第16話「あなたが信じない、その理由を」
神殿の立て直しに、意外な助っ人が現れた。
テオだった。閉鎖を命じる側の、王家の監察官。その彼が崩れた壁の前で黙って官服の袖をまくっている。朝の早い時間、誰にも言わず、ひとりで瓦礫を片づけていた。
「監察官さま? あなたは、王都の側でしょう。こんなところを見られたら、立場が……」
「アーベライン嬢」
テオは石を積む手を止めずに静かに言った。いつもの硬さの中に、何か覚悟のようなものがにじんでいた。
「少し、昔話を、してもいいですか」
私は頷いた。テオはしばらく黙ってから、ぽつりぽつりと語り始める。手は石を積み続けていた。まるでその作業にすがるように。
「私には、妹がいました。体の弱い子で。よく熱を出しては、寝込んでいた。妹が10のとき、たちの悪い流行り病にかかったんです」
石を積む手がわずかに震える。
「私は毎日、神殿に通って祈りました。どうか妹を助けてください、と。お供えもできる限りした。神官の言うとおり、何日も断食して、声が枯れるまで祈った。子どもなりに必死でした。それでも――妹は、死にました。あっけなく」
冷たい横顔に痛みがにじむ。十年以上、彼が抱え続けてきた痛みが。
「神官は言いました。『お前の祈りが、足りなかったのだ』と。私はそれから神を信じるのをやめました。祈っても救われない。すがっても裏切られる。なら、最初から信じないほうがいい。期待しなければ、裏切られることもない。そう決めたんです」
あなたが信じない、その理由を。私はようやく知った。冷たい合理主義の奥に、神にすがってそれでも救われなかった少年が、ずっとうずくまっていたのだ。
「……つらかった、ですね」
ありきたりな言葉しか出てこなかった。けれどテオは小さく首を振った。
「いえ。話せて、少し楽になりました。誰にも言ったことが、なかったので。……不思議ですね。よりにもよって、神殿で、こんな話をするとは」
そのとき、ずっと黙って聞いていたセレスがテオの前に進み出た。いつになく真剣な顔で。へらへらした笑みはどこにもなかった。
「ねえ、監察官さん。あたし、神様だけど、謝らせて」
テオが驚いたように顔を上げる。
「あなたの妹を助けてあげられなくて、ごめんね。神様って、ぜんぶの祈りに応えられるわけじゃないの。力が足りないときもある。間に合わないときも、ある。運命を、変えられないことも。……でも、ひとつだけ、言わせて」
セレスはまっすぐにテオを見つめた。その瞳はいつになく深く、優しかった。
「あなたの祈りは、足りなかったんじゃない。ちゃんと、届いてたよ。神様は、応えられなくても、祈りはぜんぶ聞いてるの。あなたが毎日、声が枯れるまで、妹を想って祈った気持ちは。何ひとつ間違ってなかった。足りなかったなんて、そんなこと、絶対にない」
テオの目が大きく見開かれた。
長いあいだ彼を縛っていた呪いの言葉――「祈りが足りなかった」。それを本物の神が、たった今、否定したのだ。ずっと彼の心を凍らせていた言葉を。
テオはしばらく何も言えずに立ち尽くしていた。やがてその肩が小さく震える。冷たい監察官の頬を一筋、涙が伝った。彼はそれを拭おうともしなかった。
「……そう、ですか。届いて、いましたか。私の、祈りは」
それは、彼が何年も聞きたかった言葉だったのだろう。誰かに言ってほしかった、たった一言。
しばらくして、テオは涙を拭い、私に向き直った。その目にはもう迷いがない。憑き物が落ちたような晴れやかさがあった。
「リーゼ嬢」
はじめて、そう呼ばれた。アーベライン嬢、ではなく。その響きに私の胸が小さく跳ねる。
「私は、王都にこう報告します。この神殿に、異端の事実なし、と。監察官の職を失うかもしれない。罰を受けるかもしれない。それでも――私は、私が見たものを、信じることにします。もう、目をそらすのはやめます」
テオは祭壇のセレスに向き直り、深く頭を下げた。あの、神を信じないと言い切った人が。
「セレス様。どうか、この神殿を守るのを、手伝わせてください」
信じない、と決めていた人が信じる側に回った瞬間だった。
私はなんだか胸がいっぱいになって。それを誤魔化すように、わざと軽口を叩いた。
「ふふ。テオ、あなた、いい顔になりましたね。最初に会ったときの、あの嫌味な監察官とは、別人みたい」
「……からかわないでください、リーゼ嬢」
照れたように顔を背けるテオに、セレスがにやにやと笑う。さっきまでの真剣さはもう、どこへやら。
「あれー? 二人とも、名前で呼びあってる〜。いつのまに、そんな仲に?」
「「そ、そういうのじゃありません(ない)!」」
声が見事に重なった。崩れかけた神殿にひさしぶりの笑い声が響く。
さあ、反撃の始まりだ。神様と、侍女と改心した監察官。それに、しぶといだけが取り柄の元・嫌われ者の令嬢。心強いような頼りないような、四人だった。
次話:「取り戻すには、何かを差し出すしかない」




