第3話「信じない人ほど、よく見ている」
その男は朝いちばんにやってきた。
扉を叩く音で目を覚ました私が寝ぼけ眼で出てみると、そこに立っていたのは見るからに几帳面そうな青年だった。皺ひとつない濃紺の官服。背は高く、姿勢はまっすぐで、手には革の書類鞄を提げている。そして何より、その目が冷たい。こちらの嘘を一枚ずつ剥がしにかかるような、油断のならない目だった。
「アーベライン嬢でいらっしゃいますね。王家より参りました、監察官のテオドール・グリュンと申します」
慇懃な口ぶりとは裏腹に声に体温がない。私は一瞬で、この朝が面倒なものになる予感を覚えた。
「監察官、ですか。こんな辺鄙な廃神殿に、ご苦労さまなことですね」
「左遷された貴族が管理する神殿には、監督役をつける決まりです。職務を正しく果たしているか、不正がないか。それを見届けるのが、私の仕事です」
「不正だなんて、人聞きの悪い」
「では伺いますが」
テオは書類鞄から一枚の紙を取り出した。几帳面な字で、何やら書きつけてある。
「昨日、村の少年の子ヤギを、女神の託宣で見つけ出した。そう聞きました。アーベライン嬢、あなたは本当に、神の声を聞いたのですか?」
来た。私は内心で舌打ちをする。情報が回るのが早い。けれど、ここで怯んだら負けだ。私は令嬢の微笑みを顔に貼りつけた。
「ええ、もちろん。女神さまのお告げですわ」
「水車小屋。寒がりの子ヤギが、風をしのげて人目につかない場所に隠れる。その程度の推察は、神でなくともできます」
……鋭い。痛いところを的確に突いてくる。
「偶然当たっただけのことを、奇跡と偽って人を集める。それは詐欺と紙一重です。私はそれを見張りに来ました」
「失礼な人ですね。本物の女神さまがいらっしゃるのに」
「神など、いません」
テオはきっぱりと言い切った。迷いのない声だった。神が実在し、奇跡が当たり前のこの国で、ここまで言い切る人間も珍しい。私は思わずまじまじとその顔を見てしまった。
「リーゼちゃーん、誰か来たのー?」
間の悪いことに、そこへ当の女神が、のそのそと奥から出てきた。寝起きの髪はぼさぼさで、あくびを噛み殺している。神々しさはかろうじて金の髪に残っているだけだ。
「あ、お客さん? おはよ〜」
「……どなたですか」
「女神だよ。全知全能の」
セレスはぼりぼりと頭を掻きながら言った。その瞬間、神殿の入り口の段差に足を引っかけて、見事につんのめる。
「わっ、と、と、と」
たたらを踏んで、辛うじて転ばずに踏みとどまる。全知全能の女神が、自分の足元の段差につまずく姿を、私は半笑いで見守った。テオは無表情のまま、それを一秒ほど眺めた。
「……居候の方ですか」
「だから女神だってば!」
「神は、自分の足元の段差につまずいたりしません」
「うっ」
ぐうの音も出ないセレスである。
まずい。このままでは女神の威厳が地に落ちる。というか、もう半分落ちている。私は慌てて間に割って入った。
「グ、グリュンさま。百聞は一見に如かず、と申します。どうぞ、女神さまのお力を、その目でご覧になっては?」
「ほう。では、見せていただきましょう」
テオの目がすっと細くなる。挑むような光があった。
しまった。墓穴を掘ったかもしれない。私はそっとセレスの袖を引いて、耳打ちした。
「セレス様、何か、それっぽいの、できませんか。小さくていいので」
「えー、力ないって言ったじゃん」
「一回だけ! 神様の威厳のために!」
セレスはむうっと頬をふくらませてから、しぶしぶ右手を持ち上げた。指先に、ちりちりと淡い光が集まる。今度こそ、と私は息を詰めた。
ぱちん。
光は線香花火みたいに、ぱっとひとつ弾けて消えた。あとにはほんのりと埃が舞っただけ。
「……以上です」
「以上、なの?」
「がんばったほうだよ、あたし」
胸を張るセレスの隣で、私は天を仰ぎたくなった。テオはしばらく無言で女神を見つめていた。やがて、ふっと息を吐く。
「埃を舞わせるのが、女神の御業ですか」
「ち、ちがうの、今日は調子が」
「結構です。よくわかりました」
テオは書類鞄を閉じ、神殿の壁際に歩み寄ると、そこにあった古い長椅子に当然のように腰を下ろした。
「な、何を?」
「申し上げたはずです。見張りに来た、と。今日からしばらく、この神殿に滞在させていただきます。あなた方が、村人を騙していないか。この目で、確かめさせてもらう」
冷たい目がまっすぐに私を見据えた。
「私は、信じません。神も、奇跡も、女神の力とやらも。けれど――だからこそ、見落としはしない。嘘を暴くのに、信仰は要らない」
信じない人ほど、よく見ている。その言葉がぐさりと胸に刺さった。やりにくい相手が、いちばんやりにくい場所に居座ってしまった。
「リーゼちゃん、あの人、なんか怖いね」
「ええ。最高に、厄介だわ」
こうして私たちの貧乏神殿に、招かれざる同居人がもう一人、増えたのだった。
神様より、よっぽど頼りになりそうなのが、よりにもよって敵側にいる。世の中、うまくいかないものである。
次話:「ご利益、でっち上げます」




