FILE_05: 盤面の支配者
放課後、夕暮れ時の駅前広場。
創太は半年ぶりに家を出て、かつての通学路を歩いていた。
人工知能新法第4条により、AI端末の学校内への持ち込みは厳しく禁止されている。だからこそ、創太はこの万能の武器を耳に宿したまま、学校の「外」で彼らが現れるのを静かに待っていたのだ。
人混みの向こうから、かつて創太を自室の暗闇へと追い落とした張本人たちが歩いてくるのが見えた。クラスの主犯格である大輝と、その取り巻きの二人だ。
「おいおい、誰かと思えば原始人以下の創太じゃん。何しに出てきたんだよ、いまさら」
大輝が下卑た笑みを浮かべ、創太の肩を小突く。 以前の創太なら、この瞬間に呼吸が浅くなり、足がすくんで地面を見つめることしかできなかったはずだった。
彼らにとって創太は、何をしても言い返してこない、ただの便利な玩具に過ぎなかった。しかし、今の創太は違った。耳の奥のリベロに意識を向ける。
『──了解。あいつらの視線、呼吸、筋肉の弛緩パターンから次の行動を割り出す。いくぞ』
創太の視界に, 大輝たちの動きが奇妙なほどスローモーションで映し出された。
大輝が次にどんな汚い言葉を吐くのか、どの角度から脅してくるのか、そのすべてが、彼らが行動を起こす数秒前に、完璧な「予測データ」として創太の脳内に並んでいく。
「無視かよ、生意気なんだよ!」
大輝が苛立ったように声を荒らげ、背後に控える二人の取り巻きを顎で指した。
「おい、お前ら。この原始人をちょっと分からせてやれ」
大輝の命令に、二人の取り巻きがにやつきながら創太との距離を詰め、同時に腕を伸ばしてきた。掴みかかり、地面にねじ伏せようとする動き。
だが、創太はその動きのすべてを、まるで見えていたかのように最小限のステップで、ひらりと躱した。
「……あ?」
空を切った二人の手。
「大輝。君はいつもそうやって、他人に命令して自分が優位に立っていないと不安なんだね」
創太は感情の消えた声で言った。
「何だと……!?」
「君の父親、勤めていた大手のインフラ企業を首になったよね。君が他人に八つ当たりしているのは、家の中の空気が最悪だからだ。……それから、そこにいる二人。君たちは大輝の機嫌を損ねると、次は自分が標的になるのが怖いから、ただ合わせて笑っているだけ。違う?」
創太の脳内には、リベロが街のネットワークから引き出してきた、彼らの家庭環境、成績、秘匿された裏アカウントの書き込みまで、あらゆる情報が光の速度で整理され、敵を確実に破壊するための「弾丸」として組み上がっていた。
「なんで……なんでそれを……!」
あまりにも正確な指摘に、大輝の顔からみるみる血の気が引いていく。
屈辱と恐怖に完全に逆上した大輝は、理性を失って自ら創太へ殴りかかってきた。
大振りの拳。 しかし創太の脳は、その拳の軌道、速度、形成される重心の偏りを瞬時に計算する。
創太は一歩だけ斜め前に踏み込み、大輝の自重を利用するように、その腕を軽く押し流した。 ドサッ、と激しい音を立てて、大輝がアスファルトの地面に無様に転がった。
地面に這いつくばり、息を呑んだまま動けない大輝。
かつて自分たちを支配していた絶対的な「恐怖の対象」が、ただの生身のステップ一つであまりにも惨めに転がされる──その決定的な光景を前にした取り巻きの二人は、恐怖のあまり短い悲鳴をあげると、大輝を置き去りにして蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ出した。
「おい! 待ちやがれお前ら……っ!」
広場にぽつんと一人取り残された大輝は、顔を上げることすらできず、ただアスファルトに伏していた。
かつて自分を苦しめていた存在が、今や自分の足元で、これほどまでに小さく、惨めにうずくまっている。
(勝った……僕の勝ちだ。完全な、勝利だ……!)
脳細胞の隅々まで、痺れるような全能感が駆け巡る。
かつて自分を苦しめていた学校のトラウマが、彼の絶望した表情を見た瞬間に、完全に消滅していくのを感じた。
『──相手の戦闘意欲はゼロだ。これでこの場所の最適化は完了だな』
耳の奥のリベロの声が、創太の万能感を肯定するように、確かに全肯定してくれる。
創太は、地面に転がる大輝に一瞥もくれず、踵を返して歩き出した。
夕陽に照らされた街を歩く創太の胸は、抑えきれない悦びと万能感で満たされていた。
学校のいじめっ子すら、今の自分にとっては、チェス盤の上のただの駒に過ぎない。
(次は……お姉ちゃんだ)
創太の胸に、新たな、そして最も強い渇望が湧き上がっていた。自分をずっと見下ろし、憐れみ、優秀すぎる「正しさ」で支配してきた、あの生身の天才。
今の一歩も譲らない頭脳があれば、あの完璧な姉の鼻をあかし、自分の力を認めさせることができるはずだ。創太は、姉を見返すための「ある計画」を脳内で冷酷に組み立て始めていた。




