隊商との旅
数カ月後、またわたしは彼とホテルで過ごしている。
この日も、彼との時間は同じようなルーティン。ビールとおしゃべり、それに親密なひととき。
いつものようにちょっとだけ子どものように甘えてみせる。
ここでしか、彼にしか見せない柔らかい顔をして。
自分にもこんな表情ができるんだ、こんな声が出せるんだなって、未だに少し不思議な気持ちになりながら。
「今日は砂漠のおはなしをして?」
彼は優しく頷く。
* * *
男は隊商に付き従う楽師だった。
隊商に雇われ、夜になると縦笛とマンドリンをかき鳴らした。
もともとはウードの名手として知られていた男は、北のほうのオアシスの街でマンドリンを弾く異国人の演奏に聞き惚れ、拝み倒して売ってもらって以来、この異国の楽器の音色に魅せられていた。
ピックを使って弦を器用に弾き、トレモロを響かせる。
男の奏でる曲は、疲れた旅人たちの心を慰めた。
楽師にはフィアンセがいた。
婚礼を控えた彼は何よりお金が欲しかった。フィアンセを喜ばせたかった。
そこでこの危険な隊商に参加したのだった。
今回の隊商は金と象牙を持ち帰る危険な旅で、だからこそ報酬が良かった。
砂漠の危険なルートを通るとはいうもののベテランの隊商長が率いるというから加わった隊商だったが、不運なことに旅の途中で隊商長が病に倒れてしまい、異国で療養せざるをえなくなった。
代わりを担うことになった者は、隊商長の息子で、やや経験不足にみえた。
男は不安に襲われたものの、ここまでくれば我が家はもう一日とちょっとというあたりまで何事もなく戻って来ることができたので、随分とほっとした。
仲間たちも同じ気持ちだったのかもしれない。少し浮ついたムードが隊商中に広がっていた。
ところがその日は特別に砂嵐がひどかった。
砂嵐が止むまで待機したことやルートの変更を決断したことで、予定していたオアシスの宿場街には辿り着けそうもなかった。
今日は夜営だと皆が思っていたその時、突然、夕陽に照らされた豪華な都市が砂漠の向こうに見えてきた。遠目に、高くそびえるミナレットが見え、随分と栄えた様子だった。
ルートを変更したことと砂嵐で、みなは今どこにいるのかが曖昧になっていた。
代理の隊商長は決断を迫られた。
「あれはきっとこの砂漠第二の都市、アディスモリスだ」
「アディスモリスはもっと西のはずだ。しかもアディスモリスのミナレットの形とは違う気がする」
「ではあれは何だ。アディスアンガスだというのか?しかしあの街にはミナレットはなかったはずだ」
「もしかして、幻の古都パーミヤを見つけたのかもしれない。古の書に、パーミヤは黄昏時にのみ見つけることができると記されていると、聞いたことがある」
「幻の古都なんてとんでもない。そんな与太話はよしてくれ。あれはどうみてもアディスモリスだ。思ったより随分西に来てしまっているのだろう。この砂嵐の中で夜営するのは危険すぎる。なんとかあそこまでたどり着いて夜を凌ごう」
隊商長の判断で、遠くに見えるミナレットを目指し、さらに歩き続けることになった。
男は、ためらった。フィアンセとの約束があったからだ。
男がこの隊商に参加することを告げると、フィアンセは男にあることを約束させたのだった。
男は迷った。
疲れ果てているし、隊商から離れる選択が危険すぎることはわかっていた。
しかしフィアンセとの約束を違えるのは嫌だったし、あの都市がアディスモリスとは思えなかった。
砂漠が見せる幻の街に誘われることによって旅人が惑わされ、命を落とすことになる話は幾つも聞いたことがあった。
あの街はその幻なのではないか。その思いが何故かぬぐえなかった。
男は隊商長にそう助言したが楽師ごときが何を言うと一笑に付されてしまい、やむなく、男は一人で進むことにした。
マンドリンと縦笛と少しの食べ物と飲み物、そしてフィアンセへのお土産として買った乳白色の象牙の指輪を持って。
隊商と別れ、男が歩き出してしばらくするといつの間にか砂嵐はおさまっていた。
砂嵐がおさまると雲一つない夜空が広がっていた。
男は月明かりの中、疲れ切ったまま荷物を背負い、寒さを避けるための重い羊のマントを着込み歩き続けるうちにどんどんその足取りは重くなっていった。
今頃、あのミナレットの街にたどり着いている仲間たちはどんないい思いをしているだろう、と男は考えるのをやめられなくなっていた。
彼らはきっと、熱いスパイスティーやミントティーを飲んで身体を温めていることだろう。タンドールで焼き上げたうまいサムサを食べ、うまくいけばスイカやメロンにもありついているかもしれない。
そんなことを思い浮かべると、重い足取りはさらに鉛を抱えているかのようになっていった。
なぜ、自分は彼らとあのミナレットを目指さなかったのだろう。
そうだ、フィアンセとの約束のせいだ。そのせいで、こんな。
そう思った途端、男は頭の中にわいたその考えを止めた。
やめよう。それだけは思うまい。
自らのこの苦境を彼女のせいにはするまい。それは彼女への冒涜だ。自分で選んだことじゃないか。
そう思うと急に足は鉛がとれたように軽くなり、不思議なことに、まるで羽がはえたかのように、再び歩き出すことができるようになった。
少し力を取り戻したことで夜通し歩き続けていた男だったが、とうとう岩陰でへたり込んでしまった。
そしていつの間にか眠ってしまった。
マンドリンを大事に胸に抱きかかえたまま。
ふと、なにか生暖かい感触を感じた。
男が目を覚ますと、一頭のライオンが傍らで男をじっと見ていた。
そして、ついて来いとでも言うように、ゆっくりと歩きだした。
男は慌てて、そうすることが当たり前かのようにライオンについて行く。
楽師とライオン、その不思議な組み合わせは、明るい月の下を数時間そのまま静かに歩き続けた。
気がつくと空は白みはじめており、楽師が旅立った街が見えてきた。
男は無事に帰り着くことができそうだという安堵と感謝の気持ちで天をみあげ、祈りを捧げていると、いつのまにかライオンは姿を消していた。
男は街へ向かって再び歩きはじめた。しっかりとした足取りで。
* * *
「不思議な話ね。とても好きだったわ。特に、彼のフィアンセへの想いが」
「そうだね。美しい」
「うん。ね、フィアンセが彼にさせた約束ってどんなものだったのかな」
「さあ。それは明かされないままなんだ。だから彼と彼女にしかわからない」
「隊商や、彼と彼女はそれからどうなったかな」
「どうなって欲しい?」
どうなって欲しいのだろう。わたしは何を望んでいるのだろう。
「そうね。きっとフィアンセの彼女は、楽師の男からもらった象牙の指輪をはめて、それからタペストリーを織ったと思う。丈夫な麻や綿の経糸に、色とりどりの羊毛の緯糸を織り込んで、彼の話を模様として仕上げるの。ライオンと月とマンドリンと楽師の男。エキゾチックで素敵な図案になりそう」
「男はまた、家族のために危険を冒し、隊商に付き従って旅をする。そして男が持ち帰ってきた不思議なはなしを、彼女が次々とタペストリーに織るんだね」
「そう。そうなってほしいな」
「それはちょっと幸せに近いね」
彼はそう呟いて、目を閉じた。




