表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/9

第2話 くしゃみ

「いいかいロロ、浄陣室ではくしゃみ厳禁だよ」


「わかってるって! 俺を何年この部屋に入ってると思ってんの!?」


――この会話の七日後、ロロはくしゃみをする。

それも、最悪の場所で、最悪の瞬間に。



公開試験まで、あと二か月。

ゼミ室の黒板には、でかでかとこう書いてあった。


『ミツバチの連続稼働時間:三十秒』


「……改めて書くと、ひどい数字だね」


ミラが腕を組んで言った。テオも同感だった。


「原因ははっきりしてます。層を重ねると、真ん中の層の熱に逃げ場がなくなる。冷却層を作り直すしかない。設計案は十三あります」


「十三!? 全部試すの!?」


「試作して比べるのが工房のやり方です。理屈で選ぶのは、理屈が信用できるときだけ」


「学者の前で言ったら殴られるよ、それ」


というわけで、研究室は一週間の試作漬けになった。


試作の刻印を行うのは、浄陣室という部屋だ。

結界で空気中の塵を締め出した、研究室でいちばん神経質な部屋である。なにしろ魔法陣の紋様は髪の毛よりずっと細い。塵がひと粒でも紋様の上に乗れば、そこで魔力の流れが途切れて、その陣はただの板になる。

この塵による欠陥を「塵障」と呼ぶ。刻印職人の、永遠の敵だ。

だから浄陣室に入る者は白い頭巾と面布で全身を包み、大声も、急な動きも、当然くしゃみも厳禁――というのが、冒頭の会話である。


一週間、研究室はよく回った。

テオが夜中に冷却層の設計を描き、朝にはクヴィンが何種類もの混ぜ物を調合して持ってくる。ロロがそれを浄陣室で刻み、ミラが全員の伝票と睡眠時間を管理する。


「先生は手伝ってくれないんですね」


「期待しない。……でもね」


ミラがちらりと廊下を見た。ヴェルナが通りすがりに歩を緩めて、ゼミ室の黒板を見ていた。目が合う前に、行ってしまったが。



七日目。

十三案、計三十九枚の試作が、浄陣室の作業台にずらりと並んだ。あとは表面に保護の膜をかければ完成――という、まさにその段になって。


ロロの鼻が、面布の下で、むずりと動いた。


(あ、やばい)


目が泳ぐ。息を止める。堪える。堪える。

堪えきれなかった。


「……っ、ぶえっくしょい!!」


浄陣室に、盛大にこだました。


検査の結果――三十九枚、全滅だった。


「ごべんなざい……ほんとうに、ごべんなざい……」


ロロは工房の隅で膝を抱えていた。誰も責めなかった。責めなかったが、空気は鉛のように重い。一週間ぶんの材料費と人手が、くしゃみ一発で消えたのだ。

ミラは無言で伝票をめくり、クヴィンは無言で鉱石を磨いていた。


「先生には報告したんですか」


「した。返事は『そうか』の三文字だった」


それはそれで、心臓に悪い。



その夜、テオはひとり浄陣室に残って、全滅した試作を一枚ずつ検分していた。

工房の流儀だ。死んだ陣は、必ず死因を調べる。次に同じ死に方をさせないために。


「……ん?」


おかしい。

くしゃみの飛沫なら、ロロが立っていた手前の列に欠陥が集中するはずだ。なのに、いちばん奥の列まで、まんべんなく死んでいる。しかも拡大鏡で覗くと、欠陥の芯にあるのは飛沫の痕じゃない。ざらついた砂粒――外の塵だ。


「……塵は、嘘をつかん」


振り向くと、廊下の暗がりにヴェルナが立っていた。夜回りか、ただの通りすがりか。


「数えてから泣け。話はそれからだ」


それだけ言って、行ってしまった。


(数える? ……欠陥の数を?)


テオは三十九枚すべての欠陥に印をつけ、位置を一枚の紙に写し取った。夜が明ける頃、紙の上に浮かび上がったのは、綺麗な扇形の分布だった。

扇の要は――浄陣室の、西の隅。

脚立を立てて天井近くを調べると、あった。結界の網の、ほつれ。髪の毛ほどの裂け目から、外の塵が、ずっと吸い込まれ続けていたのだ。



「つまり、だ」


翌朝、テオは全員の前で紙を広げた。


「くしゃみがあってもなくても、今回の試作は全滅だった。塵障の主犯は結界のほつれ。ロロ、おまえは無罪だ」


「テオさぁん……!!」


抱きつこうとするロロを片手で止めつつ、テオは続けた。


「で、ミラさん。結界の修理、業者を呼ぶといくらです?」


「見積もり取った。金貨十五枚。……ちなみに装置予算の残りは三枚」


「でしょうね。なら工房流でいきます」


結界糸の張り替え自体は、道具と手順さえ知っていれば人力でできる。金のない工房では、全部自分でやるのだ。テオは廃棄予定の古い結界具から糸を回収し、丸一日かけて西の隅を編み直した。

検査の水晶をかざすと、室内の塵の量は、以前の十分の一以下になっていた。


「……ねえ、前より綺麗になってない? この部屋、私が来てから五年ずっと調子悪かったのに」


「じゃあ五年ぶんの不良、これから取り返しましょう」


焼き直しの試作は、三日で揃った。塵障による不良は、ほぼゼロ。研究室始まって以来の出来だと、ミラが伝票を撫でながら言った。


ただし――肝心の結果のほうは、甘くなかった。


十三案のうち最良の冷却層を積んでも、ミツバチの連続稼働は九十秒。

三十秒の三倍。大進歩で、まったく足りない。


「熱を『逃がす』やり方じゃ、ここが天井か……」



黒板の前でうなっていると、ミラが速足で入ってきた。


「助教どの、続報。公開試験の相手が決まったよ」


「どこの研究室ですか」


「第一講座の若手エース、アルノルト助教。二十代で最先端の単陣を刻んだ天才……で、ここからが本題なんだけど」


ミラは、めずらしく声を落とした。


「彼、うちの出身。――ヴェルナ先生の、元弟子だ」


(第3話へつづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ