第15話「もう、利用するためじゃない」
村人が去った神殿は、嘘みたいに静かだった。
昨日まであんなに人で溢れていたのに。今は半分崩れた壁の隙間から冷たい風が吹きこむばかり。あれほどにぎやかだった祭壇には、舞い散った供物が寂しく転がっているだけ。誰かが落としていったお供えの花が、踏まれてしおれていた。たった一日で何もかもが元通りの廃神殿に戻ってしまった。いや、人々の恐怖を買った分、前よりひどい。あのころはただ忘れられていただけ。でも今は恐れられ、拒まれている。
セレスは崩れた壁の隅で膝を抱えてうずくまっていた。いつも光を放つ金の髪が、今は力なく垂れている。
「……あたしのせいで、みんな、いなくなっちゃった」
ぽつりとこぼす。
「役に立ちたかっただけなのに。みんなを安心させたかっただけなのに。あたし、いつもこうだ。空回りして、迷惑かけて。ほんとに、ポンコツな神様だ。神様失格、だね」
いつも明るいこの子がこんなふうに自分を責めるのを、私は初めて見た。胸がぎゅっと痛む。へらへらした笑顔の裏に、この子はこんな脆いものを隠していたのだ。
なんて声をかければいいのかわからなかった。慰めの言葉はどれも薄っぺらい。けれど放ってはおけなかった。私はその隣に腰を下ろした。冷たい石の感触が伝わってくる。
「セレス様。ひとつ、白状します」
「……?」
「私、最初は、あなたを利用するつもりでした」
セレスが顔を上げる。私は崩れた天井の隙間から見える空を見上げながら続けた。今なら言える気がした。
「女神の力で都に返り咲いて、私を追いやった連中を見返してやろうって。そのために信仰を集めて、あなたの力を取り戻させようとした。ぜんぶ、自分のためでした。あなたのことなんて、道具くらいにしか思っていなかった。ひどい令嬢でしょう」
「……知ってたよ、それくらい」
セレスが少しだけ笑った。涙の跡の残る顔で。
「リーゼちゃん、最初、目がお金の形してたもん」
「失礼な。……でも、そうですね。否定はしません」
私は膝の上でこぶしを握った。胸の奥から言葉が自然とあふれてくる。
「でも、今は違うんです。今、私がこの神殿を立て直したいのは――もう、利用するためじゃない」
言葉にして初めて、自分の心がはっきりと見えた気がした。霧が晴れるみたいに。
「あなたと過ごす、くだらない毎日が好きなんです。あなたの食いしんぼうも、ポンコツも、ぜんぶ。ハンナの祈りも、村のみんなの笑顔も、大事なんです。この場所を守りたい。あなたのために。私の願いのためなんかじゃなく」
セレスの目がまんまるに見開かれた。そしてその縁に、みるみる涙が盛り上がっていく。さっきとは違う涙だった。
「……リーゼちゃん」
「だから、もう一度、立て直しましょう。3日後の閉鎖までに、なんて無理かもしれない。でも、諦めるのは性に合わないんです。私、これでも、しぶといので。氷の令嬢って、陰口を叩かれてたくらいですから」
私は立ち上がって、セレスに手を差し出した。あの夜、星を見たときとは逆の手だ。あのときはセレスが私を引っ張ってくれた。今度は私が引き上げる番だった。
「立ってください、女神さま。ここは、あなたの神殿でしょう」
セレスは涙をごしごしと袖で拭った。それから私の手をぎゅっと握り返す。あたたかい手だった。
「……うん。うん! あたし、がんばる! もう空回りしないように、ちゃんと、リーゼちゃんと一緒に!」
へにゃりと笑ったその顔は、もういつものセレスだった。
そこへハンナが駆けこんできた。息を切らして、けれどその目には強い光があった。手にはあの古い帳面を抱えて。
「お嬢様! まだ諦めるのは早いです! わたしに、考えがあります!」
崩れかけた神殿にもう一度、灯がともる。三人で顔を見合わせて頷きあった。利用するためじゃない。守るために。私たちの本当の戦いはここから始まる。
次話:「あなたが信じない、その理由を」




