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静寂の彼方へ  作者: 宙子
11/15

11.


 …………。


 まだここにいるのが、奇跡みたいだ。


 チョークの粉をはたき直し、リサは再び登り始めた。





 そうして4度は襲い来る雪崩に耐えただろうか。


 リサの手が、ついに最上部の氷を掴み、ほとんど無意識に身体を引っ張りあげた。

 

 

 辺りは闇。

 嵐のような風が吹き付けている。


(何も みえな い……)


(少しだけ、眠りた……)



 心身の限界をむかえたリサの意識は遠のいていく___。



 ___________


 登頂18日目 ?時。



「せっかくのお茶が冷めてしまうよ、リサ」


 ……誰かがそばにいる気配で、リサは目を開けた。

 ただ、すぐには起きあがれない。



 辺りは明るい。

 しばらくして、ゆっくりと起き上がった。



「これは……」


 雪の壁に囲まれたスペースに設営された、テントの中だった。

 とはいえ、外と気温は大して変わらない。



 ドローンが、どこにもいない。

 テントを出て探すと、ほど近くに見つけた。でも、ピクリとも動かない。


 持ち上げようとすると、『シュ!』という音とともに火花が散った。


「わ……!」


 リサは驚き、身じろいだ。


 

 体力低下が著しいときの緊急措置を搭載している、とか。

 町工場のおやじさんがちょっと得意げに言っていたのを思い出した。



 よく見回してみても、あたりには誰もいない。

 さっき聞いたのはイネスの声だったと思う。


 リサは火をおこし、冷え切った水を温めて飲んだ。

 1つ1つの動作が、やけに負担に感じられる。


 

 口にしたとたん、ゲホゴホ!とむせかえる。 

 ___さらに、必要な量の倍は飲んでしまっている。


 もはや正常な判断ができていない。

 焦りからか時刻も確認せず、強い空腹感のある状態で、外へ。


 ! !!


 氷河、だった。降り積もった雪と硬い氷でできた地表が続いている。

 足元の氷には大人の身長を超えるほどの高低差があり、落ちれば方向を見失う。


 勘を頼りに歩き始めるリサ。ところが___。



 ドック ン !


 突然、胸が大きく波打った。

 グラリとよろめく。全身で息をしながら、何とか倒れこまないよう身体を支えた。


 浅い呼吸を繰り返しても、酸素を上手く送れている感じがしない。



 吹きすさぶ風に、土砂や雪が混じりだす。

 瞬く間に、辺り一帯がけぶった。


 視界を奪われながらも、リサは歩を進めようとし……すぐに動けなくなった。

 そこに見えない壁でもあるかのように。



 ド クン ……!!


 強い心臓の鼓動。今度は、視界がモノクロに変化した。

 頭を殴られたようなひどい頭痛も襲ってくる。



「ハッ……ァ」


 しばらく頭を上げられない状態のリサだったが、何かに気が付いた。

 視界の数メートル先、急傾斜の氷の上を得体のしれない何かが横切ってゆく。


 人か、獣か。


 恐怖か、驚きか。

 

 思わず叫んだリサの声は、すぐに豪風に紛れた。

 貴重な体力を無駄に消耗するだけだ。



 数メートルを10分もかけ這うように歩いてゆくと、視界は徐々に、元の様相を取り戻した。


 本能的に、か選んだルートが幸いした。

 氷柱の深い隙間に落ちることなく、着実に進むことができる。


 ___遠回りにはなるけれど。




 手足が、重たい。

 それでも足を前へ、前へと進める。


 降り積もる雪が、足跡をすぐにかき消してゆく。



 荒い息をつきながら見上げると、かすむ視界に入る。

 セルヌの頂が、これまでで最も近い。


( なんて きれい 、 なんだ ろ …… )


 見たことのない寒色にうっすら輝くアイスフォール。

 そして、ゴツゴツとした岩肌の対比。



 高度、7530m超の環境。

 セルヌにはクライマーを虜にする美しさと、人を寄せ付けない残酷なまでの厳しい自然が共存していた。


 彼女はもう自覚できていないが、思考力・判断力、そして身体能力の大半を削り取られた状態だ。30%か、それ以下の可能性も。



 すでに極限の彼女の前には、再び切り立つ岩壁が待ち受ける。


 高さおよそ18メートル。ほぼ垂直。

 空洞になっていてその内部を登るため、風の影響は抑えられそうだ。


 ただ、これが正しいルートという保証はない。



 思考のスピードが遅いためか、それとも焦りか、リサは補給もせず岩壁に取り付き、登り始める。そして、すぐに滑り落ちた。



「ああああっ!」


 いら立ちをあらわにし、乱れた呼吸のままですぐに岩壁に取り付く。


 今度は数メートル登ったところでピトンを取り出し、アイスフォールに固定することができた。

 そこからさらに大きな動作を繰り返し、そのたびに荒い呼吸をつきつつ、登っていく。


 本能的に察知しているのかもしれない。

 自分に残されたものがいかに少ないのかを。



 ドローンの様子が随分おかしい。

 あとをついてくる速度がとてもスローだ。

 軋むような音がしており、ランプが点灯しない。


 持ち主の健康状態を測り、危険を報せる機能はすでに失われたようだ。

 いつもと違うことが、焦りに拍車をかけていた。



「しっかり して」


 時折、呼びかけるリサ。気がかりなのだろう。



 そこで、空腹の代償がついに身体を蝕みはじめた。

 手足に力が入らず、またも滑落。


 だいぶ登っていたところでの滑落は、メンタルも大幅に削る。


 心臓の鼓動が、手足が、痛い。



 ピトンの位置まで戻されたリサは、ようやくすべきことを思い出したようだ。

 バックパックをガサガサと音を立てて探り、エネルギーバーを手にする。


 「あっ……」


 指に力が入らず、中身の大半を銀紙ごと取り落としてしまった。

 空を舞い、虚しく消えていく。


 わずかに残ったひと口分の欠片を口へと運ぶ。

 何味か、わからない。ただ、身体を動かすカロリーとして。


 保温瓶のお湯だけが救い。

 流し込むと___再びアイスフォールにアックスを、そして足をかけていく。




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