FILE_08: 影の介入
「無駄ですよ。あなたがどんな可能性を計算しようと、私の前ではすべて『不可能』になります」
蓮が物静かに言い放ち、一歩、一華へと間合いを詰める。
その瞬間、一華の生身の脳に、言葉にできないほどの強烈な圧迫感が襲いかかった。
目の前の青年が放つ異様な存在感に、一華の優れた直感が強烈な危険信号を発している。
頭の芯が痺れるような不快感に、一華が息を呑んだその時だった。
『──創太、あの突っ立ってる男から妙な干渉波が出てる。お姉さんの脳波が乱れてるぞ。妨害シグナルの逆演算を始める』
少し離れた校舎の物陰から、じっと二人を見つめていた創太の耳の奥で、リベロの声が響いた。創太は今日も、一華を驚かせるために、学校帰りからずっと姉の後を追ってきていたのだ。
(お姉ちゃんを違法プログラムの使用者だと勘違いしてる? 違うよ、お姉ちゃんは生身だ。……それに、あの男の放っている空気、何だか気に食わないな)
創太は耳の奥のリベロへ向けて、心の中で強く願った。
(僕の力で、お姉ちゃんをここから逃がしてあげる。……影からね)
創太の思考に応じて、リベロの出力が解放される。蓮が一華の細い手首へと手を伸ばした瞬間。
並木道の街路樹に設置されていた自動スプリンクラーが、突如として一斉に大量の水を噴き上げた。それと同時に、敷地内の全街灯が激しく明滅し、一華と蓮の視界を同時に奪う。
「……っ!? これは……」
蓮がわずかに足元を鈍らせた。突発的なインフラの異常作動。リベロによる先回り攻撃だった。
『──対象の領域に隙ができた。一華の個人端末へ、最短の避難ルートを強制転送したぜ』
一華の持つホログラムディスプレイ端末が小さく震え、画面に鮮明な光の矢印が浮かび上がった。一華はその手際に息を呑んだが、これがあの時と同じ影のサポートだと直感する。
彼女はスプリンクラーの水飛沫に紛れ、蓮の動揺を突くようにして、一瞬で並木道の奥へと走り去った。
「……逃げられましたか」
視界が戻ったときには、すでに一華の姿はどこにもいなかった。蓮は濡れた前髪を押し上げ、静かな苛立ちを湛えながら周囲を見回す。
『警告。先ほどのインフラ干渉、およびルート誘導は、極めて高度な自立型人工知能によるものです。対象が使用している可能性大』
蓮の耳の奥で、カウンターAI『アンチ・バグ』の機械音が鳴る。蓮は拳を強く握りしめ、一華が消えた闇を見つめた。
「……やはり、あの女性が違法プログラムを使っている。絶対に突き止めますよ」
蓮の誤解は、より深いものへと変わっていった。
一方、誰もいない校舎の裏手。創太は、お姉ちゃんが見事に逃げ切ったのをホログラムのデータで確認すると、小さく笑った。
(どうだった、お姉ちゃん。僕のサポートがなければ、今頃あの男につかまっていたよ)
いつも自分を完璧な「正しさ」で守ろうとしていた姉を、今度は自分が完璧な「力」で救い出した。その圧倒的な優越感と悦びが、創太の脳をますます熱く、深く、リベロの力へと溺れさせていくのだった。




