15.
登頂可否の検証については、衛星通信による位置送信だけでなく《《写真》》の存在が大きかった。
リサのバックパックから、驚くべきことにデータ入りのマイクロチップが出てきたのだ。
彼女のドローンが撮影した、セルヌ山頂からの風景。そして、やや遠景からとらえられた、山嶺に佇むリサ。
持ち主が意識もうろうとしている間、ドローンは奇跡的に息を吹き返し、《《最期のひと仕事》》をしていたのだった。
そういえば、ドローンの調整を担ってくれた町工場のおやじさんはこうも言っていた。
「アンタはクライマーだ。登ることだけに集中するんだ、いいな」
それだからか、写真の機能自体をリサは知らなかった。
持ち主が生命活動の限界を迎えた時、代わりにすべての機能を投げ打ち、優先してあらゆるサポートを行うようプログラミングされていたらしい。
「……多いよ、サプライズが」
あんなにボロボロだったのに。きっと最後の力を振り絞り、飛んでくれた。
クルリと回転する反動でピトンを投げて寄こす、ちょっと乱雑だけれどユニークな動き。そして、首を傾げたような仕草___。
沢山沢山、助けてくれたね。
リサは視界を霞ませつつ何度も思い返していた。
点滴を受けながら丸2日、眠っていたリサに代わり、ジュリアンとの交渉役になってくれたのはイネスだった。
「ジュリアンさん、私に話を通せばOKだと思ってたみたいで……」
「それでいいんだよ、彼は分かってくれてる」
事前に連絡すべきと言ったのに、セルヌのことを貴方が知らせないでと言ったから。と、イネスは気に食わない顔だった。
その通りだ。ただ、セルヌに入る以前、リサにとって登頂の可能性は半々だったし、あの時はわざわざ連絡しなかった。
「まあ、リサがそう言うならいいけど」
と最後にはまだ半分納得していない顔で言っていた。
自分のために、わざわざ来てくれたうえに、ここまで。
イネスにはほんとうに感謝している。
ジュリアンという記者にはリサもすでに十分な面識があり、好感と信頼があった。
以前と同じく、ジュリアン氏は正式な取材を兼ね、近くに宿を取る形で何度も病院まで足を運んでくれた。
終始、リサを気遣いながら的確な質問を投げかけてくれる。
容姿と同様、紳士で、そして何より人間的だ。
「リサさん、貴方にはこれからも、心の赴くまま山と向き合ってほしい。
僕もまだまだ、頑張りますよ」
と、にこやかに言っていた。
そういえば。散々、迷惑な横槍を入れてくれた《《あの》》トニーからも、一時期は連絡が山ほど来ていたらしい。
とはいえ、案の定スポンサーの話はキレイに立ち消え。
ただ、破損したカメラの代金はきちんと送っておいた。
イネスのアドバイスで残してあった型番をもとに調べたところ、かなりの旧型だったから、お代もそれなり。
本来なら『迷惑料』を取りたいところだけれど、リサは争いごとが嫌いだし、何より時間が惜しい。
これできれいに縁が切れるのなら、安いものと思うことにした。
___________
4カ月後。秋。
リサはいま、各地の山を歩いている。
手にはゴミ回収のための袋。
活動に賛同してくれる有志の人々が同行していることもある。
他にも、登山道の整備___草刈りや倒木の処理、劣化したザイルの回収なども行っている。
さらには、研究機関と連携し、クライマー達の遭難を防ぐ、または救助されやすい仕組みづくり、そして危険箇所の地形の分析も進めている。
集められたごみはリサイクルされ、登山活動の道具などに生まれ変わる。
その利益の一部は、実績はないけれど志や経験のあるクライマーや、不慮の事故に遭い命を落としたクライマー、そしてその家族のため使われる。
これらの活動の物資提供に協力してくれたのは、SNS経由で声を掛けてくれた団体だ。
彼らは登山道具も扱っており、必要な備品を無償提供してくれる。
代わりに、SNSを中心に不定期で広告の役割を担う。
条件の合うスポンサーも見つかった。
リサの希望を汲み取ってくれ、クライマーの実状にも理解のある企業だ。
ここでも橋渡し役をしてくれたイネスは、意外そうだった。
「貴方が、すんなり受け入れるなんてね」
と。少し前のリサには思いもよらなかったことかもしれない。
需要同士かみ合ったことや、タイミングのよさもあるけれど、やはりリサ自身、セルヌ登頂の体験で何かが変わったのだろう。
第一、イネスのような良心的な人に何の返礼もしないままというのは心苦しい。
ウェアを含め壊れたギアの修理や買い直し、そして物資など何かと資金は必要だ。
ウェンとは、欠かさずメッセージを送りあっている。
クライマー同士、近況を語り合う。温かくって有意義な時間。
ウェンには新たな夢もできたらしい。ただ、当面は知識の向上やジムでのトレーニング、そして実力に見合う山岳での活動を優先させるという。
彼は今やかけがえない友人で、恩人でもある。
何ともいえない距離感。
その後、記者のジュリアン氏によって、セルヌ登頂にまつわる詳細な記事がでたことで一番影響があったのは___じつは町工場のおやじさんかもしれない。
高性能なドローンをぜひ作ってほしい!という依頼。
または、共同で技術開発したいという大企業からの連絡が絶えないらしい。
町工場を訪問したリサは、おやじさん史上1番ご機嫌な笑い声を聞くことになった。
あわやお礼を言うのを失念しかけたほどだ。
1つ1つの仕事に真摯に向き合うし、利益優先で手を抜くような人でもない。
しばらくは大変だろうけれど、あの人のことだ。
エンジニアとしては青いが、経理も担当できるという、しっかり者のご子息もいる。きっと笑い飛ばしてうまくやっていく。
セルヌに登って変わったことの1つ。それは、人や自然に感謝するということ。
リサは、ずっと1人でいたつもりだった。
練習に明け暮れ、ケガや遭難の恐怖と戦い、孤独に岩壁を登る。
でも……じつは沢山の人々の善意に支えられている。
そして、麓にいては見られない自然から、多くの恩恵と感動を貰っている。
身をもって知らされた。
思い返すとリサはあの時、希み破れた139人の想いとともに登っていた。
それだけじゃない。
イネス、ジュリアンさん。
ドローンに町工場のおやじさん。
そしてウェンやブラムさん。
彼らもともにチームとしていてくれたようなものだ。
総勢7名で、『最高のタッグ』を組んでいた。
セルヌは、リサからほとんど奪わず大切な人たちのもとに還してくれた。
(ただし、山はただそこにあるだけ、という考え方もあるらしい)
治療のおかげで痛みは和らいでも、身体じゅう至る所に負った傷跡は消えない。
けれど、リサは気にしていなかった。
セルヌ登頂という体験を通して積まれた数々の記憶や経験は、生きている限り残る。
ジュリアン氏によって編まれた数々の記事は、世界中の人々が目にできる。
そうしてリサという一人のクライマーの人柄や想い、そして実績は広く知られ、時代を超えて人々を感動させ、記憶に残り続ける。
得られたものと比べたら、些細なことだった。
どんなに小さなことにも、意味がある、感動がある。
リサは今日も、すべてに感謝しながら雄大な山嶺を歩いていく。
凍傷を患ったリサの右手の親指と薬指は、何とか温存されることになった。
ただ、以前のように岩に取り付いても、感触をはっきりとは感じられない。
しかもひとたび凍傷を経験すると、また陥りやすいという。
リサは知らなかった。
クライマーとしての生命は短い。
いつかまた、頂を見たいと切望する山と出会うだろう。
でも、すぐのことではない。
イネスには長期に渡り心労をかけてしまったのに、温かく辛抱強く多方面でサポートしてくれた。
そして、一時はクライミングに大きな恐れを抱いた自分を曲げてまで、命をつなぐ支えになってくれた、ウェン。
彼らにも、時間が必要。
少なくともしばらくは無茶をしないという決断になった。
どちらに聞いても気にしないでいいよ、って言ってくれそうだけれど。
____________
快晴。
今日のセルヌは、ひときわ輝いている。
棲息する鹿たちは珍しく群れ、しきりに草を食む。
離乳したての可愛らしい小鹿の姿もある。
立派な角をした体格のいい一頭が、少し離れた位置から見守っていた。
ふいに首を反らし、大きな澄んだ瞳でセルヌの頂を見上げる。
彼女の相棒をつとめあげたドローンは、セルヌの山頂でリサが奇跡的に再び目を開けた時には、消えていた。
もし、視界に入っていたら。
過分なハンデ、遭難の原因になるとしてもリサは一緒に戻ろうとしただろう。
セルヌの山頂より少し下った岩場の影。
すべての役目を終え、二度と動かないドローンが広大で美しい原風景のなか佇んでいる___。




