FILE_26: 残された窓、歪な前進
「アクセスする方法が……ない……?」
一華の声が、かすかに震えていた。
神代玲二の落胆は、そのまま一華にとっての絶望を意味していた。世界を書き換えてでも創太を奪還すると心に誓い、泥をすする覚悟でこの怪物と対峙した。それなのに、弾き出された結論は「肉体を持たない存在には到達不能」という、あまりにも冷酷な物理の壁だった。
手がかりを得るどころか、完全に道を閉ざされた。一華の瞳が激しく揺れ、その場に崩れ落ちそうになる。
「一華さん……!」
蓮が咄嗟に手を伸ばし、彼女の肩を支えた。公安の冷徹なエリートとしての仮面は完全に剥がれ落ち、そこにあるのは、一華の傷つき、動揺する姿を心から案じる一人の青年の顔だった。
そんな二人の情動を、壁面のモニター群はただ無機質に映し出している。
スピーカーから響く玲二の声は、落胆の残滓を引きずりながらも、すでにいつもの冷淡な合理性へと戻っていた。
『これ以上の演算は無意味です。私の好奇心を満たす変数も、もうここには存在しない。……一華さん、蓮。私にはもうあなた方に用はありません。デバイスを持って、速やかにここから帰りなさい』
用が済めば、我が子であろうと一秒たりとも引き留める価値はない。
その徹底した非人間性に、蓮は奥歯を噛み締めた。スロットから静かに戻されたデバイスを一華がその手に取り戻す。
一華はそれ以上、神代玲二のシステムに一言も言葉を返さなかった。動揺を必死に抑え込み、冷え切ったデータセンターの床を蹴って、すぐにその場を立ち去った。創太のデバイスを強く胸に抱きしめたまま、振り返りもしない。
「っ、父さん……」
一人残された蓮は、モニターの波形を睨みつけた。
人工知能となり果て、国家を揺るがす指名手配犯でありながら地下に潜むこの父親を、公安の人間としてどう処理すべきか。
今ここでバックアップも含めてシステムを破壊すべきか、あるいは本部に通報すべきか。激しい葛藤が蓮の脳裏を駆け巡る。
だが、データセンターの重い扉の向こうへ消えてしていく一華の背中を見た瞬間、蓮の迷いは消えた。
(いや……今は違う。公安の任務も、あの男のことも後回しだ。今の私が最優先すべきなのは、一華さんを守ること、そして……消えてしまった創太君を取り戻すことだ)
かつて創太を追い詰め、一華の心を壊しかけた自分だからこそ、その贖罪の糸を絶対に手放すわけにはいかない。
「父さん。僕はもう、あなたの道具じゃない」
短くそれだけ言い残すと、蓮はモニターに背を向け、一華の後を追って走り出した。
背後で、巨大なサーバー群が静かに駆動音を下げていく。
高次元を覗く窓だけを遺され、二人の歪な共犯者は、さらなる深い闇の中へと足を踏み出していった。




