第9話「灯がともる、祭りの夜に」
秋の実りの季節がやってきた。ローエン村では年に一度の収穫祭が開かれる。
今年の祭りはいつもとまるで違っていた。長らく寂れていた村が、ひさしぶりに活気づいていたのだ。神殿の復活で人の行き来が増え、よその村から訪ねてくる者まで現れた。広場には所狭しと屋台が並び、夕暮れとともに、あちこちで灯がともされていく。串焼きの煙、温かい果実酒の湯気、焼き菓子の甘い香り。楽師の奏でる陽気な調べに合わせて、子どもたちが輪になって踊っている。どれもこれもこの村がしばらく忘れていた、にぎわいの匂いだった。
「わあ……! リーゼちゃん、見て見て! あれ何!? すっごくいい匂いがする!」
「焼き菓子ですよ。引っ張らないでください、転びますから」
セレスは朝からもう大はしゃぎだった。屋台から屋台へと目を輝かせて駆け回り、焼き菓子の屋台の前では、とうとう地団駄まで踏み始める。神々しい金の髪を振り乱して菓子をねだる女神を、いったい誰が崇めるだろう。けれど村の人々はもう知っている。この風変わりな女神さまが、自分たちの願いをちゃんと聞いてくれることを。だから、誰も咎めない。むしろ「女神さま、これも食べてみな」と、次々に屋台の品を差し出してくる。
「女神さま、これ、お供えです!」
「女神さま! うちの婆さんの腰、すっかりよくなったんですよ!」
「ありがと〜! 婆ちゃんに、無理しちゃだめだよって、伝えてね!」
すれ違う村人が次々とセレスに声をかけていく。最初はおっかなびっくりだった人たちも、今ではすっかり打ち解けていた。セレスはそのたびに、口いっぱいに頬張ったまま、満面の笑みでぶんぶんと手を振り返す。神々しさは見る影もない。けれど、その輪の中心で笑う姿は確かに、村の守り神のそれだった。
その光景を、私は少し離れた場所から眺めていた。
拝む人のいなかった、あの寂れた神殿に。こんなにも灯がともる日が来るなんて。ほんの半月前には、想像すらできなかったことだ。胸の奥がじんわりとあたたかくなる。打算で始めた、神殿の立て直し。その先に、こんな景色が待っているなんて、思いもしなかった。
「……人が変わったように笑うものですね。あなたも、あの女神も」
いつのまにか、隣にテオが立っていた。祭りの喧騒の中で、彼だけが相変わらずの硬い表情をしている。けれどその手には、なぜか焼き菓子が二つ握られていた。
「監察官さまも、お祭りを楽しんでいらっしゃるの?」
「監視です。人が集まる場では、不正も起きやすいですから」
「まあ。それは律儀なことですこと。お祭りでも、お仕事なんて」
私がくすりと笑うと、テオはばつが悪そうに、焼き菓子のひとつをぐいと差し出してきた。
「……これは、その。二つ買うと、いくらか安かったもので。要らなければ結構ですが」
不器用な人だ、と思った。理屈ばかりこねる、冷たい監察官。それなのに、差し出された焼き菓子は、まだほんのりとあたたかい。きっと、しばらく握っていたのだろう。渡す機会をうかがいながら。私はありがたく受け取った。並んで菓子を齧る。生地はさっくりと香ばしく、中に、甘く煮た木の実が入っていた。なぜだか、胸の奥が少しだけくすぐったかった。
「……おいしい、ですね」
「ええ。意外と」
ぎこちない、けれど、穏やかな時間だった。
祭りの中心、広場の真ん中では、セレスが村人たちにすっかり囲まれていた。
「女神さま! なんか、ありがたいの見せてくださいよ!」
ほろ酔いの村人が、陽気にはやし立てる。セレスは「しょうがないなあ」と笑って、手にした串焼きをひょいとハンナに預けると、両手を夜空に向かってふわりと広げた。
その指先から、無数の小さな光がこぼれ出す。
蛍のような、星のかけらのような、あたたかな金色の光。それが祭りの夜空へと舞い上がり、広場いっぱいに雨のように降り注いだ。村人たちがわあっと歓声を上げる。子どもたちがきゃあきゃあと光を追いかけてはしゃぎ回った。光は触れると、ふわりと溶けて、ほのかなぬくもりだけを残す。
きれいだ、と息を呑んだ。
へらへらしたポンコツな女神。けれど今この瞬間だけは、まぎれもなく神様だった。降りそそぐ光に照らされたその横顔は、泣きたくなるほど美しい。誰かのために力を使うとき。この子はいつだって、いちばんきれいに笑うのだ。
「……すごい、ですね」
隣でテオがぽつりと呟いた。あれほど「神などいない」と言い切った人が、夜空の光を食い入るように見つめている。もう、論破する言葉を探してはいない、無防備な横顔だった。光の粒が彼の頬にもひとつ落ちて、溶けた。
光がゆっくりと消えていく。村人たちの拍手の中、セレスがこちらを見つけて、大きく手を振った。
「リーゼちゃーん! 見てた!? あたし、すっごくがんばったよー!」
無邪気なその笑顔に手を振り返しながら――私はふと胸の奥がきゅっと痛むのを感じた。
力を、使えるようになっている。日に日に強く。それは信仰が戻ってきている、何よりの証だ。本当なら、手放しで喜ぶべきことのはず。
なのになぜだろう。この灯がいつか消えてしまう日のことを考えてしまう。あの光があの笑顔が、二度と見られなくなる日のことを。
祭りの夜は更けていく。灯はまだ、あたたかい。今だけはこの温もりに浸っていたかった。
次話:「力が戻るほど、遠くなる」




