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道化の操り糸


   道化の操り糸


「なに? 教女アンジェラが戻らぬと?」

 ランバトルは手を止めた。手練の技で磨き上げた教会はすでに塵ひとつ落ちていない。古さは隠しようないものの、丁寧に清められた床も壁も、見間違えんばかりである。ステンドガラスもいちだんと磨き上げられ、家具も手入れされている。どこもかしこも美々しい。この男が通ったあとは、オードゥグ教の敵は殲滅され、教会には塵ひとつない。

 ランバトルは重々しく告げた。

「あいわかった。乾拭きと後片付けも某がしよう」

「そういう問題ではございません」

 年配の支部を任されている教団員は少しばかり困った顔をした。

「朝から街の復興のお手伝いをしておりましたが、食事を配ったあと、あの子の姿が見えません。こちらにお邪魔していないかと思いまして」

「む? 某は朝から掃除をしておるが、今日は見ておらぬぞ。なるほど、教団員の姿を見ないと思っておったら、復興の手伝いをしておったのだな。救いを求める者に手を差し伸べるのも、神に仕えるものの役目であるな」

 ランバトルの頭の中には、その被害を与えた張本人であるという自覚は欠片ほどもない。きれいさっぱり忘れ去られている。

 目的のための被害は最初から眼中にない。

「聞けば町中の被害は酷いものだそうではないか。顔見知りもいるのであろう。なにかの手伝いをしているのではないか? 少々時間に遅れたからといっても、叱咤するではないぞ。未熟なときは色々と迷いも多かろう。時には許すことも大事であるぞ」

「はい。もちろんでございます。こちらに顔を出しましたら、すぐに帰ってくるように伝えてくださいませ」

「うむ」

 教団員は礼をのべて帰っていった。

 ランバトルは言葉どおり乾拭きした。もはや顔が映りこむぐらいに磨き上げられている。部下はいつもながらの手練の技に感心した。

「うわぁ、本っ当に掃除してるよ、このおっさん」

 いるはずのない第三者の声を聞き、それまで気配すら感じ取れなかったランバトルは驚愕して振り返った。

 そこに、ふわふわの金色の髪をした小柄な男がいた。愛くるしい童顔だが、そのアンバーの瞳の中に油断ならぬ光を発見し、ランバトルは身構えた。

 その顔に見覚えがあった。昨日永を追いかけていた男だ。なによりも、男は空中に浮いているのだ。遥か高みからランバトル達を見下ろしている。

 怪しい。あまりにも怪しすぎる。

「おのれ、妖術か!」

「違う、違う。手妻みたいなもんさ。仕掛けもタネもあるよ♡」

 蹄はにっこり笑って答えた。

「む、手妻か? なるほど」

 ランバトルは仕掛けがあると聞き、納得した。

 しかしそれが、張り巡らされた眼に見えぬほど細い鋼糸を足場にしているということを知ったら、警戒を解かなかっただろう。

「して、なにようだ? この前の続きをしたいというのなら──」

「──とぉんでもない。そこまで命知らずじゃないさ。教団(あんたら)の中で、行方知れずになってる子がいるだろ?」

「なに!」

 ランバトルは今聞いたばかりの事を思い出した。

「赤毛をお下げにした、女の子だよ」

「貴様の仕業か!」

 ランバトルは激昂したが、武器が届く高さではない。聖衣を着ているならともかく、生身では飛ぶこともできない。

 蹄が手をふって否定した。

「ちがーう、こっちも一人、さらわれてんの。休んでたら、帰ってこないって言うんでさ、探してみたら、ややこしいところに捕まってた。そこに一緒に閉じ込められてる女の子がいて、オードゥグの教団服きてたから、知らせにきてあげたわけ。親切でしょ♡」

 軽く言う蹄にランバトルは顔をしかめる。

「……何を企んでおる?」

「共闘できねえ? こっちは人質を全員無傷で助けてみせるぜ。そのかわり、そっちは表で騒ぎを起こして注意を引いて欲しいんだけど」

 蹄は涼しい顔で提案した。つい先日、執行員を十一人も殺したくせに、その力を借りようというのだ。厚顔もここに極まる。

「こっちの人質一人なら、いくらでも連れて逃げられるんだけど、二人となると手間なんだよね。手伝ってくんない?」

「我が教団の敵とあらば容赦はせん。我々が殲滅する。場所だけ教えるがいい」

 横柄に命じるランバトルに、多少なりとも神威代理執行局のやり方を知っている蹄は肩をすくめた。

「ジョーダン。力任せに騒ぎおこしたら、人質の命が危ないんだよ? そっちは尊い犠牲ですますかも知んないけど、こっちが困るわけ。そういう態度じゃ、教えらんないな~」

 神の威光を重要視する神威代理執行局は、時として回りの被害をまったく無視する傾向がある。人質ごとの犯人殲滅も珍しくはないのだ。彼らにとっては、あらゆる被害は神の威光を示すための尊い犠牲にすぎない。被害を避けようとする気もなければ、悔いることもない。

 それ故に外部からは狂信者の集団とみなされている。

「むう……」

「突っ込むなら、それでいいさ。ただし、ある時間まで待って欲しい。それまでに人質は救出する。条件はそれだけ。ノルかい?」

「よかろう。時間と場所を言うがいい」

「場所は町外れの、リシン地区の一番でかい敷地の屋敷。カトラス商会がヤバいことに主に使うところだ。たぶん、ここの人間に聞けばわかるぜ。夕方の鐘がなる時間に頼むぜ」

「黒幕はカトラス商会か!」

「おっと、時間まで手出し無用だぜ。人質救出した後なら、いくらでも暴れてもいーけど、気づかれたら手が出しにくくなる」

 蹄は釘を刺しておいた。

 蹄もできれば神威代理執行局の力を借りるなどというリスクを犯したくなかったが、この街の動かせる人員が底をついていたのである。敵の敵は味方というわけではないが、使えそうなものは使うしかない。

 なるべくリスクは減らしたい。こちら側の人質の名を伏せておいたのも、無用な危険を避けるため。まして──そこに永までもが囚われていることを知ったらどうなるか──考えると恐いことになりそうなので、黙っていた。

「くれぐれも、時間は守ってくれよ。万が一のときは、こっちの人員の救出を優先させるからね」

 言うだけ言うと、蹄は逃走した。足場にした鋼糸の端を斬り、鋼糸を使って空中を滑降する。外に飛び出すと、室内の残りの糸の端を斬り回収──手妻のタネはまだ明かさない。

「追いますか? ランバトル様」

 ランバトルは頭を振った。

「やめておけ。その方にかなう相手ではない」

 つい昨日、聖衣を壊されたことをランバトルは忘れていなかった。その前、少々手合わせしたことと、永がてこずっていたことを考え合わせれば、見かけによらず蹄が手誰であることはわかる。

「聖衣の用意をせい! 教団の敵を叩くぞ」


 かすかな予兆を永の感覚は逃さなかった。一室に押し込められ、外には見張りもいるだろうが、そんなものをものともしない者がこの世にいることを、永は知っている。

 永は天井の一角を見上げた。

「遅かったな」

「ありゃ、わかっちゃった? 音は立ててないはずなんだけどな~」

 天井の一角がはずれ、蹄が顔を出した。

 麗春は魔道師ギルドの一員だ。姿が消えれば組織内で探す。あるいは、商会の方から何らかの要求があったのかもしれない。

 ならば、必ず奪回のために人を動かすだろう。

「麗春をつれて逃げろ」

「そりゃ当然やりますよ、旦那。お仕事だからね♡ 旦那も確保したいところだけど、さすがにそこまで欲張れないから、自力で逃げてくんない? ギルドとしては、アレがよそに渡るのはさけたいんだってさ」

「言われるまでもない」

 人質がいなければとっくに逃げている。

「じゃあ、一時休戦ってことで。あいつら、調子んのって、教団の一人、まあ見習いの女の子らしいけど、監禁してんの。オードゥグ教にそんな脅しが効くと思ってんのかね? チクッて協力仰いだから、あのおっさんが来るぜ。その騒ぎにまぎれて上手に逃げてちょうだいね」

「……おっさん?」

「爆裂宣教師っての、あのとんでもねえおっさん」

「……あいつは二十八だ」

「げっ、俺と二つしか違わねーの?」

 蹄が顔を引きつらせた。二つということは、蹄は二十六ということになる。随分と若くみえる。

(年上だったのか……)

 永は漠然とそんなことを思った。

「奴が来るのなら、できる限り、ここから放れろ」

「あれま、一戦交えるつもり?」

「……そういうこともある」

 万が一顔をあわせれば、他の任務は放棄しても向かってくるだろう。迎え撃つしか道はない。隙を見て逃げ出すが、それまでどれだけの被害がでるか、永にも予測できない。

「得物はいるかい? なんならそこら辺からぱくってきてやるけど」

 新しい衣服は与えられていたが、武器の類は全て取り上げられている。

「無用だ」

 永の両手──あるいは衣服に隠れた肌もか──が黒く染まった。それは首の下の方から白い肌を侵略し染めてゆく。それは黒い──細かな鱗の連なり。

 防具はその面積が広くなれば重くなり動きを阻害する。可動部分を作ればそこが薄くなる。天才久遠はその解決策として自然界にある鱗を選択した。

 袖を切り裂いて、腕の一部から刃が飛び出した。背中の布地も破れ、蝙蝠のような皮膜の羽が生えた。

 全てが闇を切り取ったような漆黒。

「……それが旦那の奥の手かい?」

 もう一度永は警告した。

「逃げろ、災厄が来る前に」

 その左の目は赤く染まっていた。


 少女が泣いていた。

 それは赤い髪で、失われた少女の灰色の髪とは違う。それでも──脅えて泣く少女に、麗春は記憶の中の最愛の妹を重ねてしまった。

「神様、教司さま、どうかお救いください」

 オードゥグ教でもまだ下っ端なのだろう。祈れば救いがあると思っているらしい。

「大丈夫。すぐに助けが来るから」

 名も知らぬ少女が泣き濡れた顔を上げた。特別美しいというわけではないが、歳相応な可愛らしい少女である。

「お姉さまも、浚われたのですか?」

「ええ、そうよ」

「ああ、こんな無法なまねがこの街でおきるなんて……わたしたち売られてしまうのでしょうか? そして酷いめに……」

 しくしくと泣く少女を麗春は元気付けた。

「大丈夫。この街に神威代理執行局の人がきているでしょう?」

「はい……ランバトル様という、とてもお偉い人がきていますわ」

「私はその人のことを知っているけど、こんなまねを許す人じゃないわ」

 一瞬少女の顔が輝いたが、すぐにまた心配そうな顔をする。

「でも、こんなにたくさんの悪人では……ランバトル様でも」

 少女は本気でランバトルの身を案じているようだった。

 麗春は一瞬笑いの衝動にかられたが、それを押さえ込んだ。オードゥグ教、最強にして最狂の人間兵器ランバトル。その身を心配することほど無駄なことはない。

 たとえ一人で軍隊を相手にしても無傷であろう。それからみれば、たかがカトラス商会の支部のひとつ、相手が不足だ。

「あら、知らないの? あの人はとても強いのよ」

「そう……ですよね。きっとランバトル様がお救いくださりますわ」

 麗春の力強い言葉に少女は安心し、神への祈りを捧げ始めた。

 確かにオードゥグ教の敵は殲滅されるだろう。しかし、時として味方ごとの殲滅や、人質の安否は無視するという事実を麗春は黙っていた。

 少女の夢を打ち砕くのは哀れだったからだ。

 扉がひかえめに叩かれた。

 少女は脅えて麗春にしがみついた。

「お嬢さん、あけていいかい?」

「蹄か?」

 扉が少しだけあいた。そこからのぞくのは蹄の金色の頭だった。

「助けに来ましたよ」

 開けた扉からするりと蹄が中に入り、扉を閉めた。

「早かったな。夜を待つのかと思ったぞ」

「いやぁ、そーしてもよかったんですけどねぇ、怖いのがきそうだったんで、早めました。お嬢さん一人ならともかく、そっちの子がいたんじゃあねぇ」

 蹄言わんとすることは麗春にもわかった。

「お知り合いですの?」

 事態を飲み込んでいない少女が麗春に尋ねた。

「蹄、こっちの子は」

「教女見習いのアンジェラちゃんだね? 一緒に逃げてもらうよ。大丈夫、ちゃあんと教会まで届けてあげるからね♡」

 蹄はそういうと、アンジェラの頭から布をかぶせてしまった。

「な、なんですの!」

「ちょっと、怖いからこれ被っててね。足元悪いから、おにーさんが運んであげるから」

 アンジェラを荷物のように担ぎ、蹄は扉に手をかけた。

「いきますよ」

「大丈夫か? そんなに堂々と」

「このあたりは無人ですよ。それに、すぐそれどころじゃなくなりますから」

 蹄が無遠慮に部屋の外にでた。

 麗春も廊下に出て──なぜアンジェラを布で覆ってしまったのか、足場が悪いのか、理解した。

 部屋の外は生きている人間はいなかった──ただ──輪切りになった死体がごろごろ転がっているだけである。

 あたりには濃い血臭がただよい、嘔吐を促す。こんな光景をアンジェラが見れば卒倒するだろう。

 糸使い──見落としそうなほど細い鋼糸を使う暗殺者。その最大の利点は隠密性に優れたことである。特に優れた者は、姿も見せず、犠牲者が気がつく前に殺している。

 おそらくは、蹄がその気になれば屋敷の人間全てを殺しつくすことも可能だろう。

「足元悪いんで、気をつけてくださいね♡」

「……分かった」

 これだけの虐殺をしておいて、屈託なく笑える蹄を、麗春は怖いと思った。

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