37──僕の裁判前夜
過ぎた可算時間を数えることで、辛うじて人としての機能を残している。
裁判は四日後の夜。
キャニーは室温よりも四度低い床に大の字になっている。
生きるも死ぬもどちらも選ぶことすらできずに、何も食わずにいたのに、なぜか死んでいない。意識のない間に、点滴を打たれていたからだ。筋肉は日に日に減っている。
ここから出たらハックを復活させる方法を探すのか。
そもそもこの場所から出るのか。
気絶していても続く呼吸のように、キャニーの人生も自動化された一連の現象の流れであったなら──いや、この思考すらそのような現象でしかないのか。神様のインタフェースの向こうを見たせいで、今の自分が無機物なのか有機物なのか、定かではない。その二つに本質的な違いはない。
今のキャニーにとって、全員殺してここから出ることは、悪ではないはずだ。だが、それをすると、過去の自分との連続性が途切れることになる。過去の自分との連続性を保つには、キャニーの背負った罪は重い。
たとえ世界の記憶を消すとしても、キャニー一人だけは無かったことにできないが、一生背負っていくには人間には重すぎる。前にパラケルススという医者が忠告していたのはこのことかもしれない。神を名乗る教団の教祖が狂っていたのもこのせいかもしれない。
鉄格子の向こうにソフィヤ・ライムントが立っている。
「やぁ、ごきげんよう。ちゃんと生きているね。キャニー学生」
「僕はもう学生じゃない」
ソフィヤはいつもソフィヤ自身から見た関係性を呼び方で表す。
「軽口叩く余裕もあるようでよかったですねぇ。その余裕を親御さんにも分けてさしあげたらよろしい。さて、私がなぜここに来たか、なぜ君が最小限の警備を突破するだけで魔法陣まで行けたか分かるかね? 今日はその辺の話をしたくてね」
「魔法陣?」
聴き逃がせない情報が出て、僕は言葉を発する。そうだこいつは、神様のインタフェースについて知っていた。僕の知らない情報を持っているかもしれない。
「流石に興味あるみたいだな。そうだよお。君が神様のインタフェースにアクセスできるように、警備を最低限に調整し、魔法陣の場所そのものに警備を置かないようにそれとなくしたのは、何を隠そう私なのだね」
とすると、あのときこいつと話したときに、神様のインタフェースについて情報を出されたとき、もうすでに僕を捕まえる計画はスタートしていた。恐怖を感じる。僕の行動がコントロールされている。
「ああ、いいねその反応。君は神様のインタフェースの向こうで何を見たのかな。この世界の神秘の向こう側、魔術の深奥、もしかすると、死者に会ったりも、したんだろうね」
「なぜそれを!」
なぜ、こいつはウィザードでもなんでもない、ただの遺跡の研究者のはずだ。仮にウィザードの遺跡から新たな発見があったところで、そこまでたどり着けるはずがない。向こう側の情報は僕も実際に入るまでは分からなかったんだ。
「あっはっは。分かりやすいね君は──それって、ハックって人かな、ゴト・リッチー氏かな」
ハックの名前をなぜ知っている。オペラたちも忘れていたのに。それ以前に、こいつに一度もその名前は伝えていない。
「ああ、これは驚いた……両方かぁ」
「知ってるのか! なぁ、お前何を知ってるんだ!」
「となると、その人は予想もできない見た目をしてたんじゃないかなあ。今に伝わる肖像画とは真逆……、女の子の見た目とか」
鉄格子に駆け飛んで、あいつの体を掴もうとする。けれど、踏ん張った一歩目で体がよろめいて、意識が遠のく。──だめだ、体力が。
「ちゃんと飯食えよ。んじゃ、また会いましょう」
ソフィヤが立ち去る。
次に意識が戻ったのは、十六時間後のことだった。
意識が戻ると、次に鉄格子の向こうに立っていたのは、エメリーだった。
「大丈夫ですかキャニーさん。これ、食べられますか」
一箇所横向きに開いている隙間から、トレイにのったスープが差し入れられる。
こぼさないように、震える手をどうにか押さえつけながら、ゆっくりと口に運んだ。体力を取り戻さなければ、ソフィヤを問い詰めて、情報を得ることはできない。牢屋の鍵など苦もなく開けられるというのに、一歩進むだけが大仕事じゃどうにもならない。
「その、落ち着いて聞いてください。ソフィヤ先生から何か言われたと思うんですが、先生は何も知らないと思います。だから無理やり出ていったりしないでくださいね」
「なに? そんな、はずは」
唇がピリッと痛い。話すことも満足にできないのか。
「カマかけです。あの人、異様に勘が鋭いですから。人の反応を見ながら、あたかも全部分かってる風に情報を引き出すのが得意なんですよ。だから、極秘の調査とか絶対あの人に抜きにできないんです」
エメリーは床に座り込んで、まるでこれまでのことがなかったみたいに、前にみたいな調子で話している。なぜ君は平気でいられるのだろうかと、心の中で思った。
「ソフィヤ先生は何も知らないはずです。オペラちゃんから、あなたがハックと神様のインタフェースというものを目指しているというのを聞いて、それとウィザードの遺跡を紐づけて推測していただけなんです。一応、孤児院の本院の地下にある遺跡と、サイトルムの遺跡で見つかった小部屋で多少の情報はありましたけど、本質的な情報は何もなかったんです」
まさか、それだけの情報で? 師匠は化物か。だとしたら、僕は間抜けなことに情報を渡してしまったというのか。
「やっぱりキャニーさんは、神様のインタフェースの向こう側に行ったんですね」
僕は返答しない。神様のインタフェースの情報をどこまで出していいのか、ありのままを話しても信じてもらえないんじゃないか、あんなもの知らないほうが良いんじゃないか。
「何も話さなくても良いですよ。キャニーさん辛そうですもん。知っているかもしれませんが、第二のウィザード、グレース・エイホ氏は、ゴト・リッチー氏が死んですぐ、人間の魂の存在を死後の世界の実在を証明しようとしたそうです。伝承では、結局死後の世界は見つからなくて、天寿を全うするよりも先にエイホ氏は自ら命を絶ってしまいます。それが神様のインタフェースと関係しているかは分かりませんが、何かを埋めるために人知の届かない場所へ手を伸ばすのは、とても虚しいことなのかもしれません」
僕にとってグレース・エイホ氏は、例のハズレの遺跡を作ったウィザードというイメージしかない。ああいや、カテドラルの魔法陣もそうか。伝承の通りなら、エイホ氏はリッチー氏に会わずに死んだんだろうか。それとも、ウィザードとして神様のインタフェースの向こう側で、会えたのだろうか。
「ありがとう」
ほとんど具の溶けきったスープを飲み干して、トレイを返す。
「礼には及びません。給食室からもらってきて運んだだけですから。それではキャニーさん、また会いましょう」
体の中のエネルギーが代謝に回されていく。久しぶりに口にものをしたからか、生きるために意識が遠のいていく。
次に来たのは、オペラだった。
僕は何も言うことがなく。
無言でもってオペラを追い返した。
オキシが来た。
「私を置いていったこと、今でも許してないです」
それはそうだ、僕はこいつも裏切った。この場で殴りかかられても文句は言えない。
「でも、アイちゃんを最後まで看取ってくれたこと、きちんと供養してくれたことは感謝しています」
「は?」
「あなたがいなければ、アイちゃんの魂は未だにあの教祖に弄ばれていたでしょう」
それで終わりか。僕がアイロンを殺して、その後始末も僕がやった。その糸口を見つけるためにお前を利用して、足手まといになったから捨てた。なぜ元凶の僕が感謝されないといけない。
僕が殺した。
「アイちゃんを殺したのはあなたです。だけど、私が憎んでいるのはその原因を作った教祖で、それを止められなかった自分自身です」
「僕も憎めばいい」
「いいえ、憎みません」
僕が置いていったオキシはこんなに強い人間だったか。
「僕がアイロンを殺した。何回も殺した。二度と帰らないようにした」
「それについては、償ってください……と言いたいですが、償う相手がいないですから。アイちゃんを忘れないように、ときどきお墓参りに来てくれればいいです。次の裁判でも罪には問われないはずです。アイちゃんは教団側の倒されるべき側だったとして処理されるみたいです」
「お前、もうアイロンのことはいいのか。どうして冷静なんだ。家族のようなものだったんだろう」
「悲しいに決まってますよ。でもそれだけじゃもっと悲しいじゃないですか。アイちゃんだって、私が不幸になるのを望んでいるはず、ないじゃないですか」
どうして、そんなに強いんだ。そんなに割り切れるんだ。ハックはもう間に合わないかもしれないけど。
「アイロンの蘇生が可能かもしれないと言ったら」
ああ、何か怒らせたみたいだ。
「あなたまで命を冒涜するんですか。人間を物みたいにリサイクルするんですか。そんなことしたら私はあなたを殺します」
その目は彼女の内側に残っていたあの復讐の目だった。消えてないんじゃ、ないか。
「まだ悲しいんだろ。なんでそんなに強いんだ。アイロンが必要じゃないのか」
「必要とか不要とかじゃないですよ。それに今は私を支えてくれる人もいますし」
左の薬指にリングを見せてくる。
「人間なんですから、別れのときも来ます。いなくなったら悲しいです。いなくなっても大切な人は大切な人です。でも、それだけじゃダメなんです。それだけじゃ、アイちゃんに胸張れないですから」
自慢するようにリングに口づけをして、また見せびらかすように手を振って去っていった。
僕の罪を裁く人はいないのだろうか。裁かれないままの罪を背負って、このまま生きていくしかないのだろうか。
コンが来た。
僕なんかのためにわざわざ孤児院からやってきたらしい。相変わらず似合わない神父姿をしていて、教団の壊滅と孤児院の復興について礼を述べてきた。今はなんとか、孤児院が立ち回るようになったらしい。色々大変だったけど、今の生活に満足しているから、僕にも感謝しているらしい。
それは僕のおかげじゃない。くだらない。もっと僕を責めたらいい。
「借りを返すというわけではないですが。今回の裁判では、教団の生き残りとして、教団が壊滅させられるに妥当だったこと、無関係の孤児やスタッフが巻き込まれていないことを証言するつもりです。あなたは英雄ですよ」
「あれは僕の復讐で」
「そうは言っても、もう公式には騎士団の秘密任務として処理する算段のようですよ。いいじゃないですか、復讐でも英雄の武勲でも。もらえるものはもらっておくことです」
そうじゃないんだ。そうじゃないんだよ。
誰も僕のことを分かってくれない。
ゆっくり話ができるのは裁判前のこのタイミングしかないとばかりに、次々と人が来る。その誰もが適当なことを言って、分かったふうなことを言っていく。
カオンが来た。通りすがった村で泊めてくれた人だ。
「街道の盗賊を殲滅してくれて助かりました。あなたが来てくれなければ、物資が届かず、遠からず餓死するところだったのです」
「相変わらず星の観察はしているのか」
「覚えていてくれたんですね。ええ、もちろんです。確かに新しい発見はまだないですが……そうだ、今度の記念祭で星の記録を発表することになったんです。こんなことになるなんて思ってもみませんでした。これもキャニーさんのおかげです。キャニーさんのことがなければ、こうして都会に来ることもそこで学者先生と話す機会もなかったんですから」
ああ、違う。神様のインタフェースの先を見たから分かる。あの記録は意味がないんだ。今はまだ何もないことが確認できていないから、研究資料として価値があるだけで、あの空は本当に、ずっと同じ星の巡りを繰り返しているだけなんだ。あの星の向こうには何もないし、ただの書割の背景にすぎないんだよ。
そんな残酷なことは言えない。
「こんなことがお礼になるか分からないですが、できるだけキャニーさんの処遇が良くなるように証言しますよ」
そんなのは僕じゃないんだ。
乱暴な足音が聞こえる。
コランだ。
コランが問答無用で何かを投擲してくるから、咄嗟に魔術で破壊した。最短最小の呪文で破壊した。
「なによ。やっぱり生きたがってんじゃない」
挨拶も何もかもぶっとばして、ツインテールが揺れる。
「これ以上オペラちゃんを悲しませるなら殺すわよ……違うわね。絶対に悲しませるな。死んで逃げるな」
「僕に何ができるっていうんだ」
こいつなら僕を裁けるだろうか。
「知らないわよ。それはキャニーが考えることでしょ! 自分の責任を、自分の人生を人任せにするな! やるべきことをやれ! ふんっ」
「ちょっと待てよ」
あんまりにもあんまりだ。言いたいことだけ言って行くなんて。
「コランは僕が死んだ方がいいと思うか」
「それって、人に決めてもらわないと、生きることすらできないってこと? 自分の頭で考えるのよ。オペラちゃんのためにもね。みんな優しくお話してくれるからって、何か勘違いしてるんじゃないの」
そうだ、僕はクズだ。優しくされるような資格はない。
「はぁ、なんでオペラちゃんと話さないの」
「それは」
「あぁ?!」
鉄格子が蹴飛ばされ、金属音が鳴り響く。
「言い訳するな! 理由聞いてんじゃないの。逃げるなって言ってんの。乳離れしたばっかのガキじゃないんだから!」
コランは舌打ちしながら、怒りを鳴らしながら出ていく。
ガキか……そうか。
でも、ダメなんだ。
僕に何も求めないでくれ。僕は何もしたくないんだ。これ以上何かしたら、またこの世界が偽物に思えてくるんだ。
ああ、くそ。どうしようもないな。
何が考えるだ。この世界に自由意志などないくせに。所詮決められたプログラムでしかないんだよ。
最後はジャンゴが来た。
「体調は戻ったかい。キャニー」
当たり前だが人形は連れていない。
「なぁキャニー、あの力はどうやって手に入れたんだ? どんな術式を使っている? 最後に出した斬撃はどういう理屈でできているんだ?」
前のめりになって聞いてくる。
「やめたほうがいい」
「教えたくないじゃなくて、やめたほうがいいなのか」
「僕の魔術知識は持たない方が幸せになれる」
「どうしてだ? 知識はあるにこしたことないだろ。視野も広がるしできることも増えるじゃないか」
「知らない方がいいこともある。この世界が偽物の薄っぺらに見えるんだ。世界の真実なんて、人間の身に余る」
「そうか、となると本当に神様のインタフェースの向こうには、世界を構成するコードがあるんだな」
「だからやめておけ」
「もしかして、人間のコードがあるからか?」
どいつもこいつも、なぜそんな結論に飛べるんだ。
「そうだ。この世界は茶番だ」
「そうか? そんなことはないと思うが」
あの超常的な体験をしていないからそんなことが言えるんだ。現実の視界と裏側の規則性の重なる視野を持ってないからそんなこと言えるんだ。
「じゃあ、そうだな。その知識と技術を何に使ったりしないのかい? 聞いたところによると、君のやってきたことは騎士団としての功績になるそうじゃないか。順当にいけば、良い役職なれるんじゃないか?」
役職だって、そんなもの何の意味がある。空虚だ。
「あっそ。僕だったらこんなチャンスほっとかないけどね。君は出世欲とか名誉欲とかないのかな」
「くだらない」
「そんなことないと思うけど。でもそうだな、じゃあ君は何に意味を感じるのかな」
「そんなものなくしたよ」
やっぱり死のうか、この世界に留まっている理由がよく考えるとない。それか、また神様のインタフェースの向こうに行こうか。それで何ができるか分からないけど、こうして人がひっきりなしに来る状況よりは、静かで良い。いや、向こうでもうるさいのがいたな。それすら放っておいて、ただ無い場所へ行こうか。誰にも迷惑をかけない場所へ。生きたり死んだりするよりも怖くない。
「ああそうかい。だけど、もうしばらく君には生きててもらわないと困るね。僕は君に二回も殺されかけてんだ。借りを返してもらわないと。だから、君が見てきた知識を教えてくれよ。後ででいいからさ」
「それはできない」
「もったいないやつだな。ま気が変わったら取り立てに行くよ。僕はまたしばらくこの国に滞在するから」
ジャンゴが出ていく。
また、冷たい床に横たわって、目を閉じた。




