10.
今は久しぶりに、風もなく晴れている。
石造の大きな橋を渡る途中、前方を見ていてリサは気がついた。
驚いたことに、岩壁に拠点が作られている。
丸太を支柱にしていて、扉もある。
しかも、何者かが滞在しているようだ。
「お前さん……その恰好。クライマーだな」
水場があったので補給をしつつ、入り口あたりにいるとおもむろに声を掛けられた。
50代くらいで、丸眼鏡をした体格のいい男だ。
話を聞いたところ、名前はブラムというらしい。
顔には深く古い傷跡がある。おそらく、身体にも。
定期的にやってきて、ルート整備や遭難者の救助をしているそうだ。
ここまでくるだけでもかなりの労力を要するのに。
もしかして、彼しか知らないルートでもあるのだろうか。
ブラムさんは親切にも、滞在を許可してくれた。
さらに、物資も持って行っていいという。
「俺は、狩りができる。食料には困らん。
いるものは何でも持っていけ。
しかし……登頂アタックするヤツはもう来ないと思っていたが」
「見てみたいんです。セルヌの頂を」
「ふん……だが、ここまでくる途中で現実は見たはずだ。
ここから上はさらに想像を絶する世界だぞ。それでも、というのか」
「はい。……あの、ブラムさんは登らないんですか?」
「ん?はっはは。この老体にそんな無茶はきかん。年寄りをそそのかすな」
リサは、数日ぶりに温かい食事でお腹を満たすことができた。
沈黙しても気まずくならない。むしろ気分がいい。
似たところがあるような感じがする。
ブラムさんは拠点にある日誌や、遭難者のバックパックがある場所のことを教えてくれた。
それは、引き返せという無言の圧だったのかもしれない。
「……こんなに」
6メートルほどはあろうかという細長い空間には、側面の明り取りの穴から差し込む光に照らされたバックパックが所狭しと並べてあった。40……いや、50以上はあるだろう。
手紙に、写真立てもある。踏まないように歩いた。
日誌はブラムさんによる記録らしい。
〇月△日、強風・曇り
性別不詳の若い登山者が、拠点には見向きもせず、颯爽と通り過ぎた。
……翌日、突き出た岩の上で動かないのを望遠鏡に捉えた。おそらくは一瞬の出来事だったろう。気の毒に。
✕月△日、晴れ
今度は男性の4人連れ。
この拠点で目に余るほどの物資を補給し、ある者は生気を無くして黙り込み、またある者は歌い、やけに騒ぎたてていた。
……しかし、雪崩に巻き込まれた。
途中で岩に引っ掛かったが、ザイルで身体同士つないでいたのも仇になり、共倒れだ。
大怪我で動けず、数日は息があるようで時折、うめき声をあげていた。
もどかしい、俺は何もしてやれない。
最期は……おそらく覚悟を決めた者から順にザイルを切ったものと思われる。
翌日。さらに大きな雪崩。
谷底に滑り落ちたのか、雪が覆い隠したか。もう、どこにも姿はない。
〇月◇日、曇り
名のあるプロのクライマーのようだ。
装備も補給も十分。ガイド兼荷運び役を2人付けている。
成功するまでアタックを繰り返すと宣言した。
1度目の挑戦。荷運び役の1人がアイスクラックにのまれ命を落としたらしい。
2度目。仲たがいをしたのかもう1人も引き返し、1人で行くと言う。止めたが聞かない。
3日後。
岩壁の2分の1も登れず、精魂尽きて戻ってきた。
ついに『引き返す』と言う。懸垂下降していくのを見送った。
いくらか下の途中地点まで懸垂下降していくところまで見送った。
彼が呼んだんだろう。迎えのヘリがすでに側に来て、横付けしていた。
また、次の目標を目指すのだろうか……?
「………………」
洞穴に敷いた寝袋の上でリサは目を閉じ、考えを巡らせる。
……登らないという選択肢は、やはりなかった。
____________
17日目 3時10分
夜明け前に、出発。
携帯機器の予報では、《《明後日までは晴れる》》という。
アイスウォールに取り付き、登ってゆく。
バックパックにつけたライトの青白い灯りが照らしてくれる。
すぐに明るくなってくる。
ピトンを氷に滑り込ませ、ビレイを解除した状態でルートを確認した。
全長、かなりの高さ。30メートル近くはある。
先日登ったドリルのような氷柱も、大小無数に突き出ている。
さらに見た目より、かなりもろいらしい。
滑落を避け、慎重に足場を選んでいく必要がある。
「おぅい」
下から呼びかけられた。ブラムさんだ。
こちらへ向かって手を振っている。
頑張れ、気を付けろよと励ましているようだ。
リサも手を振り返し、再び登り始める。
……想像よりはるかに、キツい。
岩肌は滑りやすく、ピトンが食い込まない場所も多い。
たいして登っていないのに何度も滑落し、身体を岩に打ち付けた箇所がズキズキと痛む。
スレスレの落石もあった。拳大の岩の塊が、いきなりヒュンと落ちてくる。
あと数センチずれていたら、ヘルメットで頭を護っていなかったらと思うとゾッとした。
ヘルメットはオートで作動するシステムで、ここまでも何度か救われている。
平常時は透明でほぼ重さもない。しかし、落石を感知すると体積を増して極力、衝撃を緩和してくれる。
が、システムに異常をきたしたらそこまで。この先どこまで守ってくれるかは分からない。
気づくと手も……ほぼすべての指の皮が破れ、傷からにじむ血で染まっている。
(テーピング しない と)
乾ききったのどを薬湯で潤す。まだ温かい。ホッと息をつく。
「大丈夫、怖くない、 難しくない」
リサは自分に言い聞かせてから、再開した。
手足の感覚が鈍い。音と感触をよく確かめなければ。
_____________
半分ほどの高度まで到達しただろうか。
辺りには暗闇の気配が迫り、風もかなり強くなっている。
ここまで一気に高度を増してきたことが、環境の厳しさと身体への影響を加速させている。リサは、かなり焦っていた。
ズズ…………ン
「! !!」
突然、振動を感じた。
恐れていたことが起きた___雪崩だ。
「やめてよ……」
岩肌にぴったりと取りつき、動きを停止したリサ。
そのすぐ背中側を、ザザーーーーッと雪混じりの土砂が滑り落ちていく。
十数秒、祈る思いで耐える。
……何とかおさまってくれたみたいだ。
けれど、次いつ崩れるか分からない。
「急ごう……!」
決意したらしいリサは、足の位置を高めの岩の隙間にかけ、伸びあがる力でギリギリ届く氷の塊にアックスを打ち込んだ。
1秒でも惜しい。早く上へ。
必死なリサを翻弄するように、また雪崩が起こる。
しかもさっきより振動が大きい。
細かい土砂とともに、岩や雪の塊がものすごい重力を叩きつけてくる。
まるで、すべてを振り落とそうとするかのようだ。
手足が1つたりとも外れないよう、リサは今ある力をふり絞る。
少しでも面白いと思って頂けたら、ぜひブックマークお願いします。
⇩にある『☆』タップで評価をもらうと励みになります。




