な。特級の検品を通った品ですよ」
「ロロ、検査水晶」
「あいよ!」
水晶をかざすと、テオの言った三枚の欠陥が、そっくりそのまま影になって浮かび上がった。
アルノルトの笑顔が、初めて完全に消えた。
「工房では、目利きを外すと給料が飛ぶんですよ。目と耳と指で覚えるしかない。……学位は、くれませんでしたけど」
◇
アルノルトは咳払いをひとつして、懐から通達文を取り出した。
「……本題です。試験の課題が正式に決まりました。学部長裁定です」
ミラが受け取って読み上げる。
「『王都中央広場・大時計塔の祝祭照明百灯。これを制御する魔法陣を両者が製作し、三日三晩の連続点灯にて競う。審査は光の安定、消費魔力、ならびに無故障』……実地でやるんだ。派手だねえ」
「秋の収穫祭に合わせるそうです。衆人環視の中でね」
アルノルトの笑顔が戻っていた。
「三日三晩――二十五万九千二百秒。三十秒で音を上げる積み木細工には、いささか長いのでは?」
(今は九十秒なんだよなあ)
言っても仕方がないので言わなかった。
去り際、アルノルトは一度だけ振り返って、ヴェルナに言った。
「師よ。私は今でも、あなたの平面がこの世でいちばん美しいと思っています。……ですから、目を覚まさせて差し上げる。その積み木ごと、あなたの停滞ごと、公開の場で叩き潰すことで」
ヴェルナは、書き物から顔も上げずに答えた。
「アルノルト。おまえの陣は、綺麗になったか」
「……相変わらず、意味のわからないことを」
彼は靴音を立てて去っていった。
(綺麗に、なったか?)
妙な問いだ。あの男の刻む陣は、誰が見たって綺麗だろうに。
テオはなんとなく、その問いを頭の隅にしまった。
◇
「さて」とミラが手を叩いた。「整理しよう。お題は三日三晩の連続稼働。うちの現状、九十秒。倍率にして――」
「二千八百八十倍」
「絶望的な数字を即答しないでくれる?」
「でも、道筋は見えてるんです。九十秒で止まるのは、熱を『逃がす』方式の限界だから。逃がすんじゃなくて、熱を『食う』層が作れれば、理屈の上では天井が消える」
「その都合のいい層の材料は?」
「それが問題で……」
そのとき、工房の隅から、ぬっと手が挙がった。
クヴィンだった。
「……熱なら、あてが、ある」
「あるの!?」
「竜血鉱。竜の棲む岩山でしか採れない石。熱を吸って、魔力に変えて吐き出す。……冷やしながら、魔力まで稼げる」
「そんな都合のいい石が実在するんですか!? どこで手に入る!?」
「来週。南回りの行商が王都に来る。あの婆さんなら、持ってる」
クヴィンは、そこで少しだけ目を逸らした。
「……ただし」
「ただし?」
「竜血鉱は、めちゃくちゃに、高い」
全員の視線が、ミラの手元の伝票に集まった。装置予算の残り、金貨三枚。
「……つまり次の戦場は、値切り交渉ってわけだ」
研究室の命運は、無口な素材屋の交渉術に懸かった。
(第4話へつづく)




