第11話「疑っていた人が、袖をまくる」
子どもの熱を治した噂は瞬く間に広がった。
神殿を訪れる人は日に日に増えていく。畑の相談、なくし物探し、家族の病。村人たちはどんな小さな悩みでも女神さまに聞いてほしくて、列をなすようになった。朝、扉を開けるともう数人が並んで待っている、という日も珍しくない。お供えも増え、祭壇はいつも果物や花でにぎやかだ。すっかり村の暮らしの中心になっていた。
そうなると、困るのは人手だった。
「お嬢様ーっ! お供えの果物、傷む前にしまわないと!」
「わかってるわ。セレス様、手伝って……って、食べないでください!」
「だって、傷む前に食べたほうがいいかなって。あたし、もったいないお化け、嫌いなの」
「お化けの問題じゃありません!」
神殿の中はいつもてんやわんやだった。参拝者の応対に、掃除にお供えの管理。私とハンナだけではとても手が回らない。セレスはといえば相変わらず食べることと昼寝に忙しく、戦力としてはまったく期待できなかった。それどころか張り切って祭壇を拭こうとしては燭台を倒し、花瓶の水をこぼし、かえって仕事を増やしてくれる。
「ごめん、リーゼちゃん。あたし、また、やらかした……」
「いいんです。座って、神々しくしていてください。それが、いちばんのお仕事です」
「むぅ。神様なのに、働かせてもらえない……」
しょんぼりするセレスは放っておいて。私はたまった仕事にため息をついた。
そんなある日のこと。
崩れかけた神殿の外壁を私が一人で直そうと四苦八苦していると、ふいに横から手が伸びてきた。
「貸してください。そこは、こう持つんです」
テオだった。あの神を信じない監察官が、官服の袖をまくり上げて慣れた手つきで石を積み直していく。私が半日かけても直せなかった壁が、みるみるうちにきれいに整っていった。その手際の良さに、私はぽかんと見入ってしまった。
「……監察官さま? いったい、何を?」
「壁が崩れていては、参拝者が怪我をする。怪我人が出れば、神殿の管理不行き届きとして私の監督責任を問われる。それだけのことです」
淡々とそう言う。けれどその理屈は、どう聞いても後付けの言い訳だった。監督役がわざわざ自分で壁を直す道理はない。
「ふうん。監察官さまは、石積みもお上手なんですね」
「……実家が、石工でしたので」
意外な答えだった。冷たく隙のないこの人にも、石を積んで暮らしていた土の匂いのする日々があったらしい。王都の官服より、もしかしたら作業着のほうが似合うのかもしれない。少しだけ、その背中が近く感じられた。
それからというもの、テオは見張ると言いながら、なぜか神殿のあちこちを直すようになった。雨樋を付け替え、軋む扉に油を差し、参拝者のための長椅子をこしらえる。口では「監督のためだ」と繰り返しながら、その手はいつも何かを直していた。気づけば彼の周りには、いつも村の子どもたちが集まって作業を覗きこんでいる。
「監察官さま。あなた、本当は親切な人なんじゃ?」
「違います。私は、ただ……効率の問題です」
ぷいと顔を背けるテオに、私は思わず笑ってしまった。むきになるところはどこか、奥のポンコツ女神と似ている。神様と監察官。正反対のようでいて、案外、似た者同士なのかもしれない。
その日の夕暮れ。直したばかりの長椅子に並んで腰かけて、私たちは茜色に染まる村を眺めていた。神殿の窓から夕日が斜めに差しこんでくる。畑から帰る村人がこちらに気づいて、手を振ってくれた。
「……ひとつ、聞いてもいいですか」
私はずっと気になっていたことを口にした。
「あなた、王都への報告書に、まだ『異端』と書いていないんでしょう。なぜ?」
テオの肩がわずかに強張った。夕日に照らされた横顔が少しだけけわしくなる。
「……書くべき、証拠が、揃っていないだけです」
「子どもの熱が治って、花が咲いて、光が降った。これ以上の証拠が?」
「それを『奇跡』と認めれば」
テオは夕日を見つめたまま、低い声で言った。
「私は、自分が信じないと決めたものを、認めることになる」
その横顔にはいつもの冷たさはなかった。ただ迷っている、ひとりの人間の顔だった。何か深い事情がその奥にある。そう感じて、私はそれ以上聞かないことにした。誰にだって、土足で踏みこまれたくない場所がある。
疑っていた人がいつのまにか、袖をまくって神殿を直している。それがどういう意味なのか、たぶん本人が一番わかっていないのだろう。
夕日が二人の影を長く、長く伸ばしていた。
次話:「女神にも、忘れたことがあるらしい」




