14.
会話していた2人の空気が変わった。
何か、見つけたようだ。
「!!あれは___」
「どうした」
「ブラムさん、双眼鏡を」
「ん、これでいいか」
くぎ付けになって岩壁のはるか上を確認したその人は、確信したようだ。
青みがかった長いザイルが1本、風にあおられて垂れていた。
それを頼りに、ゆっくりとではあるけれど誰かが下りてきている。
「こ、これを使え!」
事情を察したブラムさんは、大急ぎで拠点に備えてあった長尺のザイルをオーウェンに手渡す。
双眼鏡を手放した人物___オーウェン青年は、ザイルを受け取ると自分のドローンに装備させ、さらに岩壁に向かって掲げた。
「行くんだ、彼女のところまで」
彼の懸念。それは、このままではリサのザイルの長さが足りないということ。
彼のドローンは使い込まれた見た目だけれどじつは新型。
岩壁の全体像をほぼ正確に把握できる。
先日下山したはずのオーウェンは、何かが引っ掛かり帰るに帰れず、途中で引き返しここまでたどり着いていた。
スローペースながらその道のりも相当、厳しいものであったはず。しかし、意志の力はそれを成し遂げた。
過去の経験から、リサが戻ってこられるとつゆほども予想していないブラムさんは、話し半分に聞いていた様子だったが。
「どうか、持ちこたえて……」
祈るような気持ちだった。
一方、満身創痍なリサは、数十メートル下でそんなことが起きているとは気づいていない。
滑るように岩壁に沿って飛び上がったドローンは淡々と、自らに課された仕事をした。運んだザイルを、垂れ下がったザイルに固く結びつける。
さらに、そのままザイルを保持。ビレイヤー役も行うようだ。
「よくやった……!」「偉いぞ」
ブラムとオーウェン青年は、喜びを表現しながらドローンの働きを讃えた。
「…………」
意識がはっきりしないなか、彼らの声はリサにも届いているのだろうか。
途中、強い横風にあおられて不安定な状況に見舞われたものの、無事に長い長い懸垂下降を終えることができた。
駆け寄ったオーウェンとブラムが、心配そうに彼女の顔をのぞき込む。
「! ウェン? ブラム さん……?」
「そうだよ、僕だ」
「よく……戻ってきたな」
ガンコ者のブラムさんが、涙ぐんでいる。
オーウェンはすかさず、用意していたカップを手渡した。
(……これは、 ゆめ?)
少しの酸味と甘みを感じる。限界の身体が求めていたもの。
ぬるま湯が、乾いたのどを潤してくれる感覚。
さっきからウェンが、リサの左手を取って放そうとしない。
それに、背中あたりをさすられ続けている。
少しでも温めようとしてくれているのか。
___本当はすごく苦手なんだ、こういうのは。
でも、今は……。
どうやら夢じゃなさそうだとリサは思い始めていた。
_____________
3日後、フランス北西部の病院。
病室のベッドにリサの姿があった。
凍傷の治療のためか、白いガーゼで一部を覆われた顔。
そして傷だらけの手足がまだ、痛々しい。
髪が後ろで1本の三つ編みにされ、マーブル模様のゴムでくくられている。
水色のプラスチックの椅子に座り、イネスが側にいる。
数日前から付き添っているようだ。
リサは、シンプルな子犬の絵柄入りマグカップを手にしていた。
温かい紅茶がやわらかい湯気を立てている。
「明日、退院していいって。先生が」
イネスが言う。
「た・だ・し、大事な親指サンと薬指サンは、経過観察だからまだ通院は必要よ」
「みたいだね」
「ちょっと、他人事じゃないよ?ちゃんと治療しなきゃ」
「分かってる」
右手を見る。親指と薬指が膨らみ、赤みを帯びている。
診断では中程度の凍傷。しばらく様子見をして、《《処置》》が決まるという。
心配性のイネスは、最悪のケース___切り落とすことにならないかと想像しているらしい。
実際、感覚は鈍い。
イネスが持ってきてくれたマグカップ、割るところだった。
「また元通り、クライミングできるかな?」
返事はないだろうが、自分の指に囁いてみる。
そっぽを向いているイネスは、呆れて聞こえないフリなのか、疲れてうたた寝を始めたのか。
セルヌに登頂した翌々日、朝刊に記事が掲載された。
ル・ノワイヨ社が独占で発行したものだ。
あわせてWEB上でも情報が駆け巡った。
記者・ジュリアンの働きかけで、すでに記事の文面はほとんど用意され、関係各所への根回しもできていたため、スムーズな運びとなった。
役員たちも、それまでの慎重な姿勢から一変。
後日、新聞社へ足を運んだジュリアンは、彼ら全員から口々に歓待され、果ては抱擁まですることになった。
ヴィクターは、そんな彼についに一言もかけてこず、遠巻きにジロリと恨めしそうな視線を送ってきただけだった。




