9.
改めてドリルを見上げていたら、首が痛くなりそうだ。
例の、硬すぎてピトン不可の岩だけじゃない。見たことのない色の岩も混じっている。
どう登れば……。
まずは観察。ルート計画をこれまで以上にしっかりと立てなくては。
最初に登り始めた地点は、残念なことに足がかりがなくなり、進めなくなった。
急に叩きつけるように吹いてくる氷のような風に耐え、登ったというのに。
滑落を繰り返したことで、気持ちにも影響が出ている。
さらに、日も陰ってきた。
これ以上、消耗できないと判断したリカは、やむなくルートを変更。
奇跡的に、岩の色の変わり目にピトンが滑り込んでくれたのが大きかった。
気を抜くと横風にさらわれそうな足場。
けれど、中間地点まではきたんじゃないだろうか。
注意深く回り込むと、野草も得ることができた。
空洞に放置されたバックパックからは砂糖と薬剤。
……ノートに書きつけられたメッセージも。
彼が大切な人のためここまできて、苦労の末に手にしたという不思議な光を放つ花は、どこにも見当たらなかった。
あとからここへ来た誰かが持ち去ったのか、それとも……?
きっととても綺麗だっただろう。
もう少し___もう少しだ。
相変わらず吹き付ける強風にかじかむ手足を騙しながら、じりじりと確実にあがってゆく。
前もって防寒着を着込んでいなければ、もたなかっただろう。
滑落を繰り返し、最上部に手をかけることができたのは、翌日の昼前だった。
___まる1日以上、この難所で過ごしたことになる。
ほとんどすべての体力、気力を消耗したとリサ自身が感じる。
加熱したはずの水分は、保温瓶のものまで冷めている。
それでものどを潤さないと、この先行けそうにない。
つり橋は思っていたよりも細い。
が、渡るには問題なさそうだ。
眼下はかすみ、ほとんど何も見えない。
ビバークできる場所があると踏んでいたけれど、どうやら違う。
少なくともあと、ひと登りは必要だ。
眠りたい、休みたいという身体の悲鳴に耳を貸さず、リサは岩場に取り付いた。
もう、どの岩壁もあなどれない。
どこで躓くか。登ってみないことには。
想像通り、せり出した岩に阻まれ、苦戦を強いられた。
すっかり日の暮れた時刻、次の休憩箇所を見つけた。
(さすがに、休もう)
久しぶりに温めた水を口にし、ふと脳裏に浮かんだのはあの男、トニーのこと。
この数日、シンとしている。
ついには140人目になってしまったとでも思われたのかもしれない。
確か、最後によこした通信ではスポンサーが降りそうだがこれ以上どうにもできない、とかアンタはどうか頑張ってくれ、と珍しく普通のコメントに終始していた。
ここまでこられた。
私はセルヌに近づいている。
限界を超えて冷たくなっていた身体に、少しずつ温度が戻ってくる。
最低限の補給を終え、寝袋に入るとリサは眠りこけた。
_____________
登頂16日目、晴れ。
起きてすぐ、体力が戻っていると感じた。
明るくなると同時に外へ出て、新しいステージが待ち受けていると確認したから、気分もだいぶいい。
右へそれた岩場の上に野草を確認。あれは、取っていこう。
これまでで最も軽くなったバックパック。
物資が、相当不足していて不安だ。
ハンディ端末が高度7300を超えたと報せてくれた。
この辺りから、青白くやや透き通った巨大なつらら状の氷に覆われた足場が出現している。表面はツルリとしていて、クラック状のひび割れや隆起もある。
アイスアックス、そして足にはかぎ爪つきのアイゼンが必須だ。
装備をしっかりと取りつけ、感触や音を確かめながら登り始める。
カン、と高い音がしてグラつく感触だとアイスアックスのささりが甘い。
音を聞き分けようと、リサは神経を集中させた。
幸運にも、氷を登るのはそれほど難しくない。とリサは感じた。
これまでの練習の成果もあるが、この氷は手足がかかりやすい。嬉しい誤算___。
必死で難所を超えてきたことが、スキル向上に影響しているかもしれない。
数メートルの氷と岩の壁を登り終え、横風のなかを歩いて移動していたら、イネスから、通信が入った。
『リサ、出発してもう2週間以上になるね。ちゃんと、食べてる?
ゴホ……私、昨日も一昨日も、眠れなくって。
思ってしまったの。どうして貴方はセルヌみたいな山に登るんだろうって。
もっとちゃんと話しておくんだった。
とにかくいま、すごく貴方の声が聞きたい』
イネスの声がかすれ、震えている。
可哀想に、風邪をひいたのかもしれない。
私のせいで心配かけて、申し訳ないと思う。
「……ごめん、ごめんね。帰れないんだ、まだ」
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