第30話「神様のいない神殿で、それでも」
女神のいない神殿の朝は静かだった。
セレスが天に帰ってから、ひと月が過ぎた。
神殿は相変わらずにぎやかだ。村人たちが毎日お参りに来る。暁の女神はもう姿を見せない。けれど人々はちゃんと祈り続けていた。祭壇に花を供え、感謝を捧げ、願いを口にする。セレスのいた日々が村に信仰を取り戻したのだ。司教ヴァルターが手配してくれた若い神官も、ときどき王都から様子を見に来てくれる。
私は神殿の管理人として、その朝も祭壇を整えていた。すっかり板についた仕事だ。
「お嬢様。朝ごはん、できました……って、あ」
ハンナが困ったように笑った。私がよそったスープの器。四つ、あった。
……また、やってしまった。セレスの分まで作ってしまう。ひと月経ってもまだ体が覚えている。あの食いしんぼうな女神が「おかわり!」と空の器を差し出す声を。3回はおかわりした、あの食べっぷりを。
「……一つ、減らすの、忘れちゃうわね。なかなか」
「ふふ。わたしもです。昨日、女神さまの好きだった干し杏、つい、市場で買っちゃいました。籠いっぱい」
二人で顔を見合わせて、少し笑って。それから少し泣いた。笑うと泣ける。泣くと笑える。セレスのことはいつも、その両方を連れてくる。
いないことに慣れる日なんて来るのだろうか。たぶん、来ない。ふとした瞬間に、私たちはこれからも何度でもセレスを思い出す。器を間違えて。干し杏を買って。空を見上げて。神殿の段差につまずいて。
でも。それでいいのだと思う。思い出すことは忘れていない、ということだから。セレスがいちばん嫌っていたのは、忘れられることだったから。だから私たちは何度でも思い出す。笑いながら。
「リーゼ」
神殿にテオがやってきた。約束どおり、彼は監察官を辞めてこの村に残った。今は村のちょっとしたもめ事の相談役だ。理屈っぽいけれど頼りになる、と村人にすっかり好かれている。子どもたちには「こわいけど、やさしい先生」と呼ばれているらしい。
「ヨナが、また来ていますよ。あなたに、文字を教わりたい、と。子ヤギも連れてきていますが」
「あら。今日も? しょうがない子ね。子ヤギは、外で待たせて」
神殿の隅で、私は村の子どもたちに読み書きを教えるようになっていた。打算で令嬢をやっていたころには考えられないことだ。誰かのために何かをしたい。そう思うようになった。見返りなんて求めずに。セレスが教えてくれたのだ。必要とされることのあたたかさを。誰かを必要とすることの幸せを。
神様のいない神殿で。それでも私たちは生きていく。笑って、泣いて、誰かを想って。あの女神が愛したように。
セレスが愛したこの場所で。セレスが好きだった、このあたりまえの日々を。大切に紡いでいく。
祭壇の隅。ひび割れに咲いたあの白い花は、枯れずに今も咲いている。水をやらなくても冬になっても。まるで女神がまだ、どこかで見守っているみたいに。私はその花に毎朝、おはようを言う。
……行ってきます、セレス。今日もいい一日にしますね。
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